第八話 人ではない耳なし

 まえがき


 とある小さな街の教会で、留守番をしていた見習い治療師の少女。波乱の幕開けは、扉を叩く音ではじまります。




 ▽△▽





 その日は朝から曇り空で、今にも一雨落ちてきそうに、重い雲が厚い層になって空を覆っていた。『雨になる前に、買い出しに行かなくちゃ』。起き抜けに、そんな風に思ったのを覚えている。


 ひとりの気楽な昼食を済ませ、本当はお祝い事の時に飲むラランカのお茶を、内緒で淹れてその甘い香りにうっとりしていた時だった。


 教会の方の扉が、乱暴に叩かれる音がした。こんな風に扉を叩くのは、大抵たいていは急病人を抱えた人だ。医療師カラ・マヌーサである、父さんが帰って来るのは明後日。修行中の私に出来ることは、そう多くはない。


『症状を聞いて、手に負えないようだったら、隣街の教会へ行ってもらおう』


 薬草の種類や、具合の悪い人の症状を見る時の十二の注意事項を復唱しながら、扉へと向かった。なるべく余裕のある表情を浮かべて、扉に手をかける。病を抱えて不安な人を、まずは安心させなければいけない。


「どうしま……、し……!!!」



 扉を開くと、そこにいたのは大きなトカゲだった。



 悲鳴を上げなかった自分を褒めてあげたい。危険な生物に出会った時に、急に動いたり大きな声を出すのは避けた方が良い。目を逸らさずに後ずさる。ああ、扉を閉めれば良かった。そう思った時には遅かった。その大きなトカゲは、何か大きなものを引きずって、教会の中へ入って来てしまった。


 冷や汗が背中を伝うのを感じながら、手の届く範囲で武器になるものを探していると、トカゲと一緒に小さな女の子が、その大きなものを引っ張っているのが目に入る。大変! 助けないと! 食べられてしまう!!


「こっち! お嬢ちゃん、こっち来て!」


 掠れた声でそう呼ぶと女の子は『やー(はーい)』と可愛い返事をして、トコトコと歩いて来た。ほっとして抱きすくめると、ふにゃりと笑う。黒い斑点のある耳の、可愛い子だ。


「ハルちゃ、パモモ(病気)、カララン(お父さん)、寝ちゃったの」


 意味のわからない言葉がいくつか混じる。お父さんが病気なのかな?


 指差す方を見ると、トカゲはいなくなっていた。引きずっていたものは、どうやら人のようだ。扉から顔を出して外を見ると、トカゲは教会の裏手にある大きな木の下にいた。いつの間にか大粒の雨がポツポツと落ちてきている。一緒にいるモコモコの生き物はなんだろう。非常食?


「とーたん、とーたん! あさですよー」


 ペシペシと倒れた人の頭を叩きながら、私にはわからない言葉で話す。異国の人だろうか。


 お父さんらしき倒れた人が抱えているのは、どうやら寝袋らしい。見ると子供が入っている。お父さんも子供も具合が悪そうだ。額に手を当てると、かなり熱が高い。


 急病人が二人も。正直私には荷が重い。でもこの人たちが隣街の教会まで行くのは無理だろう。雨も強くなってきた。最悪、私が隣街まで行って、治療師カラ・マヌーサに来てもらおう。


 お父さんを動かすのはちょっと無理そうなので、子供だけでもと思い、寝袋から出して患者用のベッドへと運ぶ。首に赤い湿疹が出ている。『赤ん坊熱』だろうか。でも、赤ん坊熱は大抵たいていの子供は、三歳から五歳くらいまでにはかかってしまうはずだ。この男の子は八歳か九歳くらいかな?


 額に巻いてあった、温くなった濡れ手ぬぐいを外し、冷たい水で絞り、額の上に乗せる。


 あら? 耳が見当たらない。鳥の人にしては尾羽もない。お尻を確認させてもらうと、つるりとした手触り。髪の毛を探っても、どこにも耳が生えていない。もしやと思い、髪の毛をかき分けると、顔の横に丸い、毛の生えていない耳らしきものがある。


『キャー!』


 今度は悲鳴を上げてしまった。耳なしだ! どうしよう、教会に耳なしを入れてしまった!!


 礼拝室で倒れている、父親らしき人の元へ向かう。この人も耳なしなのだろうか。震える手でポンチョのフードを外し、髪の毛をかき分ける。大丈夫。弱っているから、きっと急に襲い掛かって来たりは、しないはずだ。


 あった! 男の子と同じ丸い耳だ。耳なしの耳だ! よこしまさと悪意のために毛さえ生えないという、耳なしの耳だ。火を吐き、鉄の玉をまき散らす怖ろしい怪物。空飛ぶ船で人をさらい、笑いながら人を殺す悪魔!


 耳なしの男の人が身動きをすると、腰の物入れから鉄の玉がいくつも、コロコロと転がり出た。



 怖い! 誰か助けて!! 耳なしに殺されてしまう!





「ねーたん、どしたの? かなしいの? とーたんおきたら、よしよし、してくれるよ」


 頭を抱えて震えている私の背中を、女の子がトントンと優しく叩く。どこかから、さらわれてきた子供だろうか。


「とーたん、ねてるから、ハナちゃが、よしよし、したげるよ」


 ニコニコと笑いながら、私の頭を撫でてくれる。この子だけでも助けなければ。私がしっかりしなければ!


 台所へ行って包丁を持ってくる。弱っている耳なしなら、とどめを刺してしまえば良い。耳なしは人ではない。悪魔だ。罪の意識を感じる必要はない。大丈夫、きっと出来る。この女の子を助けなければ。子供の耳なしはどうしよう。いくら耳なしでも、子供を手にかけることが、私にできるだろうか。


太陽神イラティラ、どうぞ、私に力をお貸し下さい』


 包丁を振り上げた、その時。

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