第十八話 ハルの戦い、ヒロトの戦い

 夕方になって、少し冷たい風が吹いてくる。茜岩谷サラサスーンの風の音は、いつも不思議と柔らかだった。ヤーモの吹く笛の音のように、大岩の家の灯りのように、お帰りと呼ぶようにポンチョを揺らした。


 この地の風は千切れた草を巻き上げて、雨雲を連れてくる。早く、早くと、ハルの心を波立たせる。


「クロマル、しらたま、おいで」


 ジュランの子供を呼ぶ。二匹はポンポンとはずむように跳ね、ポンチョのポケットへと収まる。


「ちょっと、おとなしく、しててね」


 ふわふわの頭を、それぞれ二回ずつ撫で、それからハルは顔を上げ、まなじりを上げる。


「まだくらくなってないけど」


 雨がふりだす前に、行かなくちゃ。


 独り言の半分だけを呟き、寝ているハナを背負う。


「よいしょ、んー!」


 クーの手綱を腰につなぎ、街へ向かって歩く。ハナが身じろぎして、ずるりと落ちそうになり、慌てて背負い直す。


 寝ているハナは、ホカホカと暖かかった。クタリとハルに体重を預け、静かな寝息をたてている。


 途中で自警団の詰所に寄り、中を覗く。


「よお、トカゲの坊主! 今から街を出るのか? 雨が降りそうだぞ?」


 気の良さそうな青年が、笑いながら声をかけてきた。教会から、ハルを捕らえる指示は出ていないのだろうか?


「うん。トカゲ、ごはん持ってきただけ」


「そうか。父ちゃんはどうした?」


「お酒、のみに行っちゃった」


 青年はしょうがねぇ父ちゃんだなと、また笑った。



 ーーいちばんダメなのは、ぼくとハナちゃんもつかまってしまうことだ。


 ハナを藁の上に下ろし、あくびに肉を投げる。ハルは保険をかけに来た。今よりも、もっと困った時に、あくびの脚が必要になる。


 青年を伺い見ながら、こっそりと繋いである縄を解き、首の後ろに顔を寄せる。


『あくび、おねがい。なわをほどくけど、にげないで。ふえを吹いたら、すぐに来て』


 あくびの首にギュッと顔を埋める。


『あくび、おねがい』



 ーーお父さんを、今すぐたすけて。


 ハルは、その言葉を飲み込んだ。あくびに無茶をさせてはいけない。あくびに人を傷つけさせてはいけない。


 ハナを再び背負う。振り返り、もう一度だけあくびを見る。あくびは、いつでも呼びなさい。すぐに駆けつけてあげるから。


 そう、言っているような気がした。



 ▽△▽



「耳なしが何をしたのかは、この『黒猫の英雄譚』が一番詳しく書いてある。作者は不明だが、元になった文章は、黒猫と共に戦った戦士の手記だといわれている」


「もがもごご、ががごが?」


 ああ、轡を嵌めていたのだったな。


「エンド、外してやってくれるか?」


「危険ですよ。尋問なんて必要ですか? 空飛ぶ船を呼ばれる前に、何とかしないと大変な事になりますよ!」


「言葉を持つ者同士が話し合わなかったら、何のための言葉だ? おまえさんの口だって、物を食うためだけのものじゃあるまい」


「耳なしの口は火を吐く!」


「火を吐くなら、最初に吐いて、逃げているだろう。何かこの教会に用があるのだろう? 」


 私が言いながら轡を外すと、耳なしは頷いて口を開いた。


「教会は、耳なし、どうするつもり?」


「耳なしは人ではない。災いをもたらす害悪だ。ザドバランガの教会では、見つけ次第殺すように教えられる」


「ハンパ者は?」


「半獣の事か? 半獣は、耳なしの手先になった者があったらしい。まともな身体をくれるからと、そそのかされたと伝わっている」


「あの人たちは、悪くない。耳なしが悪くても、唆された人が悪くても、今の人、関係ない」


「………。その通りだ。だが、人の意識はなかなか変わらない」


「変えて。 悪くない人、幸せでない、間違ってる。」


 まさか、耳なしに説教されるとは思わなかった。半獣については、教会でも何度も話し合いがなされている。このままで良いとは、私も思っていない。


 痛みも、恨みも、遥か昔の出来事だ。覚えている者など、いるはずもない。残っているのは恐れのみ。


 それだけは忘れるなと、刷り込まれた、恐怖のみだ。耳なしは悪夢を連れてくる。


「耳なしの罪は認めるのか?」


「物語、本当なら、その耳なしは悪魔だ」


 耳なしが言葉を続ける。


「だが、それは俺ではない。獣の人あなたがたにも、悪人、いる。それと同じ」


「俺は妻を探しているだけ。家族揃って暮らしたいだけ。半獣の人も同じ。獣の人あなたがたと同じ」


 子供のようなつたない言葉で、ゆっくりと話す。


「俺は耳なしかも知れない。だが、空飛ぶ船、持ってない。他の耳なし呼ぶ方法、ない。火を吹くも、鉄の玉、撒き散らすも、笑いながら殺すも、できない」




「それでも、俺は、耳なしだから、殺されるのか?」



 強硬派のエンドが、たじろいでいる。耳なしの言葉は、この男にさえ届いたらしい。


 耳なしの言っている事は、確かに説得力があった。私と同じキジトラ耳を持つ、会った事もない大昔の悪人の、その罪の為に殺されるなど、理不尽にも程がある。


「さて、こちらからも質問しても、よろしいかな? 自分を耳なしかも知れないと言う、ヒロト殿。あなたは何者だ?」


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