2-7
馴染みのない異国の音楽が流れる中、アメリアはユリウスとともに、ゆっくりと足を進めていく。
会場にはたくさんの人がいて、誰もがふたりに注目していた。
視線の多くはビーダイド王国の第三王子であり、光魔法が使えるユリウスに注がれている。でもそんな彼に手を取られて歩くアメリアにも、けっして少なくない視線が降り注いでいる。
(どうしよう……)
緊張で、手が震えそうになる。
俯きそうになったとき、サルジュからもらった指輪が目に入った。
(サルジュ様)
――もっと自信を持ってほしい。君の代わりは誰にもできない。そして何よりも、私の最愛の人なのだから。
そう言ってくれたサルジュの言葉を思い出して、顔を上げる。
(わたしは、サルジュ様にふさわしい人になる。もう俯いたりしないわ)
柔らかな笑みを浮かべ、小柄な身体で堂々と歩くアメリアに、見惚れる者もいた。
けれどそんな視線も顧みない。
アメリアの心はただ、最愛の人の面影だけを追っていた。
広いホールをまっすぐに進んでいくと、その奥には、ジャナキ王国の王族が並んでいる。
国王夫妻に、王太子夫妻。
どちらもビーダイド王国の国王と王太子よりも、少し年上だろう。
続いて第二、第三王子に、第一、第二、第四、第五王女が並ぶ。
茶色の髪と黒髪の者が、半分くらいだろうか。
ジャナキ王国は王族が多いことでも有名だったが、こうして並ぶと圧巻だった。
(あの方が、クロエ王女殿下ね)
王族達の一番奥で、こちらを睨むように見つめている背の高い女性。並んでいる位置と、一番若そうな顔立ちから、アメリアは彼女がビーダイド王国に嫁ぐことになるクロエだと思った。
年はきっとアメリアと同じくらいだろう。
茶色の髪に、黒い瞳。すらりとした長身だが、顔にはまだ幼さが残っている。
けれどその態度から察するに、あまりこちらに好意的ではないようだ。
兄や姉達の背後に隠れながら、敵意を隠そうともしない視線をアメリアに向けていた。
それは、初対面の人に向けるようなものではない。
アメリアは戸惑ったが、彼女の境遇を考えれば仕方がないことだと思い直す。
(きっと、不安なはず)
こちらには敵意がないことを示そうと笑顔を向けた。
けれどクロエはますます不機嫌そうな顔になって、ふいっと視線を逸らしてしまった。
(どうしよう……。失敗したかしら)
不安になってユリウスを見ると、彼もまたクロエの視線に気が付いていたらしい。
国賓の歓迎パーティで敵意を向けてきた彼女に呆れたような顔をしながらも、ジャナキ王国の王族達に型通りの挨拶をする。
向こうも歓迎の言葉を述べ、ジャナキ王国の国王がパーティの開催を宣言した。
軽やかな音楽が大きくなる。
ジャナキ王国の王太子夫妻が会場の真ん中で音楽に合わせて踊り出すと、他の貴族達も皆、パートナーの手を取ってそれに倣い始めた。
事前にソフィアから聞いていたようにあまり厳密なルールはないようで、順番など関係なくそれぞれ楽しそうに踊っている。
アメリアもジャナキ王国の第二王子、第三王子にダンスに誘われたが、彼らがまだ独身であることを理由に断った。
「婚約者以外と踊ってはいけないなんて、ビーダイド王国は随分と古めかしい国ですね」
申し訳なさそうに断りを入れたアメリアに、クロエがそう言い放つ。
「……っ」
アメリアは思わず言葉を失った。
国が違うのだから、習慣や考えが違うのは当然のこと。
それを否定してはならないことは、まだ本格的な妃教育を受けていないアメリアにさえわかる。
生まれたときから王女であったクロエの発言とは、とても思えない。
けれど周囲の人間はそんなクロエを咎めることなく、むしろ同情するような視線を向けている。この国では、彼女は国益のために、意に染まない結婚を強いられる被害者なのだろう。
そんなクロエ王女を連れ去るために訪れたアメリアは、多少の嫌味くらいは受け止めなくてはならないのか。
そう覚悟を決めたのに、ユリウスは違ったようだ。
彼はにこりと笑うと、こちらを睨むようにしているクロエに言った。
「そうですか。習慣の違う国に嫁ぐのは不安でしょう。こちらとしても、無理を強いるつもりはありません。状況によっては、この縁談をなかったことにしても良いと言われておりますので、そのように進めてもよろしいですか?」
「え?」
ユリウスの言葉に、クロエは驚いたように目を見開く。
「……婚約を解消しても、良いの?」
信じられないような、でも嬉しそうな声。
ユリウスの言葉に焦ったのは、今まで彼女に同情していた周囲の者達だ。
「こちらに婚約解消の意思はありません。予定通り進めていただいて構いませんので」
慌ててそう言ったのは、第二王子か。
「ちょっと待ってよ、兄様。せっかく向こうから婚約解消を申し出てくれたのに」
「お前は馬鹿か。歓迎パーティで国賓に向かって、あんなことを言うなんて。兄上と姉上が甘やかすからこんなことに」
「私は嫌よ。だって私にはアイロスが……」
