第四話 挿絵の中の耳なし

 あらためてパラヤさんと旦那さんに礼を言い、帰りにまた必ず寄る約束をして宿への帰路に着く。



 鳥の人たちは、鳥の姿になったとしたら、本当に空を飛ぶ事が出来るのだろうか。風に乗り、上昇気流をつかみ、自分の羽で羽ばたくのは、どんな気持ちがするのだろう。赤い大地を走る、大角牛の群れを眼下に望み、夕陽に向かって飛ぶ。


 それは想像するだけで、胸が踊るような光景だった。



 そう言えば、パラヤさんが帰りぎわに単語帳を貸してくれた。子供の頃使っていたというその単語帳は、さゆりさんの単語帳とは逆、つまりこの世界の人が日本語を覚えるためのものだった。


 これはもの凄くありがたい。


 俺が分厚く硬い言葉の壁を、小さなシャベルで少しずつ削っていたら、壁の向こう側の人が手伝うよと言ってスコップで掘り始めてくれるようなものだ。


 穴が開いて、顔が見えるの日も近いかも知れない。大切に使わせてもらおう。


 ちなみにパラヤさんの単語帳の一番最初の言葉が「お母さん」「ごめんなさい」「もうしません」だったのには、少し笑ってしまった。次が「ありがとう」「大好き」と続く。小さなパラヤさんがさゆりさんに、さゆりさんの言葉で伝えたかった大切な気持ちだ。


 ふとさゆりさんの単語帳も、一番最初を開いてみた。


「これは食べられますか?」だった。


 切実だった。




 宿屋の部屋でハルと二人、俺はスマホを、ハルはさゆりさんの単語帳を片手に、耳なしの伝承を読み進める。


「『パーラアガエ、モナ、アモントエ、トート‥‥』ハル、『アモントエ』って何だ?」


「アモントエ?ア、ア、『アモントレ』ならあるよ。『決める、決心する、決断』だって」


「あ! アモントレだった。えーと『私たちは大きく決めるが必要』か? うーん『我々には、大きな決断が必要だった』とか、そんな感じか?」


 人の口から出る言葉には、その人の表情が乗り、感情がこもる。温度があり、湿度があり、硬さや柔らかさがある。それだけで伝わる事だってたくさんあるのだ。


 俺とハルは、それらの情報受け取り、数少ない語彙ごいと合わせて、半ば連想ゲームのように言葉を理解していく。


 そんな訳で今の俺たちが、この世界の文字で文章を読むというのは、なかなか骨の折れる作業なのだ。ましてや、伝承や昔話は普段話している言葉とは、少し違って昔の表現らしい。


 日本語があやしい外国人が、枕草子まくらのそうしに挑戦しているようなものだ。俺なら絵本から始めるよう、アドバイスを贈る。


 まあゆっくりやって行こう。こういった作業も文章を読む勉強になるだろう。馬車の旅は時間もあるしな。


 俺は読み進めるのをひと休みし、挿絵さしえのあるページの写メを探した。


 耳なしが船に乗っている絵がいくつかあった。船は空を飛んでいるらしく、七福神しちふくじん宝船たからぶねのように、雲を棚引たなびいている。


 耳なしが口や手から火を吹いて、街を焼いている絵があった。獣の人たちの尻尾を引っ張ったり、縄で縛って無理矢理連れて行こうとしている。


 なるほどロレンの言っていた通り、耳なしにはふた通りの顔があるらしい。優しく笑いながら、空飛ぶ船に乗っている、神さまのような耳なし。恐ろしい炎を使い、理不尽な暴力で従わせようとする耳なし。


 この両方の事を出来る存在を、俺は知っている。




『人間』と言う名前の耳なしだ。

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