第二十二話 失くしたもの

 実際、あくびは、後の事を本当に引き受けてくれた。


 俺の左手を粘着質な唾液で固め、出血を抑えつつ背中に乗せて、一番近い街まで一昼夜走り通したらしい。


 自分だって片目を失い、血を流していたのに。


 街の人たちは、そりゃあ驚いただろう。見た事もないくらい大きなトカゲが、血塗れの死体と見紛みまごうほど、顔色の悪い男を背負っているのだ。


 ハルが言うには、しばらくは、誰も近寄って来てくれなかったらしい。


 虎に襲われた事を話すと、自警団の人が教会へ連れて行ってくれたそうだ。


 この街は、もう随分とザバトランガから離れていたので、耳なしの扱いは穏やかなものだった。俺は速やかに教会へ運ばれ、治療を施された。


 教会の人たちは、あくびの治療もしてくれた。だが、残念ながら右目は使い物にならなくなってしまったらしい。


 爬虫類の視野は驚くほど広い。その半分を失ってしまったあくびに、どれほどの不便があるだろう。俺たち家族は、あくびに生涯頭が上がらないだろう。


 まあ、元々そんな感じだったから、あまり変わらないかも知れないが。


 俺の左腕は、肘から先がぐちゃぐちゃに噛み千切られていた。改めて切断し、今はきれいに縫合ほうごうされている。


 そのへんの治療中、俺はすっかり意識を失っていたので、さっぱり覚えていない。きっと、切ったり縫ったり削ったりしたのだろう。途中で目が覚めなくて、本当に良かった。


 不便がないと言ったら嘘になるが、まあなんとかなるだろう。きっとハルやハナも、色々手伝ってくれる。


 腕が片方だけになって、途方にくれたのは、初めてひとりでトイレに行った時だったりする。いやまじで。さすがにハルに手伝ってくれとも言えない。


 しかし、本当に右手じゃなくて良かった。左手で前と同じ絵を描けるかと言ったら、難しい。


 義手的なものが欲しい気もするが、このあたりには良い職人がいないらしい。それに、今はまだ、傷口が安定しないのでどちらにせよ、義手を付ける事は出来ない。


 傷口が安定するまでには、一ヶ月以上かかるらしい。結局二週間も寝込んでしまい、体調は回復したが、体力と筋肉は落ちているだろう。また頑張って鍛えないとな!



 今回の事で、俺たちが失ったもの。それは、あるだろう。


 だが、俺は晴れ晴れとした気持ちだった。達成感すら感じている。


 あの、白い母虎と正面から向かい合った時。絶対にかなわないと思った。三輪車で、大型トラックに突っ込んで行くような勝負だったと思う。それくらい圧倒的だった。


 その迷いのないチカラの行使に、俺は、見惚れてすらいた。自らの為、子供のために、段違いで不公平なほどの力を、躊躇ためらう事なく振るう。


 命を賭けた勝負の、舞台に上がった俺と白虎は、真実、対等だった。俺が、本当は地球人だとか、この世界の人たちが知らない事を、本当は知っているだとか。そんな潜在的に持っていたや罪悪感を、遥か彼方に吹き飛ばすほどに、ただ、対等だった。


 そしてその舞台の上で、俺はやっぱり、情けなくなるくらい弱かった。地球の、爪や牙を持たない人間たちが、なぜより強い武器を望んで進化していったのか、やっとわかった気がした。


 まあ、そんなわけで『生きているだけで見っけモノ』『ハルとハナが無事で、白虎さんありがとう』。今は、そんな気分だ。




 教会での治療費や宿泊費用は、結構な額になった。手持ち分では到底足りなかったので、病室で似顔絵屋を開いた。


 この街の人たちは、驚くほど耳なしを恐れない。恐れないだけじゃなく、寄ってくる。


『ちょっとうちの子の頭、撫でてくれない? 耳なしに撫でてもらうと風邪ひかなくなるんでしょ?』とか、


『耳なしに会うと、探し物が見つかるらしいと聞いてのう。三日前から小銭入れが見当たらんのじゃよ』


と言った具合だ。そんなの知るか!


 ハルは道を歩くだけで、みんながお菓子をくれると言っていた。


 神さまの御使いカチューンという呼び名を聞いた事はあったが、この街での耳なしは、ラッキーアイテムに近い。


『縁起がいい』


 みんなそう思っているらしい。



 俺の似顔絵も、そんな感じで物珍しがられ、教会の治療師からドクターストップがかかるほど、客がやってくる。


 若干、霊感商法に手を染めているような気分にもなるが、適正価格からの値上げはしていないので、まあ良しとしてしまおう。


 みんな喜んでるしな!


 今朝の診察で、どうにか旅立ちの許可をもらえた。治療費もなんとか、耳を揃えて払う事が出来た。あくびの怪我の具合も、順調に回復したらしい。


 ナナミのいる『ミンミン』の街まで、あと二週間程度。


 さあ、旅を再開しよう!

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