第九話 どしゃ降りの雨が止むまで
「
あんなに弱っていた耳なしの子供が、何か武器のようなものを構えて叫んだ。
ユラユラと揺れている。今にも倒れそうだ。真っ赤な顔をして、泣きそうな声で、叫んだ。
「ハナちゃん、こっちにおいで」
耳なしの子供が、女の子を呼ぶ。
「ハルちゃ! げんきになった?」
女の子が走って行って、耳なしの子供に抱きつく。
『お父さんから、はなれて! お父さんにひどいこと、しないで!』
女の子をほっとした顔で抱き寄せた後、耳なしの子供がこの国の言葉で言った。耳なしは、言葉が違うはずなのに。
「ハル、武器を人に……、向けちゃダメ……だ」
大人の耳なしが、意識を取り戻してしまった。間に合わなかった! 殺されてしまう。女の子を守れなかった!
「……お嬢さん、すぐに出て行く、します。怖がる、させて、ごめんなさい」
耳なしはフラフラと立ち上がった。首に赤い湿疹が浮いている。男の子と同じだ。あれはたぶん『赤ん坊熱』だ。男の子だけが
「その女の子をどうするつもり? どこから
「この子は、俺の
「嘘! だって耳があるわ! その子にひどい事したら許さないから!」
私はブルブルと震える手で、もう一度包丁を構えた。
「お嬢さん、娘を、守る、してくれて、ありがとう」
大人の耳なしは、困ったように笑った。とてもーー。
とても、優しそうに、見えた。
「ほら、ハルも謝って。この人は、ハナを守ろうとして……くれたんだぞ」
「ぼくだって、ハナちゃんとお父さんを、守ろうと思ったんだ!」
「そうか。ありがとう。じゃあ、ハルも悪くないな。……さ、帰ろう」
二人ともあんな熱でフラフラで、出て行こうとしている。こんな土砂降りの中、出て行ったら死んでしまう。二人とも息が荒い。
女の子が嬉しそうに、耳なしの腕にしがみつく。とても
私は、何か間違っているのだろうか。
私は耳なしを殺そうとしたのに、怖がらせてごめんなさいと、言った。私はひどい事を言ったのにーー。
娘を守ってくれて、ありがとうと、言った。
子供の耳なしは、自分だって熱でフラフラなのに、父親を守るために、立ち上がった。
「待って。雨がーー。雨がやむまでーー。私を殺さないなら、雨がやむまで居て下さい」
「ラー(否定の意)! ぼくは、殺す、しない。殺す、したのは、おねえさんだ」
子供の耳なしが、射るような目で睨みながら言った。
「ハル、そんな言い方はーーー」
大人の耳なしが、操り人形の糸が切れたように、クタリとその場に崩れ落ちた。
「お父さん!」
それきり、大人の耳なしーー。ハルくんのお父さんは次の日の朝まで目を覚まさなかった。
私と子供の耳なしーー、ハルくんは、ケンカしながらお父さんを運んだり、死ぬほど苦い薬を鼻を摘んで飲ませたり、ハナちゃんと三人でごはんを食べたりした。
雨は土砂降りで、全然やむ気配さえ見せなくて『お父さんがこのまま、死んじゃったらどうしよう』なんて、泣きべそをかきはじめたハルくんが、なんだかとっても可愛くて。
『赤ん坊熱』は特効薬がある。猫目蛇の黒焼きを飲ませれば、死ぬような病気ではない。ハルくんもあっという間に元気になった。
『大丈夫。お薬飲んだから、明日には熱も下がって元気になる』と言ったら、ハルくんはうん、と頷いてから、
『おねえさん、ぼく、言った事、ごめんなさい。おくすり、ありがとう』と、恥ずかしそうに言った。
『ハルくんとお父さんは耳なしなの?』と聞いたら『うん。でも、悪い耳なし、違う』と言う。
『悪い耳なしもいるの?』と聞くと、うーん、と考え込んでいた。そしてそのあと『たぶん、いる』と応えた。
物語や歌に出てくる耳なしは、笑いながら人を殺す悪魔だ。教会でずっと、そう教えられてきた。
でも、そうじゃない耳なしもいる。
耳なしって、なんなのだろう。神さまを裏切り、人を空飛ぶ船で連れ去る。
一体なんのために人を攫い、どこに連れて行ったのだろう。
今は、どこにいるのだろう。
ハルくんは、
大人がいるザバトランガの教会に、耳なしが行ったら大変なことになるよ? 捕まってしまうかも知れないよ?
私は、さっきハルくんのお父さんを殺そうとしたくせに、とても心配になった。
私は耳なしのことを、知りたいと思った。何も知らずに、怖いからと、ハルくんのお父さんに、包丁を振り上げた。あんな事はもうしたくない。
きっと、知らないから、怖いのだ。
『知らないことを、知らないままにしておいては、いけないよ』
父さんはいつも、そう言っていた。
『困っている人の手助けをするのは、大切な事だよ』
父さんは、そう言っていた。
だからきっと、事情を話せば、私が留守番中に教会で耳なしの看病をしていても、そうは怒らないんじゃないかな。
私はそんな、自分に都合のいい想像をしながら、ハルくんのお父さんの額に手を当てた。
あ、熱が少し下がっている! 呼吸も、少し落ち着いてきた。心配そうに覗き込む二人に『もう、大丈夫みたい』と伝えると、二人の顔がパッと笑顔になった。
厚い雲の切れ間から、突然お日さまが顔を出すような、眩しさについ目を細めてしまうような。
そんな笑顔だった。
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