2-4

「学園から帰ってきたばかりなのに呼び出してしまって、ごめんなさいね」

 王太子妃のソフィアは、そう言ってアメリアを部屋に迎え入れてくれた。

「いいえ、大丈夫です」

 相変わらず美しいソフィアに、思わず見惚れてしまう。

 真っ直ぐな銀色の髪に、雪のように白い肌。その美貌故に冷たそうに見えるが、彼女がとても優しいことをアメリアは知っている。

「あなたとユリウスが迎えにいくことになった、ジャナキ王国の第五王女のクロエ王女殿下についての話よ」

「はい」

 その言葉で、気を引き締める。これは王族の婚約者となったアメリアにとって、初の公務となる。

 だからソフィアはアメリアのために、色々と情報を集めてくれたようだ。

「彼女は年の離れた末娘で、かなり甘やかされて育ったみたいね。遠く離れたビーダイド王国に嫁ぐのは嫌だと言って、逃げ出そうとしたそうよ」

「えっ」

 アメリアは思わず問い返してしまう。まさか話し相手を務めることになった王女に、そんな事情があるとは思わなかった。

 もちろん王女はすぐに連れ戻され、父である国王によって部屋に軟禁されているらしい。

「さっさとビーダイド王国に送ってしまえば、諦めるだろうと考えたようね。こちらの文化や習慣を学ぶためにという名目で、留学させることにしたそうよ」

「……」

 何とも言えないような顔をしたアメリアに、ソフィアも困ったように笑った。

「向こう側が切望して成立した婚約とはいえ、政略結婚には違いないわ。気の毒だとは思うけれど、王女としては軽率な行動だった」

 それでも、納得していない王女を無理やりビーダイド王国に送り込むジャナキ国王のやり方もかなり乱暴だ。

「あの、この婚約は以前からは決まっていたことと伺いました。それなのに……」

「どうして今さら、と思ってしまうわね。これには事情があるの」

 アメリアもサルジュの婚約者で、いずれ王家に入るのだから知っていたほうがいいと、ソフィアは事情を話してくれた。

 もともとエストは身体が丈夫ではないこともあり、結婚するつもりはなかったようだ。魔力の暴走が懸念されていた王太子のアレクシスの魔力も安定し、弟もふたりいる。

 父である国王も、エストは無理をして体調を崩してしまうより、静かに暮らした方がいいだろうと考え、婚約者を定めなかったようだ。

 そんなエストは、学園にも通っていなかった。

 貴族の中には、健康上の理由などで学園に通えない者もいる。そんな事情の者には、学園から家庭教師を派遣して授業を受けることができる制度がある。

 エストもその制度を利用して、王城に家庭教師を招いて魔法を学んでいた。

 けれど七年ほど前、冷害が予想よりも酷くなり、穀物の収穫量が激減してしまったことがあった。このままでは国民の生活に支障が出てしまうと、国王はジャナキ王国から輸入することに決めた。

 だがジャナキ王国でもいつもより収穫量が少なく、貯蓄用の穀物を譲る代わりに、王女との婚姻を提案してきた。ベルツ帝国の動きについても、定期的に報告すると言われて、国王は悩んだようだ。

「光属性を持つ王族を他国に婿入りさせることはないけれど、王女を妻として迎えるのならばと、受け入れたそうよ」

 そのときの相手は第三王女であり、一番年が近かったのがエストだった。

 その頃にはエストも、日常生活には支障がないくらい回復していた。

 また病弱な体質もあって公務をすることができなかったエストは、婚姻をすることによって国の役に立つのならばと、自分からジャナキ王国の王女との婚約を希望した。

 こんな事情で、この婚約は成立したのだ。

「でも二年前。そろそろ輿入れというときになって、ジャナキ王国の第三王女は急な病で亡くなってしまったの。第四王女はもう結婚していたこともあって、急遽婚約者は、第五王女のクロエ王女に決まったそうよ」

 それが、一年前のこと。 

 婚約は七年前でも、クロエ王女にとっては突然決まったことである。反発し、逃げ出したくなったのはそのせいだろう。

「でも、ジャナキ王国が何としても王女を嫁がせたいのも、仕方がないとは思うわ。七年前と今とでは、状況が大きく変わってしまったから」

 冷害に悩まされていたビーダイド王国では、サルジュを中心として品種改良が盛んに行われ、年々悪化する冷害の中でも、収穫量が戻りつつある。

 アメリアが開発した魔法水が普及すれば、もっと効果的だろう。

 けれど大陸一の農業王国であったジャナキ王国は、反対に収穫量が徐々に下がっているらしい。

 原因は、七年前とは比べ物にならないくらいに気温が下がったことによる冷害だ。とうとう大陸の最南にあるジャナキ王国まで、冷害に悩まされるようになってきたのだ。

「もちろんこの国の技術は門外不出というわけではないわ。でも他国に広めるには、もっと国内での実績が必要となる」

「そうですね。まだまだデータ不足です」

 アメリアの魔法水はもちろん、品種改良されたばかりの穀物も、まだ実績不足だ。

「でも婚姻を通して縁ができたら、実験に協力という形で品種改良した穀物や魔法水が流通するかもしれない。きっとジャナキ国王は、それを期待しているのね。ただ……」

 ソフィアは憂い顔でしばし考え込んでいる。

「……ソフィア様」

「ごめんなさい。色々と懸念はあるのよ。一度ビーダイド王国に送り込んでしまえば、もし王女が失踪したとしてもジャナキ王国の責任ではない。王女がこの国で失踪したら、向こうがそう言い出す可能性もある。アレクシスが言っていたのが気になって」

