第17話

「アメリア」

 誰もが動けずにいた中で、最初に行動したのはサルジュだった。

 壇上に残されたままのアメリアのバッグを手に取ると、席に座ったままのアメリアの名前を呼ぶ。

「王城に行こう」

「え? 王城に、ですか?」

「エスト兄上なら、きっとこれを復元できる」

 第二王子エストは、風魔法の専門家だ。

 濡れた資料を乾かしてくれたマリーエも、風魔法を使っていた。さらに上位魔法が使えるという彼であれば、たしかに復元できるかもしれない。

 だがそのために王城に行き、第二王子と対面するなんて、どう考えても荷が重すぎる。

「い、いえ。私が明日までにきちんと書き直しますので」

「これだけの量を書き直すのは大変だよ。それに、私も君に見てほしいものがある」

 それでも迷っていると、手を差し伸べられた。その手を無視することなんてできなくて、そっと握る。

 そのまま手を引かれて教室を出た。

 背後に付き従っている、たしかカイドと呼ばれていた彼の護衛騎士が、同情するような視線をアメリアに向けていた。

 だが、あの教室の中に取り残されても、どうしたらいいのかわからなかった。連れ出してくれて、よかったのかもしれない。

 こうしてサルジュに手を取られたまま学園内を歩くことになった。

 注目されていることはわかっていたが、アメリアとしては繋いだままの手が気になって、それどころではなかった。

 王家の紋章入りの馬車に乗せられ、気が付けば王城に向かっている。

 地方貴族のアメリアはまだ、王城で開催されるダンスパーティ―にも参加したことはない。

 まさか最初の登城が、こんな形になるとは思わなかった。

 騎士によって厳重に守られた城門を通ると、しばらく見事な庭園が続く。咲き乱れる花はとても美しいが、見たことのない品種や、この季節に咲くはずのない花も咲いている。しかも奥には花だけではなく、薬草園や温室まであるのが見えた。

「サルジュ様、あの庭園は……」

「ああ、少し研究に使わせてもらっている。土を変化させると、花の品種や咲く時期にも多少変化があるようだ」

「そうなんですね。すごいです……」

 思わず食い入るように見つめてしまう。まだ花や薬草だけだが、あれが穀物にも適応されたら画期的なものとなる。

「今度、案内するよ。穀物の新品種については、ぜひ君の意見も聞きたい」

「穀物の新品種……。ではサルジュ様は、あの冷害に強い小麦の開発にも関わっていらしたのですか?」

 アメリアの問いに、サルジュは頷いた。

「そう。だから収穫量や虫害の程度が気になって。アメリアには無理を言ってしまってすまなかった。嫌な思いをさせてしまったね」

「いえ、あのくらいなら大丈夫です。むしろ……」

 手を出したエミーラの方が大打撃を受けてしまったくらいだ。

「アメリア」

 そんな彼女を窘めるように、サルジュが優しく名前を呼ぶ。

「どんな程度であれ、理不尽な悪意に慣れてはいけない。何かあったらすぐに言ってほしい。できる限り対処する」

「……ありがとうございます」

 学園に入学してからずっと見知らぬ人の悪意に晒され、しかもそれが友好な関係を築いていたはずの婚約者の仕業で、とてもつらかった。

 でもサルジュやユリウスのように、こんなにも優しく気遣ってくれる人と出会うこともできた。

 人生は悪いことばかり続かない。それは母の口癖だったが、たしかにその通りかもしれない。

 やがて馬車はようやく王城に辿り着いた。

 先に護衛騎士のカイドが馬車を降り、周囲の安全を確認している。サルジュがそれに続き、アメリアに向かって手を差し伸べた。

「あ、ありがとうございます」

 サルジュを出迎えるために侍女や従者が並んでいたが、彼女達はアメリアにも丁重に頭を下げる。

 そして初めて訪れた王城の大きさと豪華さに圧倒されながら、アメリアはサルジュとともに王城に足を踏み入れた。

 広い廊下は光輝くほど磨き上げられ、歩きやすい柔らかさの絨毯が敷き詰められていた。

 大きな窓から降り注ぐ陽光が、壁に飾られた絵画や美術品を照らしている。もちろん劣化しないように魔法で保護されているようだ。

 サルジュは出迎えてくれた従者に、兄のエストに面会したいと伝えていた。その要望はすぐに通ったようで、このまま第二王子エストの元に向かうようだ。

 第二王子エストと第三王子ユリウスの母は同じである。

 そもそも現国王に側妃はひとりしかおらず、その側妃も王太子とサルジュの母である正妃の従妹だという。

 父が同じで母方も縁戚なら、四兄弟の仲が良いのも当然かもしれない。

「サルジュ。女性を連れているなんて珍しいな」

 ふと前方から声が聞こえてきて、アメリアは顔を上げる。

 サルジュと同じ金色の髪をした背の高い青年が、親しげに手を上げてこちらに向かって歩いてきた。

 動きやすい服装をして訓練用の木剣を持っているので、訓練場で鍛錬をしていたのかもしれない。

「兄上」

 サルジュの呼びかけで、彼が四兄弟の長兄で王太子のアレクシスであることを悟り、慌てながらもなるべく丁寧にカーテシーをして挨拶をする。

 アメリアが名乗ると、アレクシスは納得したように頷いた。

「なるほど、レニア伯爵令嬢か」

 彼はサルジュによく似た美形だが、背が高くて鍛えていることもあり、なかなか威圧感がある。

(そういえば王太子殿下は、攻撃魔法を主体としている火魔法の専門家。剣技と魔法を組み合わせて戦う、一流の剣士でもあるって聞いたことがあるわ)

