第18話

 忙しい王子達はひとりずつ抜けていき、気が付けばサルジュとふたりきりになっていた。でも彼は気にせずに、ずっとデータの解析をしていた。

「アメリア、この月の雨量はわかるかい?」

「はい、こちらに。気温も記してあります」

 昔からこうやってデータをまとめるのが好きだった。

 だが父は細かい数字があまり好きではなくて、アメリアが昔からひそかに書き記しているデータも、屋敷の倉庫で埃を被っているだけになっている。だからこんなふうに活用してもらえることが、とても嬉しい。

「ああ、やはり昨年は気温が少し低かったから、新品種の小麦の収穫量が増えたのか」

「はい。レニア領はかなり北の方ですから、昔は冷害で全滅したこともあったようです。ですから、日頃からある程度の備えはできていたのですが、この新品種の場合は……」

 ふと応接間の扉が叩かれて、ふたりとも我に返る。

 サルジュが答えると、入ってきたのはエストだった。

彼はアメリアとサルジュの周囲に散らばった書類を見ると、呆れたように笑う。

「まさか、あれからずっと? もうすっかり日が暮れたよ」

「えっ?」

 驚いたアメリアが窓の外を見ると、彼の言うようにもう真っ暗になっていた。

「もうこんな時間に……。すっかり夢中になってしまって申し訳ございません」

 学園寮なので、無断外泊をするわけにはいかないと慌てる。

「ユリウスが寮に連絡を入れてくれたようだから、心配はいらないよ。食事の用意がしてあるから、ふたりともちゃんと食べるように」

「……後でいい」

 資料から目を離さずにそう言ったサルジュに、エストはアメリアを見た。

「アメリア嬢もいるのだから、そういうわけにはいかないよ」

 その言葉に、はっとしたようにアメリアを見たサルジュは、書類を片付け始めた。

「わかった。アメリア、行こうか」

「……はい。よろしくお願いします」

 王城で食事をさせていただくなんて、あまりにも恐れ多い。

そう思って最初は断ろうとした。でもアメリアが断れば、サルジュも行かないだろう。

「アメリア嬢は大切なお客様だからね」

それはエストにも望む答えだったらしく、笑顔で頷いてくれた。

だが。

(まさか全員揃っていたなんて……)

