ナナミ編 ナナミの場合

 海となだらかな山に挟まれたその小さな街は、小高い断崖の上にあり、海から這い上がるようにびっしりと建物が立ち並んでいた。どの建物も窓が多く、屋根にはお揃いのオレンジ色の瓦が、規則正しく並んでるいる。崖の下にはいくつもの桟橋があって、色とりどりのボートがたくさん繋がれている。


 テーマパークか撮影村なのだろう、そう思った。だから入場口を探して、ずいぶんウロウロしたが、街へと続く道は、敷石の街道から伸びた一本道だけで、馬車や荷車を引いた人が、割とのんびりと歩いていた。


 撮影をしているなら、邪魔になってはいけないと周りを見まわしてみたけど、カメラマンらしき人は見当たらなかった。大きな風呂敷包みを背負った人の後ろを、遠慮がちに着いて行く。


 馬車の御者の人も、風呂敷包みを背負った人も、動物の耳を頭に付けている。ファンタジー系の映画の撮影をしているか、そういったテーマパークなのだろうか。


 中華かベトナム風の前合わせの服や、馬車や荷車も、いい感じで使い込まれた雰囲気ふんいきが出ていて、とてもクオリティが高い。耳も良く出来ている。あ、尻尾もあるのね!


 私はさっきまでの不安な気持ちが吹き飛んで、観光客の気分になりキョロキョロと辺りを眺めて楽しんだ。街に入っても、他に観光客は見あたらなくて、私の服装や耳をつけていないことで、どうにも視線を集めてしまう。


(きっとどこかで着替えてから、入らなくちゃダメだったんだ)


世界観をぶち壊しにしている自分が申し訳なくなった。


 私は果物を売っている店の人に、


「すみません、その耳はどこで売っているのですか?」と聞いてみた。受け付けの場所も教えて欲しい。大きな三角の耳をつけた店のおじさんは、困ったように眉を潜め口を開いた。


「△◯☆◯ー?▽ー☆◯◯△」


 うわー、何言ってるか全然わかんない。どこの国の言葉だろう。よく見たらおじさんは目の色がとても薄い。アジア系の顔立ちなので日本人かと思ったら違うらしい。


「Could you tell me the service counter?」


 あまり得意ではないが英語で受付の場所を聞いてみる。おじさんは首を振って、ペラペラと何か言い、私にリンゴをひとつ手渡した。お金を払おうと財布を出すと手で「いらないよ、いーからいーから」というリアクションをして、店の隅にあるイスを勧めてくれた。


 イスに座ってリンゴを齧かじり、どうしたもんかと考えていると、四角い帽子をかぶった若い男の人を連れてきた。少しかっちりとした服装だし、きっと係の人だろう。私はリンゴをくれたおじさんにお礼を言い頭を下げて、若い男の人に着いて行く事にした。


 男の人は振り向くと、帽子から出た小さなウサギのような茶色い耳を、ピコピコ動かしてニコニコ笑って話しかけてくる。


 ほー、その耳動くんだ! すごいなハリウッド!


 私が目を丸くして耳をガン見していると、男の人が腰を屈めて頭をよしよしと撫でた。


 あ、これは子供だと思われてる。私は舌打ちしたい気持ちを抑え、愛想笑いを浮かべた。私の身長は149cm。童顔な事もあり、化粧をしていないと中学生くらいに見られる事もある。みんなもっとよく見てみればいいのにと思う。こんな肌年齢の高い中学生はいないし、いたら可哀想だ。


 迷子だと思われてるんだろう。


 迷子か。あながち間違ってはいない。私はここがどこだか分かっていないし、家に帰る方法も分からない。




 家族で近所の公園に向かう途中、信号待ちをしていたら目の前にいた夫と二人の子供が、光に包まれて消えていった。気がついたら私も海の見える高台にいた。


 膝をついて靴紐をキュッとしたポーズのまま、あんぐりと開いた口が閉じなかった。あの一瞬の間に、私たちに何が起きたのだろう。夢だと言われた方が、まだ現実味がある。




 建物に入り、殺風景な部屋に通される。座って待っていると、書類を何枚か持ったウサ耳の男の人が戻ってきて、いくつか質問をされた。たぶん名前や年齢を聞かれているのだろう。自分を指差し「ナナミ、二ノ宮ナナミ」と言ってみる。男の人は自分を指差して「カミュー」と言い、私を指差して「ナナミ?」と聞いてくる。


 私はもう一度自分を指差して「ナナミ」、男の人を指差して「カミュー?」と聞く。私と男の人は同時に大きく頷いた。


 通じた! これが異文化コミュニケーション! カミューはそれからもいくつか質問してきたので、身振り手振りや時には椅子から立ち上がり、パントマイムのように自分の状況を伝えようと頑張った。


