第40話
視察が終わったらレニア領に来るユリウスとはここで別れ、アメリアはサルジュとマリーエとともに馬車に乗り込む。
目的地はもうすぐだ。
夏だというのに、馬車に乗り込むときに吹いていた風は少し冷たく感じた。
空を見上げると灰色の雲に覆われていて、今にも雨が降りそうだ。
去年の天候を思い出しながら、今年も暑い夏にはなりそうにない、と考える。
子どもの頃の夏はあまりにも暑くて、手伝うといいながら水浴びばかりして叱られたものだ。
けれど最近は雨が多く、水遣りをしなければならない日は少なかった。アメリアも冷害に強い新品種の小麦が作られるまでは、毎日晴れの日を待ちわびて、朝になるとすぐにカーテンを開けて空を確認していた。
虫害は厄介だが、人の手を使えばどうにでもなる。天候だけは、どんな魔法を使ってもどうしようもない。
その新品種の小麦を開発したサルジュとこうして故郷に帰ってきたなんて、今でも信じられない気がする。
そんなことを思い出している間にも、馬車はゆっくりと進んでいる。
この周辺はレニア領地ではなくとも農地が多い。サルジュは馬車の窓からずっと外を見つめている。
ここの領主は新品種ではなく、普通の小麦を植えていた。
やはり育ちはよくないようだ。
最近は人手不足で悩んでいたようなので、新品種を植えて虫害に悩まされるよりも、手間のかからない普通の小麦を選んだのだろう。
「ここの領主は?」
「キッティ子爵です」
サルジュの質問にアメリアはすぐに答えた。
「土地に魔法は使っているだろうか」
「いえ、おそらく使ってはいないかと。キッティ子爵家は代々風魔法の遣い手なのです」
「……そうか」
サルジュは静かに頷いた。
新しい水魔法が完成すれば、どの領地にも新品種の小麦を植えることができる。そう思っていたが、比較的数が多いとはいえ、すべての領地で水魔法が使えるわけではない。
たとえ新しい魔法を開発しても、ここの領主はこの小麦を植え続けるだろう。
(何か方法はないかしら……)
アメリアはレニア領地に入るまで、ずっとそのことを考えていた。
やがて馬車は、アメリアの故郷であるレニア領地に入る。
まだ半年も離れていなかったのに、もう何年も帰ってきていなかったような気がする。あの頃とは、アメリアを取り巻く環境が随分変わってしまったからだろう。
去年の今頃は、戻らないリースのことを思い出しながら、ひとりでこの麦畑の中を歩いていた。
ふと馬車が停止して、我に返る。
屋敷にはまだ到着していないはずだ。
顔を上げると、馬車の扉が開いていて、隣にいたはずのサルジュがいなかった。彼が馬車を止めるように命じたのだろう。
「サルジュ様?」
慌ててアメリアも外に出ると、彼は麦畑の傍でその状態を熱心に観察していた。馬で並走していた護衛騎士のカイドも、慌ててサルジュの傍に駆けつけている。
「アメリア、この土地は?」
「えっと、土魔法はなし、水魔法は水遣りのみです。向こう側は二年前に土魔法あり、水魔法はなし。反対側はどちらもなしです」
記憶を辿りながらそう答える。
傍にいたカイドが、全部覚えているのかと驚いた様子だったが、領地のデータはすべて頭の中に入っている。
その返答を聞いたサルジュは、二年前にリースが土魔法を使ってくれた場所まで歩いていく。
アメリアもカイドとその後に続いた。
「ここか」
「はい。ですが二年前のことですので、もう魔力はほとんど残っていないかと」
リースと一緒にこの場所を歩いた記憶が蘇り、アメリアは無意識に両手を握りしめる。
吹っ切れたつもりだった。
つらい思いをして、もうリースのことなんか何とか思っていないのに、あの頃の思い出はこうして景色を眺めるだけで簡単に蘇る。
ふと、震える手が温もりに包まれた。
サルジュがアメリアの手を握っている。
冷えた心を優しく包む温かさに縋るように、手を握り返した。
それから彼は、リースが土魔法を使った畑に魔法をかけてくれた。
リースとは比べ物にならないほど強い魔力で満たされている。
その間、ずっと手を握っていてくれた。
もう一面の麦畑を見ても、リースを思い出すことはない。思い出すのは、この手の温もりだけだ。
戻ると、馬車に残してしまったマリーエは先に屋敷に向かっていた。
なかなか到着しないことを心配した実家から迎えの馬車が来ていて、マリーエを先に連れて行ってくれたようだ。
