第三話 薄桃色の海岸

 宿屋へ荷物を置きに行って、ひと休みするともう夕方だった。ロレンとの約束まで小一時間程だが、俺とハルは海を見に行く事にした。


 街外れまで来ると、木造の簡素な漁師小屋が並んでいた。開いた魚を干した網棚あみだなが並び、日に焼けた人たちが目の荒い大きなかごを持ち忙しそうにしている。日暮れを前に干物を回収しているのだろう。空いた網棚に投網とあみを干している人もいる。


 小さな男の子が海藻らしきものを手に持ち、長く棚引かせながら、足元の子犬とじゃれ合うように走って行く。兄弟だろうか。この世界の人たちは、ケモノの姿に変わる事ができるのだ。


 一度、さゆりさんに狐の姿を見せて欲しいと頼んだ事がある。


「えっ! 嫌よ、恥ずかしいわ」と言われた。


「だってはだかなのよ? ムリムリ!」


 と、さゆりさんは口元に手を当てて笑った。背筋がゾクリとして振り向くと、爺さんが鬼のような目で睨んでいた。正直、足が震えた。


 あれが、殺気か……!


 リュートか爺さんに頼んでみようかとも思ったが、なんとなく機会をいっしている。さゆりさん曰く、物心着く頃には人前でケモノに変わる事は殆どなくなるそうだ。


 例外は幼い子供と、非常事態。


 羞恥心の芽生える前の幼い頃は、親が側にいたりすれば、けっこうケモノに変わって過ごす事があるそうだ。さっきすれ違った子犬がそうかも知れない。俺にはわからないが、さゆりさんたちケモノの人には動物との違いは『見ればわかる』のだと言っていた。


 非常事態は文字通り、生き残る為に必要な場合。熊や虎、狼や山猫。ケモノの姿となった方が強い人たちは多い。逃げる場合は鳥系の人たちや、馬や鹿の人たちの足の速さがものを言う。ねずみやウサギの人たちは、狭いところをすり抜ける事が出来る。


 正直、質量保存の法則とかどうなってんのと思うが、考えても分かるはずもない。


『家族と夫婦となる人以外にケモノの姿を見せてはいけない』という、貞操観念に似た考え方や、縁起が悪いといった風習が深く根付いているらしい。


 爺さんが睨んで来るはずだ。


 考えごとをしているうちに海へと着いた。波除けの低い石壁を乗り越えると、砂浜が広がっていた。


「おとーさん! 見て見て! ピンク色だよ!」


 ハルが我慢がまん出来ないと言った様子でかけけ出して行く。


 小さな入江となっているその砂浜は、確かに淡いピンク色をしていた。思わず目をこする。夕陽の照り返しではないらしい。サラサスーンの赤い砂が影響しているのだろうか? あとでロレンに聞いてみよう。


 ハルがブーツを脱ぎ捨てて、波打ち際を走る。


 転ぶなよ、と声をかけるが、聞こえてはいないだろう。


 腰ベルトの小物入れから、残り少なくなってしまった煙草を取り出し火を点けた。最後の一本はナナミに会えた時に吸おうと決めている。


 腰を下ろし、暗く沈み始めた薄桃色の砂浜と、波打ち際で遊ぶハルのシルエットを眺める。どこか絵本のような光景に目を細めながら、俺は味の落ちた煙草の煙を深く吸み、スケッチブックを取り出した。



 ロレンとの約束の時間さえ忘れて。





 やっべぇ!!


 ハルー! ハルー! 帰るぞー!! 早く靴履け! 砂が靴に入った? 逆さにして底叩け! ほら、こっちの紐お父さんが結ぶから! お前こっち結べ。固結びでもいいよもう、あとでお父さんなおしてやるから! え? 貝殻落とした? 拾ってこい!


 ほら! 走るぞ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る