「黙りなさい」
言い争う兄妹にそう言い放ったのは国王ではなく、その隣にいるジャナキ王国の王妃だった。
彼女は鋭い視線を争っていたふたりに向けると、ユリウスに向けて謝罪の言葉を口にする。
「お騒がせして申し訳ございません。末娘ということでつい甘やかしてしまって、お恥ずかしい限りです。よくよく言い聞かせておきますので、ご容赦くださいませ」
いくら非があるとはいえ、国王が謝罪するのは体裁が悪い。だから代わりに王妃がそうしたのだろう。
ユリウスは王妃の真意がどちらにあるのか探るように見つめたあと、不意に表情を和らげる。
「いえ、私の方も結論を急ぎすぎました。まだ滞在期間は十日ほどあります。その間に決めていただければ、それで構いませんので」
表面上はにこやかにそう言い、アメリアの手を取った。
「せっかくだから私達も踊ろうか」
「あ、はい」
彼らも話し合う必要があるだろうと、アメリアはユリウスの誘いに頷いた。
そのままホールの中央まで行くと、音楽に合わせて踊り出す。
踊るふたりを見ていた周囲から、感嘆の溜息が聞こえていた。
きっとユリウスが上手いからだろう。小柄なアメリアを丁寧にリードしてくれて、目立つミスもなく踊ることができた。
そのことに、ほっとする。さすがに国賓として招かれて、パートナーの足を踏んだり躓くわけにはいかない。
その後も何人もダンスに誘ってくれた人がいたが、ユリウスがビーダイド王国の習慣だからと断ってくれた。
それでも未練がましい視線を遠くから送る男達に、ユリウスは溜息をつく。
「リリアーネが心配していたように、アメリアはこの国の男性の好みに合っているようだな」
「……髪と身長だけ褒められても、あまり嬉しくはないです」
「アメリアはとても可愛らしいよ。でも、サルジュがここにいなくてよかったかもしれない」
意外と嫉妬深いから、と言われて、思わず頬を押さえる。
きっと赤くなっているに違いない。
アメリアだって、サルジュが誰かと踊ったら嫌だ。
(でも……)
アメリアは、先ほど会ったクロエのことを思う。
アイロス、と男性の名前を口にしていた。
彼女には、想う人がいるのだ。
もし自分だったらと、アメリアは考えてしまう。
(わたしがサルジュ様と別れることになってしまったら……)
きっと生きていけないと思うくらい、絶望するに違いない。
クロエがそんな状況に置かれていることを思うと、彼女が多少感情的になったとしても仕方がないのではないか。
「アメリア、あまり彼女に思い入れをしない方がいい」
そんなことを考えていたアメリアに、ユリウスがそう声を掛ける。
「……ユリウス様」
「この婚姻は、国同士の契約だ。それを軽んじる者を信用することはできない。それに、公式の場であのような発言をするなど論外だ」
歓迎パーティにも関わらず、敵意を向けてきたクロエにユリウスは憤っていた。
「実際父上からも、婚約解消でも構わないと言われている。クロエ王女が婚姻を嫌がっているという噂を聞いていたようだ」
遠く離れたビーダイド王国にまで聞こえるくらいだ。よほど婚姻を嫌っているのだろう。そこまで嫌がっている王女を、無理に嫁がせることはない。
婚約をその場で解消してきても構わない。
ビーダイド国王陛下は、ユリウスにそう言ったようだ。
「そもそも向こう側から望んだ婚姻だ。今は状況が変わったとはいえ、七年前に助けられたのは間違いない。だからこちらから婚約解消を言い出すことはなかった」
ユリウスはゆっくりと息を吐く。
アメリアの想像以上に、彼の怒りは大きいようだ。
「だが、肝心の王女があの状態ではな。エスト兄上は素晴らしい人だ。その婚姻をこんな風に扱われるのは、不本意だ」
クロエが婚姻を嫌がれば嫌がるほど、兄のエストが蔑ろにされているようで怒りを覚えているのだろう。
「そうですね……」
アメリアも頷いた。
ソフィアに諭されたことを思い出したからだ。
「他国の者に、あまり同情してはいけない。今は同盟国でも、立場が変われば敵にもなる。あなたは優しいから、少し心配だわ」
義姉はたしかにそう言っていた。それを忘れてはいけなかったのに。
反省するアメリアに、ユリウスは優しく告げる。
「明日は視察に行くことになっている。サルジュと合流できるだろう」
「はい!」
サルジュの名を聞いて、気分が上向きになる。予定では王都にある市場を見学し、大きな食品加工場。そして、少しだけ郊外の農地も回ることになっていた。
もちろん研究員も同行する。
彼と一緒に行動できる数少ない機会だ。明日が楽しみだと、自然と笑みが浮かぶ。
ふと気が付くと、いつの間にか会場にクロエの姿はなかった。他の王族も何人かいなくなっているようだ。
アメリアは途中退出するわけにはいかない。
最後までユリウスと一緒に参加し、閉会してからリリアーネが待つ部屋に戻った。
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