第十二話 分岐点〜ロレン〜

 リュートが、自分の髪の毛をガシガシと掻き回し、その場にドスンと腰を下ろしました。


「父さん、そんなの急に決められない。少し話し合おう」


 カドゥーンさんが頷きます。


「ヒロト、そんなわけだ。すまねぇけど、ひとりで入ってくれ。俺たちには考えなけりゃならねぇ事がある」


「それから」




「二ホンに帰る方法が見つかったら、さゆりに教える前に俺に教えてくれ」


「心の準備が必要だ」




 ヒロトは何か言いたそうにしていましたが、黙って頷くと部屋に入って行きました。




 リュートとカドゥーンさんは、家族に元耳なしのさゆりさんという存在がいます。ヒロトからも、私の知らない事をたくさん聞いているのでしょう。実際どこまで踏み込んで良いのか、躊躇ちゅうちょする場面ではありますね。


「二ホンの事を少し教えてもらっても、いいですかね?」


「ああ。だが、隠し事はするかも知れない」


 リュートが言い、カドゥーンさんも頷きます。


 この人たちはヒロトと同じ種類の人間ですね。誠実であろうとする。なるほど。


「ヒロトはなにをそんなに心配しているんですか? 二ホンは便利で平和で、暮らしやすい世界だと聞いています。夢のような世界に思えますよ、私には」


「人だけが、暮らしやすい世界らしい。人が増えすぎて、家畜とペット以外は住む場所がどんどん減ってしまっている。山は崩されて、海も空気も汚れてしまっているそうだ」


 リュートが考え込むように言いました。


「それはまた……。すいぶん無茶をしたものですね。ああ、だからヒロトはいつも見惚れていたんですね。山も海も、砂漠でさえ、飽きもせずに眺めていた。ハルも嬉しそうでしたよね」


「一度手にしてしまった便利さは手放せねぇ。強い武器も同じだ」


「まあ、わかるような気もしますが、それは超越者の視線ですよね? 二百年も三百年も先の事を、心配してもしょうがない気がしますよ?」


「今この瞬間が分岐点だとしても、ロレンは同じ事が言えるのか?」


 リュートの言葉で、寒気がした気がしました。でも言わせてもらいましょうか。たぶん、それが私の役割だから。


「私たちが選ぶのですか? この世界の未来を? それは傲慢過ぎやしませんか?」


「ヒロトはおそらく、この世界をとても気に入っている。さゆりさんもそうですよね? 二ホンに帰る事を望まないほどに。便利さと引き換えに失った物を、知っている人の選択です。私たちは知らない。便利さも知らないし、失ってもいない」



「あの部屋に私たちが入らなかったとしても、世の中はきっと進んで行くと思います」


 少しだけ開いた引き戸が、まるで知らない世界への入り口のように感じます。それは尻尾の毛が逆立つほど怖ろしくも、マタタビのように甘い誘惑にも思えます。


 カドゥーンさんが、苦々しい顔で口を開きます。


「世界を巻き込んだ大きないくさが何度もあったそうだ。シュメリルール三つ分ぐれぇの人が、いっぺんに死ぬような武器が使われたらしい。それでもやめずに、もっとたくさんの人を殺す武器が作られている」


 それはまた……。確かに言葉に詰まりますね。



「リュートもカドゥーンさんも、この部屋に入るのは反対なんですか? 入りたくない?」


 ふたりは、お互いにそっぽを向いて言いました。


「入りたい。ダメなら縛ってくれ。我慢できる気がしない」


「入って、ヒロトに聞きてぇ事が山ほどある。ダメなら俺も縛ってくれ」



 ……! ぷっ!


 この人たちは。憎らしいくらい『人』そのものですね。ヒロトが無条件に信頼するのも合点がいく。


 進む危うさを知ってなお、進もうとする。呆れるくらい誠実なくせに、我儘で貪欲で、それでいて。


 だからこそ、この人たちとなら、どうにかなる気がしてしまう。


 この場所で私たちが、取捨選択する事がこの世界に何をもたらし、どんな可能性を奪うのか。


 魔王の選択と呼ばれるのか、神を語る気狂いと呼ばれるのか。


 いいでしょう。おつき合いしましょう。地獄の底まで。



 ああ、ヒロトが出てきましたね。何か言っています。







『すまん。さっぱりわからん』




 えーーーーーーっっ、ヒロトォーーーーッ!



『おい!』


 そんなの、三人同時に突っ込まずにはいられませんって。

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