第三話 リュート

 翌朝、いつも通り夜明け前に起きた。ハナはユキヒョウの姿で、腹を見せて寝ている。いつのまに脱いだのか、寝巻きとパンツが足元で丸まっている。腹を撫でるとくすぐったそうに身をよじった。


 うわっ! 腹の毛、ふわふわだな!


 足音を忍ばせハシゴを降り、以前のように大岩の壁に登って朝陽が登るのを待つ。煙草は最後の一本を残し、とうになくなっている。久しぶりに見る大岩からの見る夜明けは、相変わらず素晴らしかった。


 俺は地平線が徐々に金色に染まるのを眺めながら、ハナの事を考えていた。


 ユキヒョウは地球では確かチベットとか標高の高い雪山に住んでいたはずだ。茜岩谷サラサスーンのような乾燥地帯で、大丈夫なのだろうか?


 いや、今心配した方が良いのはそこじゃない。ーーどこだ?


 ハナはハナだしなぁー。耳と尻尾が生えて、時々ユキヒョウに変身するだけだし。


 いや、それは、だけとか言うレベルじゃない。ーーどんなだ?


 例えて言うなら、


 夏休み、久しぶりに会ったクラスメイトが、髪を切り、ノースリーブのワンピースがふわりと揺れてるぜ! 制服じゃない彼女の新しい魅力発見☆


 いや、その例えはさすがに。ーーどうかな?


 とりあえず俺の親バカは、ハナへの愛情が少しも変わりがない事を告げている。変わりないどころか増し増しだと!


 よし! 結論も出たし、久しぶりにサラサスーンでの朝の日課を済ませよう。


 大岩の壁から降り、洗顔からのストレッチ、畑の周りをランニング、その後筋トレと反復横跳び。そしてまたストレッチ。


 ハルが起きてこないな、と思っていたらリュートが起きてきた。


「ヒロト、早起き」


 おはよう、と挨拶を交わして一緒に歯を磨く。歯磨きするとさすがに傷口が痛むな。


「ヒロト、俺、子供産んだ」


 ブファー!


 俺はうがいのために口に含んでいた水を吹き出した。


 リュートが産んだのか? いつのまにとか、異世界だからあり得るのかとか、どっから出したんだよとか、そんな事を二秒で考えた。


 リュートは真っ赤になって、


「間違えた! 間違い! 出来た、子供が出来た、ラーナに!」と言い直した。ああ、そうか、良かった。ちょっと本気でびっくりしたよ。






「俺は子供を作るのが怖かったんだ」リュートにしては珍しく、この世界の言葉で言った。


「俺の母親は、この世界の人間じゃないから」


 母さんには言わないで、と日本語で言う。


 俺は「バーカ」とリュートの頭を後ろから小突いた。


「子供はなんでも可愛いさ」


「うん、ハルとハナを見てて、そう思った。だからやっと、子供作ろうと思った」


 リュートの嫁さんは、さゆりさんの事情や俺の素性を知らない。


「ラーナに話した、全部。母さんのこと、俺の心配の事、ヒロトたちの事」


 俺も、父親になりたいと思ったんだ、とリュートは言った。


 そうか、と俺は言った。


 そして、おめでとう、と言った。







 その後、俺は妊婦の心理状態や、そんな時に一人にした場合どんな事を、何年くらい言われるはめになるかを説明してやった。


 リュートは顔色を悪くして馬に飛び乗り、荷物も持たずにシュメリルールへと帰って行った。


 そして次の日、改めて嫁さんを連れて大岩の家へとやって来た。



 嫁さんことラーナは、それはそれは嬉しそうに笑っていた。

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