ナナミ編 耳なしのナナミ

 重なり合うように、四階建てや五階建ての背の高い建物がひしめいている。この街は全体でひとつの集合住宅みたいだ。屋根はどの家もオレンジ色の瓦屋根なので、より一層一体感を感じる。その分壁や窓枠がカラフルなのは、自己主張なのかも知れない。


 家の壁から壁へと渡されたロープに洗濯物が干され、潮風にはためいている。


 階段が多く、細い路地が家の玄関先や軒下を通り、家と家の狭い隙間を抜けて行く。行き止まりかと思うと、家の壁にハシゴが掛けてあり、屋上へと上がるルートからまた路地が続いていたりする。まるで迷路だ。楽しい事この上ない。


 こんなの、覚えるまでに何年かかる事やら。私はどこかに出かけるたびに道に迷い、誰かに教会まで送ってもらう羽目になる。


 街の一番高い場所にある教会から、ルルねえが大きな声で『ナナミー! そろそろ帰って来なさーい!』と叫ぶ。すると街の人は、『ああ、またナナミが迷子になってるんだな』と思って、階段で座り込んだり、屋上から降りられなくなっている私を回収してくれる。


 迷子と言うから人聞きが悪い。そう、探検!


 路地裏探検、秘密の小道、内緒の階段、隠されたお花畑。どれもこれも心がおどる。


 それにどうやら私を見つけた人には、良い事がある的なジンクスがあるらしいく、ルル姐の呼ぶ声は『さあ! ナナミを探せ!』と、さながらゲーム開始の合図のようになっているらしい。お祭り好きのこの街の人たちのノリは、私も嫌いではない。


 私は街の人に、耳なしナナミ、または迷子のナナミ、と呼ばれている。私からしてみたら、この世界の人たちが、『獣の耳と尻尾を持った人』なのだが、どちらも大したことじゃない。差別や偏見のニュアンスは感じないし、親しみがこもっている気がするので、特に嫌じゃない。


 耳なしの私は、この街では特異な存在だ。アルビノの動物が縁起が良いと喜ばれるようなものだろうか。私は割と珍獣扱いされている。私だけが耳も尻尾もないのに、変な話だ。


『ミミナシナナミ』日本語にしたらミとナばっかりじゃん!


 最近ようやく、カタコトとボディランゲージを駆使くしすれば、なんとか意思の疎通そつうが出来るようになってきた。最初の頃は「ナナミ踊りがはじまった!」と人が集まってきて、私が何を言いたいか当てるゲームみたいになっていた。全く、内緒話もできやしない!


 今ならパントマイムで、大道芸人になれる気がする。



 私を保護してくれた教会は、養護施設ようごしせつと治療院も兼かねている。


 ルル姐は教会のシスターであり、お医者さんであり、養護施設で子供達のお母さん役でもある。一人三役、大忙しだ。当然いつも人手が足りない状態なので、私は養護施設で料理の手伝いや子供たちの面倒を見ながら、この世界の言葉と文字の勉強をさせて貰う事にした。


 ルル姐は肉厚で黄褐色の耳と、細くて長い尻尾を持っている。尻尾は先っぽの黒っぽい毛だけが、ふさふさと毛足が長い。この尻尾の感じはたぶんライオンじゃないかなと思っている。気の強そうな横顔に、たてがみのような豊かな髪。女の人なのに、オスライオンのような風格がある。


 私に耳も尻尾もない事に、ようやく気付いたルル姐が、今更ながら真面目な顔で聞いた。


「ナナミは、どこから来たの?」


 私の耳がないように見えるから『耳なし』と呼ばれるのかと思ったら、この世界には『耳なし』という伝説の生き物がいるらしい。そして、この街には『耳なしは空からやって来る』という言い伝えがあるそうだ。


 スマホの画像や動画を見せ、絵も描いたり、ナナミ踊りもして、私に出来る全ての表現力を総動員して説明したら、どうやらこことは全く違う、地球という場所がある事をわかってくれた。そして夫と二人の子供がいる事も、ようやく信じてくれた。


 そしてルル姐と、実は同じ歳だという事が判明した。ルル姐は口をパクパクと開けたり閉じたりしていた。そんなにびっくりする事ないと思うんだけど。


「さすが耳なし」と変な納得の仕方をしていた。


 ルル姐は、耳なしだという事は隠した方が良いと言った。でももう遅いと思うよ。みんな知ってるもん。ルル姐は私が街の人たちに『耳なしナナミ』と呼ばれている事を知らなかったらしい。


 とりあえず、不思議な場所から来た事は隠す事になった。空から来た耳なしは、宗教的な意味を持つそうだ。


 養護施設の居候いそうろう、迷子の耳なしナナミ。それが私の、この街での立ち位置になった。



 夜、子どもたちを寝かしつけて、ようやくひと息つく。スマホの着信やメールを確認して更にため息をつく。電話機能を試し、メールの送信も試す。チャットアプリは立ち上がらない。


 ハナやハルの画像を見ると、どうしても泣いてしまう。夫と一緒なら、二人の事は心配いらないとは思うけれど。最後に電話が繋がった時の夫の声を、反芻はんすうするように思い出す。ハルの声も聞こえた。「おかーさん」と私のことを呼んでいた。


 雑音だらけで途切れ途切れの夫の声は、酷く私を心配していた。はっきりと聞こえたのは、『絶対に迎むかえに行くから、諦めるな』という言葉。


 だったら私は、絶望に打ちひしがれる必要はない。夫は来ると言ったら、何年かかっても絶対に迎えに来る。そういう人だ。


 夫は荒野にいると言っていた。私は海が見えると伝えた。教会に居るという私のメールが届いているならば、夫は海辺の街の教会を探すだろう。


 私はこの大陸の、海辺の街にある教会に、手当たり次第手紙を書いた。正確にはルル姐に書いてもらった、お手本を写した。私にはまだこの世界の文字は、楽しそうな落書きにしか見えない。


 教会の人宛に『女の人を探す男性が尋たずねて来たら、このメモを渡して下さい』という趣旨しゅしの手紙だ。メモには私の名前とこの街の名前、そして地図を書いた。


 私は行商人を見つける度に行き先を聞き、手紙を教会まで届けてくれるように頼んだ。祈るようにして手紙を渡す私を見て、『耳なしに祈って貰えるなんて縁起がいい』と言って、喜んで手紙を預かってくれた。私はちょっと気がとがめたので、遅まきながら旅の無事も祈っておいた。


 いざとなったら、耳なしだという事を利用すれば、教会を味方につける事は簡単だと、ルル姐は言った。後々のちのちの事を考えると、あまり気の進む方法じゃないんだけどね。


 私は私の出来る事をしながら、夫が迎えに来てくれるのを待つ事にしよう。お金が貯まったら、人を雇やとって探して貰うのも良いかも知れない。きっと私が探しに行くより効率が良いはずだ。



 ヒロくん、ハル、ハナ、お母さんはこの街で元気に暮らしています。そして、あんたたちをこの腕に抱きしめる事を、絶対に諦めたりしない。


 また一緒に暮らせる事を信じています。

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