第十七話 ミトトの耳なし

 海から昇る朝陽で、街のシルエットが浮かび上がる。沖合いに大きな船が一艘と、桟橋に大小沢山のボートが見える。港のある街、ミトトだ。


 眩しさに目を細めていると、あくびがくしゃみをした。並べて言うと、なんの事かよくわからなくなるな。眩しいとくしゃみが出るアレだろうか。


「ぼく、トカゲのくしゃみ初めて見たよ」


 ハルが関心したように言う。お父さんもだ。こんな会話、前にもしたよな? だが大魔王的な改名はしないぞ。


 あくびに一晩中走り通してもらったおかげで、俺もハルもずいぶん落ち着いた。勢い込んで夜明け前から教会に駆け込むような事は、しなくて済みそうだ。


 街の手前にパラシュの預かり所があった。パラシュは馬と違い、街に入る事は出来ない。柵で囲まれた空き地に、雄雌しゆう別れて放たれる。


 預かり所にあくびを預け、個人的に餌をあげる了解をもらってから、約束通り砂漠ウサギを持っている分全部投げる。相変わらずワイルド極まりない食事風景だ。


 目の前で凄惨な光景が繰り広げられているのに、どこかフワフワと落ち着かない。バリバリと骨を噛み砕く音を聞きながら、ナナミに会ったらまず何を言おうとか、俺の頰の傷についてどう思うかな、とか。我ながら緩み過ぎだ。


 まるで初めてのデートに向かう朝みたいだ。


「ハル、まだ早いから、朝メシ食ってから教会行くか?」


 落ち着いた風を装ってハルに話しかける。


「ううん。お腹空いてないから、港を見に行きたい」


「んじゃ、宿屋で荷物置いて、教会の場所教えてもらってから、港、だな」


 朝の鐘まで時間を潰せば充分だろう。パラシュ預かり所のにいちゃんに宿屋の場所を聞き、ついでに教会の開く時間も聞いてみた。


「んな朝っぱらから教会なんて行った事ねぇけど、朝の鐘が鳴りゃ、大抵どこでも入れるさ」


 と教えてくれた。あくびの事をよろしくと頼んで料金を払い、宿屋へと向かう。つい鼻歌を口ずさんでしまう。



 ハルが俺の後ろを、三歩遅れてついてくる。何か考えている様子だ。



「ねぇおとーさん」


「ん?」


「おとーさん、浮かれ過ぎだと思う」


「!!」


「そんなじゃ、おかーさんが居なかった時、おとーさん、またダメな人になっちゃう」


 ハルくん、手厳てきびしい。そしてその通りかも知れない。あと「また」が気になる。


 ダメな人か、そうか。ああ、ハル、かなり刺さったよ。


「おかーさんがいない時の事も、考えた方がいいよ」


 返す言葉もないな。ハルに言われるまで、俺は自分が浮かれている事にすら気付いていなかった。


「そうだな、ハル。平常心! だな」


「うん、でも難しいよね。ぼくもドキドキする」






 朝の鐘が鳴る。ミトトの鐘は、カーンカーンと高く乾いた音だ。シュメリルールの街の鐘は、コーンコーンと少しこもった音だった。鐘番の爺さんが、朝も昼も夕方も太陽があのへんまで来たら、という感じでアバウトに鳴らしていたっけ。


 朝の鐘が鳴った。


 俺は鐘の音を、試合開始のゴングみたいだと思いながら、教会の扉を開く。


 この世界の朝の挨拶は「今日もよろしく」みたいなニュアンスだ。初めて会う人にも、特によろしくしなくても良い場合でも使う。最初は少し違和感があったのだが、日本でも遅く起きても「おはよう」って言うからな。


 そんな感じの『ティラ・チャルジオ』という朝の挨拶をしながら、扉をくぐる。ハルが俺の手をギュっと握った。二人とも手汗をかいていて、ぬるぬるだが俺も握り返す。舌がせり上がり声が詰まってしまう。


 いま喋ったら、きっと噛むな。物理的にも。


 吹き抜けの広い部屋へ入ると、胸に手を当ててうつむく人がいた。砂漠の人達と同じ被り布フィーヤの間から、砂漠ジャッカルの耳がのぞいている。


 朝のお祈りを邪魔してしまったのに、その年配の女性は、立ち上がって穏やかな笑顔で迎えてくれた。


「耳なしの女性がいると聞きました。会わせてもらえますか?」


 ゆうべからあくびの背中で、ハルと何度も練習した台詞を一気に口にする。口の中がカラカラだ。


「耳なし、ですか……」


 女性の顔に困惑が浮かぶ。不振に思われる事は想定済みだ。俺は頭の被り布フィーヤを外し、更にポンチョのフードを下ろす。ハルも、同じように頭を晒しながら、


「家族を探しています」


 と言った。


「ああ! そうですか! 呼んでくるから待ってて!」


 ジャッカル耳の女性は、俺たちの頭をたっぷり三秒見つめてから、バタバタと走って行った。


 どうやら情報の通りに、耳なしがいるらしい。


 ハルが俺の脇腹にしがみつく。俺もハルの頭をギュっと抱える。













 ジャッカル耳の女性が連れて来たのは、明らかに寝巻き姿の、中学生くらいの女の子だった。


 情報は、これ以上ないくらい正確だった。ナナミではない。子供で、耳なし、女の子。どれも間違っちゃいない。


 女の子は、呆然と立ち尽くし、おずおずと口を開いた。


「あ、あの! もしかして、もしかして、日本の方ですか?」


「うん、そうだよ。君も日本人?」


 女の子は俺の質問には答えずに、盛大に泣き出した。それはもう、涙をポロポロ流し、顔を隠す事もせず「うーっううーっ」と唸り声を上げ、ゲホゲホとむせながら泣いた。


 ジャッカル耳の女性は、そんな彼女の背中を心配そうに叩いてくれている。


 ハルが、複雑な顔で見上げてくる。俺もたぶん同じような顔をしている。俺は、残念だったなと、ハルのあらわになった頭をポンポンと叩くと、背中を押して彼女の元へ歩み寄った。


「よく頑張ったな。もう大丈夫だ」


 俺は何と声をかけようか迷ったが、泣いている子供には、この言葉が必要な気がした。


「日本語! 日本語だ! こ、言葉が全然わからなくて、み、みんな耳があって、ここがどこか、わからなくて!」


「うん。俺たちも同じだったよ。ひとりでよく頑張った」


 ちょっと失礼かな、とも思ったが、彼女の頭をガシガシと撫で回す。俺はえぐえぐと泣いているこの少女の頑張りを、たたえたいと心から思った。


「お姉ちゃん、言葉はぼくが教えてあげる。ぼくもあんまり上手じゃないけど」


「ぼくは、ハル、って名前だよ。お姉ちゃんは?」


 女の子はカクンと膝を着き、ハルに抱きついて、また泣きながら言った。


「ぐるびー。わだじはぐるび」


「えっ? ぐるびちゃん?」


 変わった名前だ。ハーフか?


 ジャッカル耳の女性が、ぐるびちゃんにハンカチを渡す。


 女の子はズビーっと鼻を噛むと、少しは落ち着いたようで顔を赤くして言った。


「クルミ、です」


 良かった。普通に可愛い名前だ。

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