 それでも弟を見つめる瞳はとても優しくて、アレクシスが家族想いだということがよくわかる。

「それで、どこに行くつもりだ?」

「エスト兄上のところに行きます」

 サルジュが書類の復元を頼むつもりだと告げると、彼も興味を持ったのか、同行すると言い出した。

「復元がどんな魔法なのか、少し興味がある」

 王太子と第四王子のサルジュとともに、第二王子のエストに会いに行く。

まさかこんなことになるとは思わずに、困惑したまま歩くアメリアを、後ろに付き従っていた護衛騎士のカイドが気の毒そうに見ていた。

 さらに。

「アレク兄上に、サルジュ。どこに行くんだ?」

 途中で学園から戻ったらしいユリウスと遭遇した。

「エスト兄上に、あの書類を復元してもらおうと思って」

「その魔法がおもしろそうだから、同行した」

「ああ、じゃあ俺も行きますよ」

ユリウスまで加わって、エストの部屋に向かう。

その道すがら婚約を解消するつもりだとユリウスが話した。経緯を聞いたアレクシスは、当然だと頷いている。

「これはまた、大人数ですね。私はサルジュだけと聞いていましたが」

 ユリウスと同じ黒髪を長く伸ばし、温厚な雰囲気のエストは、兄弟の間に小柄な女性がいることに気が付いて、驚いたように目を見開いた。


 エストの部屋だと手狭だということで、なぜか王族の居住区にある応接間に通され、侍女に高級そうなお茶を淹れてもらっている。

 アメリアはサルジュが経緯を説明している声を聞きながら、琥珀色のお茶をひたすら眺めていた。

 心細いことに、護衛騎士であるカイドは王族の居住区には入れないらしい。

護衛騎士である彼が駄目なら、アメリアなんてもっと駄目ではないのだろうか。

 溜息をつきそうになるのを堪えて顔を上げると、目の前には四人の王子がいる。

 長兄で王太子のアレクシス。

 豪奢な金色の髪に、少し日に焼けた肌が大人の色気を醸し出している。威風堂々とした立派な王太子だが、弟達を見つめる瞳は慈しみに満ちていて、とても優しい。

 次兄のエストは、儚げな風貌の温厚な男性だ。

 物腰柔らかで、アレクシスのような地方領主の娘にも丁寧に接してくれる。王太子である兄には尊敬と忠誠を。弟達には優しさと厳しさを持って接していた。

 三男のユリウスは、気さくで朗らかな明るい人だ。

 だが、アメリアも何度も目にしたように、不正や卑劣な行為はけっして見逃さない厳しさがある。母が同じエストとは、髪色以外はあまり似ていないようだ。堂々とした体つきといい、むしろ王太子のアレクシスと似ているかもしれない。ふたりは、国王である父親似なのだろう。

 そして四男のサルジュ。

 彼は美貌の正妃に一番よく似ている。彫刻のように整った美しい顔立ちをしているが、中身は王族というよりは、熱心な研究者だ。今もエストが修復してくれたアメリアの資料を、食い入るように見つめている。

「アメリア嬢」

 そんな弟を優しく見つめて、王太子のアレクシスが声をかける。

「君の負担にならない程度でいいから、サルジュを助けてやってくれないか」

「はい、もちろんです」

 レニア伯爵家のデータがサルジュの役に立つのならば、アメリアも嬉しい。そう思って力強く頷く。

「感謝する。この部屋はいつ使ってもかまわない。後ほど、王城に立ち入れる許可証を発行しよう」

「い、いえ。そこまでしていただくわけには……」

 アメリアとしては、学園で彼の手伝いができればと思っていた。

 高位貴族の人間でさえ、頻繁に王城に立ち入ることは許されていない。だが許可証があれば、アメリアはひとりでもここまで来ることができる。

「サルジュは昔から、魔法や植物学の研究に熱中すると、食事や寝ることさえ忘れて熱中してしまうことが多く、ひとりにしておけなくて」

 アレクシスの隣でエストもそう言い、ユリウスも頷いている。

「誰かが傍にいてくれると安心です。私からもお願いします」

 きっとアメリアである意味はあまりないのだろう。

 ただ彼の研究の手伝いをすることができて、サルジュも気を許しているのがアメリアというだけで。

 だからこそ頷くことができた。

「はい。私でよろしければ、精一杯務めさせていただきます」

 そう答えて、微笑んだ。

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