2-8
アメリアからクロエの話を聞いたリリアーネは、やはり憤った。
「アレクシス王太子殿下とソフィア様は政略結婚。それでも良好な関係を築いていらっしゃいます」
友人でもある王太子夫妻の名前を出して、彼女は言う。
王太子であるアレクシスにとって、結婚は政略だ。だがふたりは互いに歩み寄り、立場を思いやり、今の関係を築き上げている。
それを思うと最初からビーダイド王国を忌み嫌い、よりによって歓迎パーティで暴言を吐いたクロエの行動は、やはりその場で婚約破棄されても仕方がないほどひどいものだ。
さらにリリアーネは続ける。
「サルジュ殿下はご自分でアメリア様を選ばれましたが、きちんとアメリア様の功績を示し、さらに国王陛下の許可を得て求婚されています。ですから、反対の声など上がりませんでした」
けれどエストの婚姻に関しては、国の上層部の中でも、今の状況でわざわざ他国の王女を迎える必要はないのではないかと言われているらしい。
双方が望んでいないのなら、ユリウスの言うように円満な婚約解消で構わないのかもしれない。
婚姻が成らずとも、友好国であることには変わりはないのだから。
「さあ、今日はもうお休みください。長旅からのパーティでお疲れになったでしょう。明日は視察ですから」
「そうね。サルジュ様とご一緒だもの」
考え込んでいたアメリアは、ぱっと表情を明るくした。
彼には、寝不足の疲れた顔など見られたくない。今日はもう余計なことは考えずに休むことにした。
慣れない他国の王城だが、傍には護衛であるリリアーネがいてくれる。
「ずっと朝までお傍におりますから、ご安心ください」
「うん。…・・・・ありがとう」
リリアーネに見守られ、目を閉じる。
明日になればサルジュに会える。今までは毎日会っていたはずなのに、楽しみで仕方がなかった。
翌日。
朝早く目が覚めたアメリアは、きちんと身支度を整え、ユリウスと一緒に視察に向かうために王城を出た。
侍女としてリリアーネがいてくれるし、ジャナキ王国からも案内人と警備のための騎士団が同行することになっていた。
まずは王都の中の市場の視察に行く予定だ。途中で研究員が宿泊している施設に寄り、彼らと合流する。
王都の中央にある宿泊施設は、ジャナキ王国の警備兵によって厳重に守られていた。そのことに安堵する。カイドがいるとはいえ、やはりサルジュのことが心配だった。
この厳重な警備は、ユリウスの婚約者であるマリーエがいるからだろう。
ジャナキ王国側からは、いくら使節団のひとりで副所長の立場だとしても、王族の婚約者である以上は城に滞在した方がいいと申し出があった。けれどマリーエは研究のために訪れたのだからと辞退し、代わりに婚約者の身を案じたユリウスが、護衛のカイドを彼女に付けた。
そういう話になっている。
だからカイドは、もちろんマリーエも守っているが、実際にはサルジュの護衛だ。
馬車の中で待っていると、カイドに付き添われた研究員達が姿を現した。
先頭にはマリーエの姿があり、優雅なしぐさでユリウスに挨拶をしている。
その背後に立っているサルジュは、魔法で少し変装していた。
(サルジュ様)
その姿を見つけて、思わず名前を呼びそうになる。
煌めく金色の髪が、アメリアと同じ黒髪になっている。さらに眼鏡をかけて制服を着ているので、研究員達の中に溶け込んでいるように見える。
サルジュはアメリアを見つけると、柔らかく微笑んだ。
姿は少し変わっても、その笑みは変わらない。その傍に駆け寄りたくなるのを堪えて、アメリアも微笑んだ。
最初は市場見学である。
大きな市場には、こちらではあまり見ない野菜や果物が売っている。研究員達は手に取ってみたり、店の人達に話を聞いたりしているが、アメリアとユリウスは馬車の中から見学するだけだ。
(あれは何かしら。リケの実に似てるけど……)
馬車の窓に張り付いて、よく見ようとするアメリアを見て、ユリウスが笑った。
「次に向かう農地見学では、もう少し近くで見られると思う」
「あ、すみません。つい……」
慌てて座り直し、姿勢を正す。
ここは王都の市場で、一般市民もたくさんいる。国賓として、ビーダイド王国の代表としてふさわしい態度でいなくてはならない。
