ナナミ編 ルルリアーナ

 この街に来てあっという間に二ヶ月が過ぎた。相変わらず、なぜこんなところに迷い込んだのかは、わからないままだ。養護施設やルル姐の仕事を手伝いながら、言葉とこの世界のことを教えてもらっている。


 私の知っている、身体の仕組みや血液の役割なども話す。下手くそな絵を何枚も書いて、ナナミ踊りを踊り倒す。それでも伝わる事は、ほんの一部分だけだったりする。


 最近のナナミ踊りは、単語ごとに対応する振り付けや、動詞に対応する身振りが確立してきて、その内手話しゅわのように使えるようになるかも知れない。


 耳の聞こえない人や、言葉の不自由な人に、便利なんじゃないだろうか。


 ナナミ踊りの名解説者であるルル姐に、そんな事を言ったら、


「そんな踊りを踊りたい人は、あんまり居ない」


 と言われた。


 失礼なルル姐だ。


「でも、身振りで言葉を伝えるのは良いかも知れない。手の言葉って言うの? 素敵ね」


 さすがルル姐、わかってくれる!


「もっと恥ずかしくない動作を考えないと」


 更に失礼だよ!


 今はナナミ踊りを洗練せんれんさせる労力は、言葉を覚える方に回せと言われた。


 もっともだった。



 お医者さんの時のルル姐は、宗教家の顔をかなぐり捨てる。命を見送る事を拒否し、無理矢理引き戻そうと足掻く。それでも手の平からこぼれるように、消えていく命を二人で何度か見送った。目の下に見事なくまを作り、乱れた髪を直そうともしない彼女は、それでもどんな宗教画より綺麗きれいだった。


 私が身振り手振りで教えた心臓マッサージを、患者の肋骨ろっこつが折れても続けるルル姐の鬼気きき迫る横顔を見た時は、心が震えた。後ろから羽交はがめにしてめたら、それでもめずに、バカヤロウ、あきらめんなよ、戻ってこい、戻ってこい、とつぶやいていた。


 その日からルル姐は『階段の上の魔女』と、宗教家に有るまじき名前で呼ばれるようになった。


 ちなみにその患者は、奇跡的きせきてきに再び心臓を動かし、折れた肋骨ろっこつ地獄じごくを見ながらも、今はベッドで元気に悪態あくたいをついている。


 実際この世界の人々の心肺機能しんぱいきのうや、内臓器官ないぞうきかんは、驚くほどタフで力強い。自然治癒力しぜんちゆりょくも考えられないほど高く、その耳や尻尾に相応ふさわしく生命力に満ち溢れている。





 私の看護師としての知識は、ある意味どうにもならないものが多い。まず注射器がないし、ケミカルな薬品など作るすべがない。


 それでも圧迫止血あっぱくしけつおぼれた時の対処法、感染症対策かんせんしょうたいさく欠乏症けつぼうしょうの知識なんかは、たぶんこの世界でも使える。ルル姐の持つ、この世界の薬効成分と獣の人の身体や臓器の知識があれば、出来る事もあるはずだ。


 圧倒的にこの世界の語彙ごいが足りない私には、知っていても伝えられない事が山ほどある。もどかしさに、頭をきむしりたくなるような日々が続いた。


 こんな時、夫のように絵を描けたらと、何度も思った。絵は文字よりも多くの事を正確に伝える事が出来る。私の「ナナミ踊り」で伝えられる事など、たかが知れている。


 私が『知っている』事に気付いたルル姐と、それこそ寝食しんしょくを忘れて言葉を勉強した。ルル姐も必死で日本語を覚えようとしている。知りたい事を本気で教えてくれる人が側にいる場合、習得度は格段に上がる。私の言葉の上達ぶりは、ルル姐のと私の執念しゅうねん賜物たまものだ。




 養護施設に今いる子供は五人。ご両親が事故や病気で亡くなってしまった子や、なんらかの事情で一緒に暮らせない子たちだ。みんな心に大きな傷を負い、抱きしめてあげる暖かい手が必要な子ばかりだ。


 私の手は二本しかない、と泣いた事がある。ちょうど患者をひとり見送ったばかりで、子供たちの傷に向き合うのが辛くてたまららなかった。


 ルル姐に八つ当たりするように、自分の不甲斐ふがいなさをぶつけた。子供が癇癪かんしゃくを起こすように、声を上げて泣く私のほおを、ルル姐の尻尾の先のふさふさがくすぐった。


「私にも手は二本しかないよ。でも、私にはこれもあるから」


 と、意外に器用に動く尻尾を、私の顔の前でフリフリと振って見せた。


 不器用ななぐさめ方と器用な尻尾の動きに、私はつい吹き出してしまい、でも涙は止まらなくて、泣きながら笑った。


 この人は私が来るまで、ひとりでこの苛酷かこくさに立ち向かっていたのだ。雄々おおしくたてがみを振り乱し、脚の間に子供たちを守り断崖だんがいに立つライオンのように。


 私も一緒に戦おうと思った。異世界がどうとか、耳がどうとか、私とルル姐にとっては大きな問題ではない。


 私はルル姐の事を「ルル」と呼ぶようになった。私の戦友の名前は「ルルリアーナ」という。この世界の言葉で、宵の明星の事だ。


 ルルのオレンジがかった瞳の色に似合う、とても綺麗きれいな名前だ。



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