第七話 大きな商会の小さなキャラバン

 教会で教えてもらった海辺の街は、全部で五つ。その中で茜岩谷から一番近いのは『ラーザ』という名前の街だった。幸いなことに、この街とシュメリルールは貿易が盛んで、行商人やキャラバンの往き来があるらしい。探せば同行させてくれるキャラバンが見つかるかも知れない。


 問題は子供たちなのだが、俺は連れて行くつもりでいた。ラーザまでは山越えがあり、時折り盗賊の被害もあるらしい。危険はあるだろう。でも、さすがに旅の間ずっと、二人を大岩の家に預けておくわけにはいかない。


 何よりも俺は、子供たちと長い期間離れる事が、どうしようもなく不安だった。手を離した瞬間にどこかに行ってしまったナナミのように、ハルやハナが目の前から消えてしまったら、俺はどうしたらいいのだろう。そのことを考える度に、まるで地面が透明なガラス板になってしまったようで、不安感に圧し潰されそうになる。


「ダメよ! 絶対にダメ! ヒロトさんはこの世界がどんなに危険か、全然わかってないわ! 日本で旅行に行くのとはわけが違うのよ?」


 さゆりさんは大反対だった。キャラバンには護衛がいることが多いらしいが、道中の危険を思うと子連れでの旅など、絶対にやめて欲しいと声を荒らげた。


 おっとりしたさゆりさんのその様子に驚いたが、それだけ子供たちのことを思ってくれているのだろう。ありがたいとしか言いようがない。


「「俺が一緒に行くから、大丈夫だ」」


 さゆりさんの意外な剣幕に、まるでタイミングを合わせたみたいに、リュートと爺さんが申し出てくれる。


 全員似た者親子だ。お人好しで暖かい。この人たちに出会えただけで、この世界に飛ばされて来た事が、全くの悲劇じゃないと思えてくる。



 とりあえず、この件に関しては保留にしてもらった。まずは、ラーザまで行くキャラバンか行商人を探すのが先だ。これは、シュメリルールの街に住んでいるリュートが引き受けてくれた。料金の兼ね合いもあるが、なるべくしっかりした護衛のいる事を条件にさせてもらった。


 例えば、俺が護衛を雇い、馬車を借りてラーザまで旅をした場合、どのくらいの金貨が必要なのだろう。


 まず命を預けるに足りる護衛を雇うのに、だいたい一人につき金貨二十枚。馬車と馬を借りるのに金貨三十枚、食料などの経費で金貨十枚。俺の似顔絵屋の稼ぎだと、三、四か月分くらいだろうか。その間の大岩の家での生活費なども考えると、旅に出るのが半年先になってしまう。そんなに、ナナミを待たせるわけにはいかない。


 例えば俺ひとりで旅にでる場合。ハルとハナを大岩の家に預け、リュートか爺さんに護衛を頼み、馬だけ貸し馬屋で借りる。だが、そこまで世話になってしまっては、今の関係ではいられなくなってしまう気がする。第一、旅は一度で済むとは限らないのだ。


 それにリュートや爺さんに、金貨を渡してついてきてもらうのは、どうかと思ってしまう。俺は大岩の誰かが必要とするなら、腎臓のひとつや角膜の片方くらい、喜んで差し出す。でもいつか、金や物なんて無粋ぶすいなものじゃなくて、違う何かを返したいと思っている。


 出来れば俺がもらったみたいな、暖かい何かを。




 リュートが探して来てくれたのは、ラーザ以外にもあちこちに行商の旅をしている、割と大きな商会の、小さなキャラバンだった。護衛の数は二人だが、他のメンバーにも武闘派がいるらしい。このキャラバン、毎日の食事係を探していて、引き受ければ同行の費用を、大幅に割り引いてくれるらしい。


 これは願ってもない条件だ。俺は料理が好きだし、得意だ。ナナミが看護師だったこともあり、台所仕事は日常だった。キャラバンの食事係ということは、野外料理になるのだろうか。材料の調達や解体なんかも俺の仕事になるのか?


 リュートに付き添ってもらい、詳しい話を聞きに行くことにした。さすがに今回は、俺の異世界語レベルでは無理がある。



 ▽△▽



「シュメリルールから、ラーザまでは約二週間くらい、往復で約半季節(六十日でひとつの季節)の道のりですね。馬車は三台、護衛は二名ですが、私を含めて他のメンバーもいざという時は戦えます」


 リュートと一緒に訪れた、商会の店舗部分の一角で、黒いネコ耳の店長っぽい人が対応してくれた。


 ヤバイな、半分も聞きとれない。


(リュート、この人の話し方、他の人と違くねぇか?)


 こそっと日本語でリュートに聞いてみた。


(うん、丁寧な話し方。学校の先生に似てる)


 なるほど。また異世界語のハードルが上がってしまったらしい。


「お願いしたいのは、毎日の食事のこと全般と、馬の世話ですね。狩りや獲物の解体は、メンバーに得意な者がいますので、こちらで引き受けます。力仕事や御者の人員もいますが、手伝ってもらえるなら助かります」


「すみません。彼は異国の人間で、この国の言葉があまり得意ではありません。少しゆっくり発音して頂けますか」


「日常会話も難しいのですか?」


「今は心もとないですが、辞書的な物を持っていますし、学ぶ意欲もあります」


 リュートが肘で俺をつつく。何か言ってみろということだろう。


「料理、得意。馬、大丈夫。アルトゥーナ(がんばる)。マッセ、トーヤ(よろしく)」


 言いながら頭を下げる。目の前の二人のように丁寧な言い回しなど、とても出来やしない。カタコトもいいところだ。


「事情があってラーザ行きを希望しています。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうか、よろしくお願いします」


 リュートも丁寧な話し方をしているので、全ては聞き取れない。だが、俺のために頭を下げて、頼み込んでくれているのはわかる。たった一ヵ月前に、突然現れた厄介者のために一生懸命になりやがって。おまえ、お人よしが過ぎるだろう。


 自分の不甲斐なさと、リュートの必死な様子に、つい悪態をつきたくなる。


『これは断られるかも知れないな』。そう思った。


「まあ、大丈夫でしょう。ただ、危険な場合、こちらの意図が伝わらないのは困ります。打ち合わせは必要ですね」


 言葉を選びながら、ゆっくり発音する。たぶん俺のために、簡単な単語で話してくれている。だが、丁寧な口調は変えないらしい。


 独特の抑揚よくようを持つその話し方は、ともすれば酷薄こくはくそうに見える、アーモンドの形のを持つネコ耳の人に、とても似合っていると思った。

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