だがその決意も、食品加工工場の見学までは何とかなっていたが、最後の農地見学であっさりと崩れ去る。
ユリウスとともに馬車を降りたアメリアは、目の前に広がる農地に夢中になった。
「すごいわ。こんなに……」
目の前に広がる農地には、ビーダイド王国ではあまり作られていない作物が植えられていた。
つい興奮して案内人に質問を重ねてしまったが、とても勉強になった。
サルジュもこの国の植物学の研究者に色々と聞いていたようなので、帰ってから情報交換をすることが楽しみだ。
視察はあっという間に終わってしまい、またサルジュと別れて王城に戻らなくてはならない。寂しいが、国に戻ればずっと一緒にいられる。
研究員と別れ、王城に戻ってきたアメリアは、さっそく今日見たことや聞いたことをデータにまとめることにした。
この国の雨量や気温などは、きっとサルジュが聞いてくれただろう。だからアメリアは案内人から聞いた、ここ十年ほどで変わってしまったことを書き出しておく。
夏になっても気温がそれほど上がらなくなった。
雨が多くなった。
冬は例年よりも寒い年が続いた。
それはビーダイド王国が悩まされてきた問題と同じ。
(この地でもグリーは作られているけれど、年々収穫量が少なくなってきているわ)
グリーはこの大陸で主食として食べられている穀物だが、冷害に弱く、ビーダイド王国では品種改良を重ねてようやく収穫量が戻ってきたところだ。
けれど虫害に弱いという欠点があり、それを補足するために、アメリアとサルジュはそれを防ぐための水魔法と、魔法と同じ効果がある魔法水というものを創り出した。
サルジュが品種改良したグリーならば、この地でも問題なく育つだろう。
けれどこの国には、水魔法の遣い手も魔法水を創り出せる魔導師も数が少ない。
ビーダイド王国と同じやり方では成功しないと思われる。
(どうしたらいいのかしら。さらなる品種改良? それとも、魔法水の流通を増やした方が良い?)
ビーダイド王国では、すべての貴族が魔法の力を持つ。こんな国は他にはない。
だがいくら多いとはいえ、水魔法の属性を持つ者ばかりではない。それにほとんどの貴族は、自分達の領地のためにしか働かない。
(何か良い方法はないかしら……)
サルジュもアメリアも、ビーダイド王国だけが無事ならば良いという考えは持っていない。いくら自国が豊かになっても周囲の国が飢えていれば、争いが起こる。
ただ国同士の関係もある。技術を他国に提供するのならば、やはりもっとデータを集めて安全性を高めなくてはならない。
サルジュと話したい。
データや意見を交換して、時間を気にせずに語り合いたい。
でも今は顔を見ることさえできない。
アメリアは深く溜息を付いた。
そんなアメリアに、リリアーネが声を掛ける。
「そろそろお支度を」
「ああ、もう時間ね」
そっと促されて、アメリアは頷く。
今夜は晩餐会に招待されていた。ソフィアが晩餐会用に仕立ててくれたドレスに着替えて、会場に向かわなくてはならない。
今頃サルジュは時間に左右されることになく、研究に取り組んでいることだろう。
羨ましいと思いかけて、ふと気が付く。
「サルジュ様、大丈夫かしら。ちゃんと食事や睡眠は……」
むしろ集中しすぎて、すべてを忘れているのではないかと心配になる。
「カイドが付いていますから、大丈夫です、と言いたいところですが……」
リリアーネも不安そうだ。
止めきれず、一緒に徹夜している姿が見えるようだ。
「あとで、様子を見に行ってきます。ユリウス様から伝言があると言えば、簡単に行けるでしょうから」
「ええ、お願いします」
この件はひとまずリリアーネに託すことにして、アメリアは身支度を整える。
(今日は視察と晩餐会。明日は……)
明日は王女達のお茶会に招かれている。クロエも参加するようなので、そこで話ができるかもしれない。
王城に滞在している間は、とても忙しい。
でもその方が、傍にサルジュがいない寂しさを忘れられるかもしれない。
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