彼女には悪いことをしてしまった。向こうについたら謝らなくてはならない。
ようやく屋敷に着くと、両親が少し疲れ切った顔をして迎えてくれた。どうやらサルジュを迎えるために、昼過ぎからずっと待機していたようだ。今はもう夕方である。
疲労を隠しきれないまま挨拶をする父に、さすがに少しだけ申し訳なく思う。
マリーエにもきちんと待たせてしまったことを謝罪する。先に訪れていた従弟とカイドの妹のミィーナにも挨拶した。
その夜は歓迎の夕食会が開かれた。
レニア領は農地が多いため、食材は豊富である。王都にはないものもあるので、サルジュは興味をそそられたようだ。
王城で出されるものとは比べ物にならないほど素朴なものばかりだが、楽しんでもらえたようでほっとする。
滞在中にサルジュには屋敷の中で一番広い部屋が用意されていた。
だが、彼はほとんど応接間にいる。
アメリアの資料を見たがっていたが、過去のデータは地下室にある。まさかそんな場所にサルジュを連れて行くわけにはいかない。
だから応接間に書類を運んでもらい、そこで見てもらうことしたのだ。数日はデータの解析に費やし、ある程度それが終わると、今度は農地の視察に向かう。
アメリア達の到着から数日後にはユリウスもこの地を訪れ、マリーエと町を見に行ったり、農地を見学したりして過ごしているようだ。
カイドの妹のミィーナは従弟に領内を案内してもらったり、サルジュに土魔法を教わって畑にかけたりしていた。
サルジュとアメリアは農地を周りながら、何度も水魔法の実験を繰り返していた。
色々な魔法式を組み合わせてみた。
だがサルジュほどの魔力を持っているなら使えるが、アメリアではうまく発動させられないことが多い。
今日もまた、実験用に植えられた色々な作物に対して魔法を繰り返している。
空気が冷たくなってきたと感じてふと見上げると、空が曇ってきたようだ。
そろそろ戻らないと雨が降りそうだ。
そう思ってサルジュに声をかけたが、それよりも早く雨が降り出した。
思っていたよりも強い雨で、雷鳴まで轟いている。
そのため木陰に隠れることもできずに、あっという間にずぶ濡れになってしまった。
「今年も雨が多いようだな」
濡れた金色の髪をかき上げて、サルジュが空を見上げて呟く。
サルジュとアメリア、そして護衛のカイドは農作業用の古びた小屋に避難していた。
濡れたままでは体調を崩してしまう。早く馬車に戻らなくてはならないが、あまりにも激しく降るので、もう少し小降りになるまでここで待機したほうがよさそうだ。
「……雨」
叩きつけるように降る雨の音を聞いていたアメリアは、ふと思いついてサルジュを見た。
「雨を再現する魔法式を使えば、水遣りの魔法の代わりになりませんか?」
水遣りに必要な魔法式は三つ。
「水」「広範囲」「降り注ぐ」だ。
それを「雨」という魔法式に変えることができれば、虫害を防ぐための魔法式である「害虫」「防ぐ」「無毒」の三つを加えて、魔法式は四つでいい。四つでもまだ多いが、元の六つよりはずっとましだ。
「雨か。そうだな。試してみるか」
サルジュも同意してくれた。
こうして、ただひたすら魔法式を組み合わせる日々が始まった。
闇雲に唱えても魔法は成立しない。
水遣りだけになってしまったり、無毒が発動しなかったりする。
魔法式の順序も重要であり、とても複雑だ。上手く組み合うまで何度も唱えるため、消費する魔力も多い。
朝からずっと魔法式を唱え続け、ふたり揃って魔力不足になって倒れてしまい、ユリウスには叱られた。
サルジュが魔力不足になるなんて相当のことだと言われ、よくよく聞いてみると、彼は昨日から一晩中、魔法式を試していたようだ。
そんな状態で次の日に朝から晩まで魔法を使えば、海のように豊富なサルジュの魔力も尽きてしまうだろう。
さすがにアメリアもサルジュに注意をした。アメリアだって夜遅くまで試していたが、朝になる前にちゃんと寝ている。
「いや、アメリアも大概だぞ」
ユリウスにそう叱られてしまった。
それからは水魔法の得意なユリウス、アメリアと同じく水属性の従弟も手伝ってくれた。
ミィーナはサルジュの代わりに農地を巡り、土魔法をかけてくれる。
マリーエも手伝いたいと言ってくれたが、さすがに「風魔法」と「雨」の相性は悪すぎる。
台風は農地の敵である。
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