 案内されたダイニングルームでは、アレクシスと、彼の妻である王太子妃。さらにユリウスまでいて、三人の到着を待っていた。

 去年結婚したアレクシスの妻は、ピーレ公爵家の令嬢だったソフィア。

 銀髪碧眼の清楚系美人で、どうしたらいいのかわからずに狼狽えているアメリアを傍に呼んでくれた。

「ごめんなさいね。サルジュが可愛い子を連れてきたって聞いて、会ってみたいと言ってしまったの」

「いえ、そんな。ソフィア王太子妃殿下、お会いできて光栄です」

「ふふ。わたくしのことは、ソフィアと呼んでね。緊張しなくても大丈夫よ。ただの家族の食事会だから」

 ソフィアにとっては夫と義弟達かもしれないが、アメリアにとっては全員王族である。食事もとても美味しいもののはずだが、緊張感でほとんど味がしなかった。

 食後のデザートと紅茶が運ばれてくると、ユリウスが婚約解消の手続きをしたことを報告した。その理由を告げると、アレクシスもエストもかなり怒りを覚えたようだ。

「キーダリ侯爵家の令嬢が、そんな女性だったとは」

 険しい顔をするアレクシスに、エストも頷く。

「婚約していた期間は長かったものの、ほとんど交流はなかったからね。でも、ユリウスの場合は早く次の婚約者を決めないと、面倒なことになりそうだね」

「父上にもそう言われた。だから、まだ正式に発表はしないそうだ。面倒だけど、早めに決めないといけないな」

「……あの」

 自分という部外者がいるのだから、あまり王家の内情を話すのは危険ではないだろうか。そう思って声を上げたが、ユリウスはアメリアを見ると、にこりと笑う。

「アメリアが立候補してくれるのかな?」

「とんでもございません

 恐れ多いので、冗談でもそんなことを言わないでほしいと、慌てて否定した。

なぜかサルジュが不機嫌になり、それを見た兄達が微笑ましいような顔をしていた。

だが王族の中にひとり放り込まれたアメリアは自分のことに精一杯で、その理由まで考えられなかった。

さらに今日は王城に泊まるように勧められ、さらにふたりで話がしたいからと、王太子妃の部屋に招かれてしまった。

失礼のないようにと緊張に顔を強張らせるアメリアに、ソフィアは優しくしてくれた。

「ごめんなさいね。緊張したでしょう?」

 優しく労わってくれた彼女に、今も緊張していますと言えなくて、アメリアは曖昧に笑った。

 王太子妃の部屋はとても広く、いたるところに花が飾られていた。

 夫のアレクシスが毎朝、庭園から摘んできてくれるらしい。ふたりは政略結婚だったはずだが、しっかりと信頼関係を築いているようだ。

 自分とリースとは大違いだと、思わず溜息をつきそうになる。

「今日一日で、色々なことがあって疲れたでしょう? ハーブティーをどうぞ。疲れが取れるそうよ」

「ありがとうございます」

 朝からのことを思い出してみると、たしかに大変だった。

そう考えながら、ソフィアの専属侍女が淹れてくれたお茶を一口飲む。すっきりとした味わいに、緊張していた心が少し和らいだ。

「それにしても、キーダリ侯爵令嬢には呆れたわ。あなたにしたことだけではなく、同学年の令嬢達を脅して、自分の言う通りに動かしていたなんて」

 憤りを隠さずにそう言うソフィアに、彼女達がこれからどうなるか心配で尋ねてみる。

「そうね。さすがに何のお咎めもなしというわけにはいかないわ。停学くらいかしら?」

「……そうですか」

 彼女達の将来に傷がつくのは間違いないが、退学ではないだけましかもしれない。

「ユリウスも大変ね。急いで次の婚約者を探さなくてはならないもの」

「急ぐのですか?」

 思わず尋ねてしまう。王族の婚約者なら、もっと慎重に選ぶのではないかと思ったからだ。

 するとソフィアは少しだけ悲しそうに微笑んだ。

「我が国の王子殿下は、四人とも貴重な光属性。だから、昔から色々とあったそうよ」

 だからこそ四兄弟の結束は固いのだと、ソフィアは説明してくれた。

 王太子アレクシスは、昔から魔力が桁違いに強かった。幼い頃はコントロールすることができず、無意識に魔力を放出してしまうため、離宮に隔離されて育ったらしい。だからこそ家族を、兄弟を大切にしているそうだ。

 次男のエストは身体があまり丈夫ではなく、学園に通うことができなかった。今は日常生活に支障がないくらいに回復しているが、それでもあまり無理はできない。

 そして三男のユリウスには、昔から他国からの縁談が数多く持ち込まれているという。

 四人もいるのだからひとりくらい他国に婿入りしてもいいだろう。

そんな理由で、光属性目当てに近隣諸国だけではなく、遠く離れた帝国からも、脅しにも誓い形で申し込みがあった。末弟のサルジュではなくユリウスなのは、サルジュが正妃の子だからだ。

 だからこそ彼は、他の兄弟達よりも早く婚約が決められていた。それが解消されたのだから、公表されたらまた他国から申し込みが殺到するのではないか。そう危惧して、急いでいるのだ。

「それを踏まえてもあんな女性を王族の妻にすることはできないわ。それに国王陛下だって、息子達を他国に婿入りさせる気はないとはっきりと宣言されていたから大丈夫よ」

 そう言って、ソフィアはにこりと笑う。

 そんな事情があるのならば、たとえエミーラのような女性でも婚約していた方がよかったのではないか。自分のせいで、婚約を継続できなかったのではないか。

そう考えていたアメリアは、ソフィアのその言葉でようやく安堵した。

「あの、サルジュ様も?」

 それぞれ事情があると言っていたが、サルジュにも何かあるのだろうか。気になって尋ねてみると、彼女は頷いた。

「サルジュ様は昔から、植物学にとても興味があったそうよ。珍しい植物を見かけると、ひとりで駆け出してしまうことも多くて」

 今から十年ほど前、外出先でサルジュが行方不明になってしまう事件が起こった。兄弟達が光魔法を駆使して必死に捜索し、囚われていたサルジュを無事に助け出したのだという。

「犯人は、光魔法を狙った帝国の手の者だったという噂よ」

 捕らえられた犯人は全員自害してしまい、はっきりとわからなかったようだ。そんなことがあったのに、護衛を連れずに歩き回っているのだから、兄達が心配するのも当然だろう。

 サルジュは自分と会うときは必ず護衛を連れて行くと言っていた。

 ならばなるべく彼と会うようにすれば、ユリウス達の心配も、彼の危険も減るのではないか。

 アメリアはそんなことを考えていた。

「ごめんなさいね。疲れているのに長話をしてしまって。ゆっくりと休んでね」

 しばらく話をしたあと、侍女に客間まで送ってもらう。

 疲れているはずなのに、豪華な部屋と柔らかなベッドにかえって眠れず、天井を見上げながら色々なことを考えていた。

 翌朝。

 ソフィアに招かれ、朝食のために昨日のダイニングルームに向かうと、そこにサルジュの姿はなかった。

彼はあれからずっとアメリアの資料を読み込み、朝まで熱中していたらしい。挨拶をしておきたかったが、少し早めに寮に戻って身支度を整えなくてはならない。

用意してもらった馬車で寮の自分の部屋に戻ると、あの後、教室はどうなっていたのか。絶望に打ちひしがれていたエミーラはどうしたのかと、少しだけ考える。

 クラスの雰囲気も、これから変わるだろうか。

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