 クロエ王女は今まで、両親や兄姉たちにとても可愛がられていたようだ。もし、無事にビーダイド王国に辿り着くことができれば、好きにしていいと言われていたとしたら。

「疑い深くなってしまって、わたくしもアレクシスも困ったものだわ」

 そう言ったソフィアが少し寂しそうに見えて、アメリアは思わず彼女の手を握る。

「あ、あの……」

「ありがとう。慰めてくれたのね」

 自分の行動に驚いて手を放そうとしたが、それよりも早く、ソフィアはアメリアの手を両手で握る。

「王妃陛下にはサリア様がいらっしゃるけれど、わたくしはひとりで頑張らなくては。去年までは、そう思っていたのよ」

 彼女はそう言って、顔を綻ばせる。

 サリアとは、エストとユリウスの母である側妃の女性のことだ。

 王妃とサリアは従姉妹同士でとても仲が良く、彼女は王妃を支えるために側妃になったと聞いた。

 このビーダイド王国は、大陸でも特殊な存在である。

 直系の王族が光属性を持っていることはもちろん、貴族として生まれた者が必ず魔力を持っている国など、他にはない。

 ベルツ帝国では魔力を持つ者がいないと聞く。そして他の国でも、王族の血を引く者が魔力を持っている程度だそうだ。

 光属性に、これほどまで多くの魔導師がいるのはこのビーダイド王国だけ。

 そんな国の王太子妃ともなれば、他国と接するにも慎重になるだろう。さらに彼女にはいずれ、光属性を引き継ぐ子どもを産まなくてはならないというプレッシャーもある。

「でもあなたがサルジュと婚約して王家に入ってくれることになって、孤独ではなくなったわ」

 ソフィアは嬉しそうにそう言うと、ふいに目を伏せた。

「あなたが来てくれて、本当によかった。わたくしは、王妃陛下のようにはなれない。どんなに重圧でも、アレクシスが他の女性を傍に置くのは嫌だった。だから、色々と覚悟を決めていたの」

 ソフィアのその言葉に、アメリアはサリアと対面したことを思い出す。ソフィアとマリーエとともに王妃に招かれたお茶会には、エストとユリウスの母である側妃のサリアも参加していたのだ。

噂通り、従姉妹同士だというふたりはとても仲が良くて、サリアは従姉である王妃を支えたくて、側妃に志願したのだと言っていた。地方貴族でしかなかったアメリアにはわからないが、おそらくひとりでは抱えきれないほどの重圧が、この国の王妃にはあるのだろう。

「ごめんなさい。あなたにあまり重圧をかけてはいけないと、サルジュにも言われているのに」

 そう言ってソフィアは肩を竦める。

「でも、あなたを最初の公務に連れ出したのは、そのサルジュよ。やりにくい相手かもしれないけれど、ユリウスが上手くやってくれると思うわ。心配しないで」

「……はい」

 複雑な事情を抱えた王女の相手は、たしかに大変だろう。

 けれどアメリアは、どうしてもその王女の気持ちを考えてしまう。

 王族は国を守る義務があるとは理解している。けれど突然遠く離れた異国に嫁ぐことを命じられ、困惑したに違いない。

 生まれ育った祖国。大切な人たち。友人や好きな景色など、何もかも置いて、亡くなった姉の代わりに嫁がなくてはならないのだ。

(アレクシス様の言うように、この国に入ってから逃げ出そうとしている可能性もあるかもしれない。でも、わたしは……)

 意に染まない婚約を強要される苦しさを、誰も味方のいない場所で、ひとりで過ごさなくてはいけない孤独を知っている。

 だからこそ、せめて自分だけは、異国から嫁ぐ王女を歓迎したいと思う。

「わたしでは力不足かもしれませんが、クロエ王女殿下が過ごしやすいように精一杯務めさせていただきます。・きっと不安でしょうから……」

 最後にぽつりと呟くように言うと、ソフィアははっとしたようにアメリアを見た。

「……そうね。あなたの言う通りだわ。どんな思惑であれ、わたくし達が歓迎しなくては、彼女は行き場を失ってしまうもの」

「すみません。何もわからないのに差し出がましいことを」

「いいえ。そんなことはないわ。やっぱりわたくしだけでは、どうしても考えが偏ってしまう。これからも遠慮なく、思ったことは教えてね」

 ぎゅっと両手を握られて、アメリアは頷く。

「はい。もちろんです」

 国際情勢どころか国内のことも把握していない自分が、ソフィアの助けになれるとは思えないけれど、その心に寄り沿うことはできる。

 少しでも彼女の王太子妃としての重圧を減らせるのならば、彼女の望み通りにしよう。

 アメリアはそう決意した。








書籍版の1巻がとうとう10/7に発売されます。

PVや挿絵に連動した挿しボイスなど、色々な特典を用意していただきました。

限定SSなどもあります。

詳細は近況ノートに書きましたので、参考にしていただければと思います。

そして発売を記念して、10月中は毎日更新します!

頑張りますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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