第六話 夢で聞く声

 夢というのは、なぜ声が聞こえるのだろう。脳が再生するのだろうか? 目が醒める瞬間、すぐ耳元でナナミの声が聞こえた。


 手を伸ばせば、抱き寄せられるようなリアルさだった。


『ヒロくん、ずるい』


 えっ、そんな言葉? せっかくならもっと色っぽい言葉が聞きたい。


 好きとか、愛してるとか?


 いや、あんまり言われた事ないな。俺たち夫婦は一般的な日本人がそうであるように、そんな言葉とは、あまり縁のない生活が日常だった。


 ナナミが好きだと言ってくれたのは、俺の『手』くらいのものだ。


 小学校三年生でミニバスを始めて、中学の部活でもバスケをやっていたせいか、俺の手は大きい。まあ、大きいのは手だけで、背は百八十には届かなかったのだが。


 俺が色鉛筆を握って絵を描いていると、


「サーカスの熊さんが、自転車に乗ってるみたい」と、言われた。


 められてるのか、ビミョーなたとえだ。サーカスの熊が、器用に自転車に乗るさまのように、


『そんなに器用な事が出来るんだ! すごい!』みたいな意味らしい。


 俺の手はそこまでゴツくないし、コラーゲンたっぷりでもない。ハザンの手に比べれば、俺の手なんて華奢きゃしゃなもんだ。



 ヒロくんの手、好きだな。


 そんな風にナナミは言った。


 絵を描いてる時、包丁やフライパンを握ってる時、ハルの宿題の粘土を、一緒にねている時、ドライヤーでハナの髪の毛をかわかしている時。


 割と頻ひんぱんに言われた。いつのまにか俺も、意外に器用に動く自分の手が好きになり、よく動かすようになっていた。


 つまり、掃除をしたり、料理をしたり、洗濯物を畳んだり。そんな事が嫌いではなくなっていたので、あれはナナミの策略さくりゃくだったのかも知れない。


 まあ、お陰様かげさまで、こうしてキャラバンの仕事にありつけたのだから是非ぜひもない。



 夢とはいえ、ナナミの声を久しぶり聞いたので、嬉しかった。これが虫の知らせとかいうものか? とも思ったが、


『ヒロくん、ずるい』から、ナナミ虫が俺に知らせたい事を読み取るのはむずかしい。強いていえば、俺が子供たち二人と一緒にいる事だろうか。


 ああ、そうだな、ナナミ。俺ばっかりでごめんな。早いとこ二人を連れて行くから、そんなに膨れるなよ。


 俺は頭の中に浮かんだ、ナナミの膨れっ面に向かって謝った。


 だからナナミ、ひとりでも負けないでくれ。俺が行くまで、どうかつぶれないでくれ。



 さて、ナナミの声の余韻よいんに、いつまでもひたっているわけにもいかない。キャラバンの朝は早い。


 馬車は相変わらず赤い大地に伸びる、石畳いしだたみの街道をひた走る。水場を見つけると休憩し、狩りをする。あまり大きな獲物は狙わず、谷ウサギや足長鳥、蛇なんかも狩った。今回の旅は、積荷つみにの商品が占める割合が高い。


 綱渡り的な危機感ききかんを感じたりもしたが、実際ガンザは優秀な狩人だし、ヤーモはどこからともなく食べられる野草やサボテンを集めてくる。俺とハルはどちらにも着いて行くので、この世界でのサバイバル知識と技術は日々うなぎ登りだ。と、自分たちでは思っている。


 日課になったストレッチと筋トレ、反復横跳び、朝のメニューをこなす。ストレッチと筋トレは良いのだが、反復横跳びをしているところを誰かに見られると、とても恥ずかしい。どうにも気恥ずかしい。でも急にめるのも、恥ずかしい。


 おい! じっと見てないでなんか言えよアンガー!


「ヒロト、朝メシは甘い卵焼きが食べたい」


 俺の反復横跳びは、アンガーの心には届かなかったらしい。


 おう! 甘い卵焼きな! 片栗粉入れてフワトロにして、砂糖と塩の1:1.2の黄金比率で作ってやるぜ!


 ああ、そういえば卵の賞味期限(水の樽に入れて暗所で一週間程度)がもうすぐだ。景気良く使おう。


 俺が地球から持ち込んだもので、スマホ以外だと一番役に立っているのは、ジップロック様とタッパー様だ。密閉できる容器というのは、食品保存において、この上なく強い味方だ。


 ちなみにタッパーにはサンドイッチ、ジップロックにはおしぼりとくだものと、保冷剤が入っていた。日本では使い捨てに近かったジッパー付きビニール袋を、俺は大切に大切に使っている。



 徐々に日差しが強くなってきている気がする。昼と夜の寒暖差かんだんさが大きくなっている。あと数日もすれば、砂漠の入り口が見えて来るらしい。


 入口?

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