第34話

 広い廊下には誰もおらず、静まり返っていた。

 会場にほとんどの人が集まり、侍女達は控室で待機しているのだろう。

 貴族の令嬢なら、たとえ僅かな時間でもひとりで歩いたりしない。

 ましてアメリアは、第四王子サルジュのパートナーとして参加していたのだ。

 けれど地方の領地ではひとりで出歩くことも多かった。領民達に交じって畑の水遣りを手伝っていたくらいだ。

 そのせいで、王城内だから大丈夫だろうと軽く考えていた。

「あら?」

 ふと、庭園に誰か立っていることに気が付いて、アメリアは足を止めた。

 ドレス姿のどこかの令嬢が、困ったように周辺を探し回っている。何か大切なものを落としてしまい、必死に探しているように見えた。

 アメリアは迷わず庭園に出て彼女に声を掛ける。

「どうかなさいましたか?」

「……あ」

 彼女はびくりと身体を震わせたあと、両手をぎゅっと握りしめた。

「指輪を落としてしまったようなのです。母の形見で、大切なものだったのに」

 泣き出しそうな彼女にどんな指輪なのか尋ね、アメリアも周辺を探し出した。

「申し訳ございません。見ず知らずの方に探していただくなんて」

「いいの。大切なものなんでしょう?」

 早く会場に戻らなくてはと思ったが、困っている令嬢を放っておけなかった。

 庭園の周辺には、警備兵も大勢いる。彼らもこちらに気が付いて駆け寄ってきた。落とした指輪を探していることを説明し、彼らには定位置に戻ってもらう。

 ここで王城の警護を疎かにするわけにはいかない。

「あ、これかしら?」

 しばらく探したあと、アメリアは花壇の中に落ちていた指輪を拾い上げる。

 随分遠くに落ちていたようだ。

 彼女を呼ぼうとして顔を上げたところで、ふいに背後から声をかけられた。

「失礼ですが、髪飾りを落とされたようです」

「えっ?」

 振り向くと、ひとりの警備兵が屈んで何かを拾い上げていた。

 見ると、アメリアが付けていたイエローサファイアの髪飾りだ。

 彼女の指輪を拾ったのに、今度は自分が髪飾りを落としてしまうなんてと、苦笑しながらそれを受け取る。

「ありがとうございます」

 少しほつれていた髪も、すっかり解けてしまった。早く指輪を彼女に返して、サルジュの元に帰らなくてはならない。

「先ほどのご令嬢ならば、裏門の方に行ったようです」

 髪飾りを拾ってくれた警備兵に教えられ、アメリアは指輪を渡そうとその方向に歩いていく。

 途方に暮れた顔で歩き回っている彼女に声をかけようとしたところで、ふいに腕を掴まれて建物の陰に引き込まれた。

「……っ」

 先ほど髪飾りを拾ってくれた警備兵だ。

 何のつもりかと問い詰めようとして、アメリアは彼の正体に気が付く。

「……まさか、リースなの?」

 警備兵の声に、どこか聞き覚えがあるような気がしたのだ。

 髪の色を変えているが、幼い頃からずっと見てきたこの姿を見間違えるはずがない。

「どうして、こんなところに」

 アメリアを陥れようとしてサルジュに暴かれ、恋人のセイラと駆け落ちをしたはずの彼が、どうして王城の警備兵に成りすましているのだろう。

「アメリアを迎えにきた」

「……迎えに?」

 彼が何を言っているのかわからずに、聞き返す。

「恋人はどうしたの? 駆け落ちしてまで、真実の愛を貫いたのでしょう?」

「あれからすぐに、セイラとは別れた。このままでは魔法が使えず、平民になるしかないと聞いて、家に戻ると言って逃げた」

「それは……」

 あれほど学園中を騒がせ、アメリアを貶めた真実の愛の結末に、言葉を失う。セイラはもう家に戻っていたが、実家のカリア子爵家ではそれを秘匿していたのだろう。

「向こうに振られたからまた戻ってきたの? まさか戻れるとでも?」

「昔から、アメリアは優秀だった。どんなに努力をしても、君には勝てない。それが僕はずっと妬ましかった」

 今さら冗談ではないと彼を睨みつけると、リースは視線を逸らし、小さな声でそんなことを言い出す。

「学園に入学して、ますます君の優秀さを思い知った。このまま君と結婚したら、一生アメリアと比べられる。そう思うと、もう耐えられなかった」

 来年になってアメリアが学園に入学すれば、褒め称える者はもっと増える。そう思ったリースは悪い噂を流して、アメリアの価値を貶めようとした。

 自分勝手だと思う。

 アメリアはそうされる理由もわからず、ずっと苦しんでいた。