 カミューは私のリアクションを見て、考え込んだり、書類に書いたり、時には吹き出したりもしたけど、真剣に接してくれた。


 私はカミューのそんな様子が嬉しくて、ニカッと笑うと、また頭を撫でられた。子供じゃない事を伝えようと、左手を三本、右手をグーにして年齢を伝えようとしたけど、伝わったかどうかはわからない。


 書類をこっそり覗いてみたら、視力検査の記号や、地図記号みたいなものが並んでいた。あれが文字なのだろうか。


 やがてカミューが私を外に連れ出し、手を取って歩き出す。子供じゃないのは、やっぱり伝わっていないらしい。振り払うわけにもいかず、そのまま歩く。途中、露店で甘酸っぱい飴細工を買ってくれた。子供扱いも悪くないかも。


 商店街からまっすぐ伸びた階段を、どんどん上がって行く。高校生の時、部活でお寺に泊まり込んだ合宿を思い出した。


 すっかり息が上がった頃、周囲とは少し違い、吹き抜けになった建物に案内された。天井にステンドグラスの窓があるので、教会のような場所かも知れない。


 ここで待っていれば、日本語か英語のわかる人が来てくれるのかな?


 カミューは女の人に私を引き渡すと、手を振って帰って行った。私もバイバイと手を振った。


 女の人に紹介される。女の人に子供たちのいる部屋へ連れて行かれ、また紹介。女の人が何か言った後、子供たちが声を揃そろえて、「やー!」と言っていた。『やー』が『yes』なのかな?


 そのあとは子供たちと一緒に晩ごはん。




 あれ? 係の人も警察の人も日本語のわかる人も英語を話せる人も来ないの?

 

 テーマパークの閉園時間は何時なの? スタッフの子供たちだと思っていたこの子たちは、帰らなくて平気なの?


 だんだんと違和感が広がりはじめる。いつまでたっても見えない舞台裏に、感嘆を通り越してうすら寒いものを感じる。


 そしてこの耳と尻尾。いくらなんでも、高性能が過ぎる。叱られるとへにょりんと垂れる。嬉しそうにしている時はパタパタと振れる。


 こっそり居眠りしてる小さい子の頭を探ってみる。


 ヒッ、っと小さく声が漏れてしまった。


 耳は被っているのでも、付けてあるのでもなく、地肌からニョッキリと生えていた。手術痕しゅじゅつこんも見当たらないので、後から移植したわけでもないようだ。


 恐る恐る側頭部を探る。そこにあるはずの耳はなく、ぷにぷにのほっぺと、すべすべのうなじがあるだけだった。


 頭の三角耳をそうっと触ってみる。ふわふわの毛に覆おおわれていて、じんわりと温あたたかい。血液の通っている温かさだ。


 お尻の尻尾がふさふさなので、狐か狼だろうか。


 この町は何なのだろう。街を歩いていた人たちの耳も尻尾も、作り物や小道具でないとしたら、一体私はどこに迷い込んでしまったのだろう。


 性を売る秘密の施設や、地下巨大組織の可能性、汚い欲望の為に遺伝子操作された子供たち、この子たちだけでも連れて逃げなきゃとか、秘密を知ったら口封じにとか、ぐるぐると考えているうちに、こともあろうに私は寝てしまった。


 だって膝枕して耳を見せてもらってたキツネ耳の女の子が、ぎゅうと私のお腹にしがみついてすやすやと寝息をたてはじめたのだ。おずおずと寄って来たネコ耳の女の子は、私の手をきゅっと掴つかむと寄り添って指をしゃぶっている。くるくる巻き毛で垂れ耳の男の子も空いている方の膝にコテンと頭を乗せると、鼻をスピスピさせて寝てしまった。


 ふわふわの耳とふさふさの尻尾に囲まれて、なんだかとっても幸せな気持ちになって、気がついたら朝だった。


 目が醒めると秘密を知ってしまった私は地下牢にいた。なんて事はなく、普通にベッドで寝ていた。


 警察の人も大使館の人も迎えに来た様子がなく、鳥の声が聞こえて朝ごはんの匂いが漂う、普通に暮らしている人たちの、普通の朝だ。


 食堂に行くと何人かの女性が朝ごはんの用意に忙しそうにしていた。ペコリと頭を下げると、ニコニコと笑ってくれた。


 言葉の違う見ず知らずの迷子に、暖かいごはんと寝床を与えてくれた人たちだ。寝こけた私をベッドまで運んでもくれた。


 だったら私には、地下組織の陰謀を暴く前にやらなければならない事がある。


 食事の用意や後片付け、掃除に洗濯、子供の世話。私に出来る事は、きっとここにはたくさんある。

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