第十八話 クルミ
クルミちゃんが寝巻きを着替えてくる間、通された部屋でジャッカル耳の女性と少し話した。
「あなた方は耳なしなのに、言葉がわかるのですね?」
「少しだけ。下手、です」
「クルミは二週間ほど前に、街の入り口に倒れていたそうです。そして、踊り子のような、夜の女性のような服を着ていたので、ターナリット(娼館)に連れて行かれたようです」
「えっ!」
「客を取らされる事はなかったようですが、少々怖い思いもしたようです。教会へ連れて来られた時には、すっかり怯えていました」
俺とハルはさゆりさんの単語帳を捲りながら、ジャッカル耳シスターにはパラヤさんの単語帳を渡し、お互い異世界語、日本語を混じえて情報を交換する。
「行方不明の妻を探しています。クルミは、家族ではない。でも故郷同じ。困ってる、助けたい」
「あなた方は、本当に耳なしなんですか?
「カチューン?」
「カミサマ、ブカ」シスターが単語帳をパラパラ捲り、文字を追いながら言った。
神様の部下、か?
「カミサマ、関係ない。耳、ある。そういう種属」
俺はハルの髪の毛を搔き上げ、耳をシスターに見せる。俺の耳は見せない方が良い、とリュートに以前言われた。
「ああ、クルミと同じ耳ですね。そうですか。異国の方なんですね」
「そう、とても、遠い」
転移や、地球の説明をするかどうか悩んだが、そのへんはクルミちゃんと相談して決めよう。
ようやく信用してもらえたようで、ジャッカル耳シスターが席を外し、クルミちゃんが部屋に入ってきた。
「落ち着いたかい?」
「はい、泣いたりしてごめんなさい」
「改めて、おじさんは、二ノ宮ヒロト、息子のハルだ」
「あーー! もしかして四人家族ですか?」
「うん、妻は行方不明で、娘は留守番してるけどね」
「二ノ宮さん一家、失踪事件。二、三年前にかなり話題になりました!」
俺とハルは顔を見合わせる。
「足取りが、公園に向かう途中で
「あ――。ごめんなさい。興味本位で騒いでしまって……」
俺とハルが渋い顔をしていたのに気付いたクルミちゃんが、申し訳なさそうに言った。
「わたし、日本語で話せるのが嬉しくて、つい……」
「大丈夫、気にしないで。それより二年前なのかな?」
「たぶん三年前ですね」
「俺たちは、この世界に飛ばされて、まだ半年足らずなんだ」
「えっ!」
「俺たちは2018年、八月にこの世界に来たんだ」
「わたしは2021年、八月です! なんで?!」
おお! 未来の人だ。なんかすげぇな。
「うん、俺たちもよくわからないんだよ」
「ここはなんなんですか? 異世界なの? 他の星なの?」
「ごめんな。それも全然わからない」
「か、帰れるんですか?」
「それもわからない。ごめんな、おじさんクルミちゃんの質問に答えてあげられなくて」
クルミちゃんは、また泣き出してしまった。
「クルミお姉ちゃん泣かないで。ぼくたちはクルミお姉ちゃんとお話しできるでしょ? 怖い人や動物が来たって、おとーさんとあくびが守ってくれるよ。あったかくておいしいごはんをいっしょに食べて、さみしかったらぼくがいっしょに寝てあげる。だから、もう大丈夫でしょ?」
…………。すげぇなハル、
クルミちゃんはハルに頭をよしよしされて、ポロポロ涙を流しながら、うん、うん、と頷いている。
「そう言うわけだから、君さえ良ければ一緒に行こう」
まあ、なんとかなるだろう。扶養家族のひとりや二人。キャラバンの給料と、風景画の委託販売、あとは頑張って似顔絵屋さんもやれば。――なんとか、なるよな?
クルミちゃんは十二歳の中学生一年生。武蔵野市在住で、バレリーナなのだそうだ。三歳から十年もバレエ一筋で、転移当日もお教室でバーレッスンの
ああ、だから踊り子みたいな服装か。きっとレオタードか練習着だったのだろう。
転移当日、手ぶらで、トウシューズで、なんとかこの街までたどり着いたらしい。目が覚めたら娼館にいて、いきなり品定めするような視線に晒された。心底怖かったと、クルミちゃんは言った。十二歳の少女にはキツイ状況だ。
言葉がわからず、耳と尻尾がない。この特徴に思うところがあった娼館の支配人が、教会に連れてきてくれたそうだ。耳なしは地方によっては、宗教的な意味合いを持つ。
クルミちゃんは俺たちと一緒に行くと言った。
「わたしは踊る以外の事が、何もできません。それでも着いて行って大丈夫ですか?」
それは凄い。逆に言えば、わたしは踊る事ができます。と言っているのだ。この年で、自分ができる事を明確に、自信を持って言えるのは大したものだと思う。
そして切なくなる。この世界は、彼女の目指した
「機会があったら、是非踊って見せて欲しい」
俺が言うと『いつでも踊ります』と、嬉しそうに笑った。
ジャッカル耳シスターとこれからの事を話す。クルミちゃんはハルと別の部屋に行ってもらった。ハルに言葉を教えてもらうそうだ。
「クルミを連れて行きますか?」
「はい。本人が望んだ。任せる、大丈夫」
「そうですか。さみしくなります。言葉はほとんど通じませんでしたが、クルミは優しい子です。どうか、よろしくお願いします」
「落ちたら、書く、手紙」あ、違うな。
「落ち着いたら」
俺が慌てて言い直すと、シスターはようやく笑ってくれた。
「あなたを信じます」
あくびは夜通し走ったから、今日一日ゆっくり休ませてやりたい。出発は明日の朝になるだろう。パラヤさんの単語帳をシスターに、さゆりさんの単語帳をクルミちゃんに渡しておいた。
今まで伝えられなかった事が、少しでも伝え合えると良いなと思う。夕方、一緒に食事に行く約束をして、教会を出た。
ナナミには会えなかったけど、ミトトの教会に来て良かったなと思う。さゆりさんと爺さんも反対はしないだろう。むしろ、さゆりさんはバレリーナの衣装とか、嬉々として作ってくれそうだ。
宿に戻って少し仮眠したら、ミトトの街をぶらぶらしよう。結局朝は港に行けなかったから、船を見に行くのも良いな。ミトトの名物料理は何だろう。
そういえばロレンに、干物を持てるだけ買って来るようにと、金を渡されていたっけ。クルミちゃんの事、相談しないで決めちまったけど、まあ大丈夫だろう。俺が責任持つし。武力以外はな。
俺はあくびを噛み殺しながら、ハルと宿屋を目指して歩いた。
あくびを噛み殺す。いや、無理だな、物理的に。想像すると笑ってしまう。ハルに説明すると、
「あくびは、ぼくが噛み付いたって、きっと気付かないと思うよ」
と言って笑った。
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