 けれどこんなに長い間一緒にいたのに、リースがアメリアへの嫉妬で苦しんでいたことにまったく気付かなかった。

 それでも、許すなんて言えない。

 彼を見る度、あのときの苦しかった気持ちを思い出す。きっとリースも同じだろう。だから、もう二度と会わないのが一番良かったのに。

「どうして今さら会いにきたの? 私達の婚約はもう解消されている。あなたも、学園を退学になったのよ」

 いくら貴重な土魔法の遣い手でも、学園を卒業しない者に魔法を使う許可は下りない。

 魔法は貴族だけが持つ、とても強い力だ。だからこそ貴族の子どもには学園に入学する義務があり、その力を正しく使えるのか試される。

 本来ならばリースも、退学の手続きと同時に魔封じの腕輪を装着させられるはずだった。

「だから迎えに来た。僕と一緒に帝国に行こう。向こうでは今、土魔法と水魔法を使える者を切望している。水魔法を使える君と一緒に行けば、爵位を与えると約束してくださった。向こうでやり直そう」

 帝国と聞いて、アメリアはびくりと身体を震わせる。

 大陸の南側には険しい山脈があり、その向こう側に巨大な帝国がある。周辺の国とはほとんど交流がないため、詳細は謎に包まれていた。

 屈強な軍隊と広大な領土を持っているが、帝国には魔法の力がほとんど存在しないと言われていた。

 だからこそ魔法の力を強く欲し、第三王子のユリウスの婚姻に口を出し、十年ほど前には幼いサルジュを連れ去ろうとしたのだろう。

 パーティ前に王太子アレクシスが言っていた、帝国の人間が入り込んでいるかもしれないという忠告を思い出す。

 リースはその帝国と手を組んだのか。

「……どうして私が、あなたと行くと思うの?」

「あれほど悪評が広まってしまった君に、新しい縁談があるとは思えない。だからこそ、勉学に打ち込んで魔法研究員を目指しているんだろう? 悪かったと思っている。向こうに行けば、君に何不自由のない生活を送らせることができる。だから……」

「帝国になんか行かないわ」

 アメリアはリースの言葉を遮るように、きっぱりとそう告げる。

「たしかに色々とあったけれど、今の私はとても幸せなの。今さら戻ってきて迎えに来たなんて言われて、喜ぶとでも思ったの?」

 しかも帝国は、幼い頃のサルジュを連れ去ろうとした敵だ。彼の敵に与することなど、絶対にあり得ない。

「アメリア、僕は……」

「そこまでだ。アメリアから離れろ」

 ふいに、声がした。

 振り返ると、周囲はいつのまにか警備兵に取り囲まれている。

 その中心には、険しい表情のサルジュの姿があった。

「サルジュ様!」

 彼に駆け寄ろうとしたアメリアの腕を、リースが掴む。

「アメリア、僕は……」

「……いい加減にしてっ!」

 アメリアは振り返ると、掴まれていた腕を振りほどき、リースの頬を思い切り平手打ちした。勢い余って倒れるリースを顧みることなく、そのままサルジュの元に駆け寄る。

「サルジュ様」

「……無事でよかった」

 そのまま抱きしめられ、背中を包み込む腕の温かさに、ようやく安堵する。

「彼は帝国と通じているようです。私を連れて帝国に行くと言いました」

 そう証言すると、周囲が途端に殺気立つ。

 アメリアに頬を打たれて呆然としていたリースは、すぐに警備兵に取り押さえられ、そのまま身柄を騎士団に引き渡されたようだ。

 すすり泣きの声がして顔を上げると、指輪を探していた令嬢が、こちらを見て泣いている。どうやら彼女が異変に気が付き、警備兵を呼んでくれたらしい。

「私のせいで、申し訳ございません……」

「いいえ、ありがとう。指輪は見つけたわ」

 そう言って拾った指輪を手渡すと、彼女は何度もお礼を言い、頭を下げる。彼女が立ち去ったあとにほっと息を吐くと、またサルジュに抱きしめられた。

「手を痛めていないか?」

「……はい。あの日、やりたかったので少しすっきりしました」

 図書室の前で待ち伏せをされて、引っ叩いてしまおうかと思ったことがある。ようやく実行できた。

「そうか。できれば私も殴ってやりたかったが」

「え? サルジュ様がですか?」

 そんな姿は想像もできない。

 驚いて目を丸くするアメリアの黒髪を、サルジュはさらりと撫でる。

「そうだ。私からアメリアを奪おうとしたのだから」

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