第十話 異世界の街へ行ってみる

 獣人じゅうじん、と呼んでいいのだろうか。『この地の人は、すべてケモノや鳥の特徴の一部を身体に持っている』。耳や尻尾、ツノや瞳や尾羽。そんなさゆりさんの話が、どうしても信じられなかった俺は、リュートに頼んで街まで連れて行ってもらうことにした。


 リュートはさゆりさんと爺さんの息子で、さゆりさんと同じキツネ耳のイケメンくんだ。心配性なところもよく似ている。


 そしてけっこう日本語が話せる。母親が話してくれるニホンの不思議な話が大好きで、小さい頃から夢中だったそうだ。いつか自分もニホンに行くかも知れないからと、一生懸命日本語を覚えたと言っていた。


『あなたの言っていることが信用できません』。そう言っているも同然な俺を、さゆりさんは「自分も通った道だから」と、笑って見送ってくれた。



 大岩の家から途切れ途切れに続く、細い道を馬で走る。石を敷き詰めた街道に出てしばらく南へ走ると街が見えてきた。


 緩やかに蛇行だこうする川を中心に、白い石造りの建物が背にした岩山を這い上るように散らばる、とてもきれいな街だ。川の上流には岩山に沿って段々畑だんだんばたけが広がり、細く走る水路の水色と畑の緑色が、赤いばかりの景色に珍しい彩りを見せてくれている。


 街の名前はシュメリルール。牛の群れという意味だそうだ。ここに街ができる前、川沿いにはたくさんの牛が群れていたのだろうか。


 街道から街に近づくにつれ、徐々に人通りが多くなっていく。大きな荷物を背負った旅装りょそうの二人連れやほろの付いた馬車の列、果物の入った大きな籠を積んだ荷馬車を曳く人もいる。大抵の人がカラフルなポンチョを着ていて、それだけで映画のワンシーンに紛れ込んでいるような気分になった。


 あの時の衝撃は今でも忘れられない。


 ▽△▽



 俺はキョロキョロしても目立たないよう、爺さんに借りてきた麦わら帽子を目深まぶかにかぶった。覚悟していたことだが、やはり道ゆく人の頭には、大小形も様々な耳があった。ポンチョの尻部分からは尻尾が伸びて揺れている。


 プロレスラーのような見事な体躯の男の頭に、ちょこんと黒くて丸い耳が、キャラバンらしき馬車の御者ぎょしゃをしているおっさんの頭には白くて長い耳が。あの親子連れの、やや顔の横に付いているふっさふさの耳は、コアラのものに似ている。あっちの太くて長い尻尾はカンガルーだろうか。


 ダメだ衝撃的すぎる! 自分の中の常識が崩壊ほうかいしていく。唖然あぜんとして声も出ない俺の背中を、リュートがポンと叩いた。


 俺はビックリして「ひうっ!」という間抜けな声を出して飛び上がった。その俺の声にリュートも驚いたらしく、ビクッと身体を震わせる。俺たちはしばらく顔を見合わせた後、どちらともなく声を殺して笑った。


 この交通量と立地条件から見て、街全体が映画村かテーマパークとも考えられない。政府か大企業の大型秘密プロジェクトに、無自覚のテスターとしてでも放り込まれたのだろうか。


 俺の知らないうちに、超リアルな没入型VR機器が発明されたのだろうか? 五感全てや、満腹感すら騙す事が、果たして地球の技術で可能なのだろうか。


 それとも……。さゆりさんの言っていた事が本当で、俺は獣人の住むファンタジー世界に、紛れ込んでしまったのだろうか。


 俺は白旗をあげるような気分になった。


 少なくとも今の俺にとっては、は紛れもなく『現実』だ。


 街の手前で馬を降り、川沿いに歩く。野菜や果物を軒先に並べた小さな商店街を抜け、公園のようなベンチがある広場を抜け、リュートと並んで無言のまま歩く。


 サイコロのような正方形や、茶筒ちゃづつのような円筒形をいくつもつらねたような、白い石造りの家々。色とりどりの布製のひさしが大きく張り出し、その下のテーブルでくつろぐ人とリュートが挨拶を交わす。積み木のような玩具おもちゃで遊んでいた子供たちが走り寄ってきて、リュートの足に絡みつく。


 二階や三階の窓には洗濯物が風に揺れ、ポンプ式の井戸のそばで赤ん坊を背負った女の人が子守歌を歌っている。昼メシの煮炊きの匂いが、柔らかく流れてくる。


 普通に暮らしている人々の、ごく当たり前の日常生活があった。


 さゆりさんはこの世界を『異世界』と呼んでいた。仕事がら、主人公が異世界に転移や転生する、所謂いわゆる異世界モノと呼ばれるファンタジー作品をいくつか読んだ。


 その流れだと、俺は冒険者になって魔物と戦ったりしないといけない。――無理だ。せめて勇者の力に目覚めるか、聖剣を引っこ抜いてからにして欲しい。




 リュートが子供たちにせがまれて、物入れからさゆりさんお手製のクッキーを取り出す。


「母さんのお菓子、とても人気」


 子供たちが歓声をあげてさっそく口に放り込み『ラースカ!』と、口々に言う。


「ラースカ、美味しいって意味」


 リュートがこっそり教えてくれた。


 今まで意味をなさない音だった声が、言葉として聞こえてくる。


「「「リュート、タカーサ!」」」子供たちが声をそろえて言った。


「タカーサは?」


「タカーサはありがとう」


 ありがとうがタカーサ、ラースカは美味しい。そうか、ナナミを探しに行くなら言葉を覚えないといけない。海が見える街まで行くには、地図も路銀も必要だろう。


 俺はこの世界について何も知らない。言葉もわからず、金もない。馬にも乗れないし、自分の身を守ることさえできない。


この地の人と比べたら、赤ん坊のレベルだ。これは正直、成人男性としてキツイ。ようやく社会人として一人前となり、曲がりなりにも家族を大黒柱として支えてきた自負もある。男として、親としてのプライドもある。


この世界を受け入れるということは、このリセット状態を受け入れ、レベル一からやり直すということだろう。


 参ったな……。ひとり言がもれる。


 だが、投げ出すわけにはいかない。俺にはハルとハナがいる。ナナミを探さなければならない。第一、逃げ出す場所も、その方法すらわからない。


 参ったな……。もう一度ひとりごちる。


「まいった? ヒロト、なにか困ったか? 疲れた?」


 確かに困ってはいる。だが、絶望するほどではない。大岩の家にいる以上飢えることも、危険な目に遭うこともないだろう。有難いことに、さゆりさん夫婦は俺たち家族をバックアップしてくれるつもりでいるらしい。


『うちの子になってくれるといいわねって、カドゥーンと話していたのよ』


 朝食の席でそう言ってくれたキツネ耳の人に、心配して顔を覗き込んでいるリュート。


大岩の家族に、渡せるものが、俺にあるのだろうか?


俺に出来ることといえば、絵を描くことくらいしか思い当たらない。俺は日本にいる時は、絵を描いて身を立てていた。


 リュートの家に行って馬を置いたら、街並みをスケッチしようか。風車のあるアングルや、市場の様子、街道から見下ろした街の遠景もとてもきれいだった。帰ったら、大岩の家の壁の上からの夕景も描きたい。この世界は見惚れるほどに美しい。



 絶望するには、惜しいくらい、美しい。

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