第五話 野営地の夜は更けて

 俺とハルが遅れて晩メシを食べていると猫耳店長こと、ロレンがやってきて言った。


「美味しかったです。なかなかの腕前ですね。うちの専属になりませんか?」


 知らない単語がいくつかあったのと、丁寧な話し方に流されて『グリグリ、マッセトーヤ(よろしくお願いします)』と頭を下げる。


「おとーさん! たぶん、ずっとうちで働いてごはん係をやって下さいって言ってるよ! そんな返事しちゃダメだよ!」


 ハルが俺の背中を叩きながら、単語帳をめくっていく。


 今のところ、俺の知ってる丁寧な言い回しは『よろしくお願いします』と『行方不明の妻を探しています』だけだ。


「どこか、見つからないの、ツマを探してイマス。つづける、するは、ざんねん。ごめんなさいカーニャ・ラザーナ


 ハルが、見つけた単語をつなぎ合わせて言葉を作る。


 ハル、俺の妻だ! 母だ、母!


 ハルが顔を赤くして俺の背中に隠れて『おかーさんカムラン』と、消えそうな声で言う。


 大丈夫だ! ハルが頑張ったの、お父さんわかってるから!


 ロレンは『ああ、そうでしたね』と言ったが、ちょっと肩が震えている。あの、笑うの、我慢してますよね?


「何か手がかりはあるのですか?えっと『情報・ヒントビ・ラリカン』」


「教会、海、街」


 ハルから単語帳を受け取って、今度は俺がめくらながら話す。


「海辺の街の教会ですか。それでラーザに向かうんですね。うむ、なるほど」


「わかりました。ラーザにお母さんがいると良いですね」


 ロレンはしばらく何か考え込んでいたが、ハルの頭をなでると馬車の方へ戻っていった。



 ハル顔を上げろ。うつむくな。二ノ宮家のたったひとつの約束ごとだろう? おまえはまだ、何も負けちゃいない。




 水場の水を汲み、洗い場で食器や鍋を洗い、穴を掘って生ゴミを埋める。さゆりさんの家では、野菜や果物の皮はチップス、骨は乾燥させてから砕いて肥料にする。エコロジカルな生活は手間も暇もかかるが、のちのちの憂いを考えると、かえって心穏やかでいられる。この世界ではゴミ回収車は来てくれないのだ。


 後片付けを終えて、手ぬぐいを濡らしてハルの背中や首の後ろをふいてあげていると、ハザンが大きな声で笑いながら歩いてきた。弟のトプルも一緒だ。テンションの高い兄と、そのバランスを取るように思慮深そうな弟。トプルの苦労を思うと、親近感が湧く。


 二人が上半身を脱ぎ、身体をぬぐいはじめる。夕焼けの微かに残る薄暗い中、見事な筋肉のかたまりが二つ浮かびあがる。おい、見ろハル! ケンシロウとラオウがいるぞ!


 リュートも細マッチョで格好良かったが、この世界で身体を使って働く人の筋肉は半端ねぇのな! 俺並んで脱ぐのヤダ!


 ハルが目を丸くして『ねー、おとーさん。ハザンもトプルもむねに毛が生えてるよ! さすがケモノの人だね』と言った。


 そこかよ! つーかハル、地球の人も胸毛は生えるんだ。ーーお父さんが貧相なだけだ……。ああ、ハルの無邪気な瞳が一層心をえぐる。


 夜番は、主に護衛役のハザンとトプル、ロレンの助手のアンガーが交代でつとめる事になっているらしい。俺は食事と馬の世話担当なので、夜番のメンバーには加わらないで大丈夫と言われた。何かあった時、俺が役に立つとはとても思えない。妥当な判断だろう。ハルと二人で、馬車の中で寝袋で寝る。


 ロレンとアンガーも別の馬車で寝るそうだ。テントはその他のメンバーで使う。ハルはテントで寝てみたかったみたいで、名残り惜しそうに眺めていた。


 馬車で二人きりになりスマホを取り出す。今日もナナミからは着信もメールもない。この世界に飛ばされた直後と、次の日に一度ずつ。その後は一切いっさいつながらない。謎電波が発生する、場所や法則があるのだろうか。


 俺は毎日寝る前に、一度だけナナミの携帯に電話する。今日も呼び出し音が聞こえる事はなかった。何度もやると辛くなるので、毎晩一度だけ試すことにしている。


「おかーさん、でんわつながった?」


「ダメみたいだなー」


 ハルの質問になるべく明るく応えてから、ナナミ宛てのメールを打つ。最初の頃は、街の名前を教えろとか、無事に暮らしているのか連絡して欲しいとか、なんとか帰る方法を一緒に考えようとか、悲壮感漂う内容だったが、最近は近況を知らせるものが多くなった。


 もっとも、未送信のメールが、増えるばかりなのだが。


 ハルやハナの楽しそうな様子や、一日の出来事を書いていた。写メを添付したりもして、日記やブログみたいなノリになってきた。今日は記念すべき旅立ちの日なので、ハルにも一言添えてもらい、ポチっと送信を試す。


『モバイルデータ通信に失敗しました。電波の状態を確認して下さい』


 あまり気に病まないようにしなければ。


 スマホを覗きこんで、がっかりしているハルの頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。


「明日も早いから寝るぞ!」


 目を閉じると、ハナのことを思い出す。もう寝ただろうか、駄々をこねてさゆりさんを困らせてはいないだろうか。ハナの『とーたん』と呼ぶ声を、しばらく聞けないと思うと胸が苦しくなった気がした。


 早く家族がそろわないと、俺の心臓がもたないかも知れない。そんなことを半ば本気で考えながら目を閉じた。

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