2-5

「ごめんなさい、つい長話をしてしまって。それでは、夕食のときに会いましょう」

「はい、ソフィア様」

「ふふ、もう義姉と呼んでもいいのよ」

 むしろそうして欲しいと懇願されて、アメリアは少し照れながらもそう呼ぶことにした。

「それでは、ソフィアお義姉様。色々と教えていただいて、ありがとうございました」

「可愛い義妹のためですもの。気にしないで」

 楽しそうなソフィアに礼を言ってから、侍女に付き添われ、自分の部屋に戻った。

 以前は王城にある客間で暮らしていたアメリアだったが、サルジュと正式に婚約したあと、王族の居住区に自分の部屋を与えられていた。

 まだ婚約しただけで、結婚して王族の一員になったわけではない。

 それなのにサルジュの兄達や義姉となるソフィアは、アメリアを既に妹のように可愛がってくれる。

 それでもアメリアはまだ、自分がサルジュに相応しいとは思えなかった。

 容姿も平凡で、たまたま農地の多い家に生まれて、そのデータがサルジュの研究に役立っただけだ。一応マリーエと同じ伯爵家ではあるが、この国では王都周辺に領地を持つか、王城近くに屋敷を構えることを許されていないと上位貴族とは認められない。

 地方貴族で、王都にも数えるほど来たことのないアメリアとマリーエとでは、まったく格が違う。

 けれどそんなアメリアを選んでくれたサルジュと、好意的に受け入れてくれた王家の人達のためにも、役に立ちたいと強く思う。

(そのためにも、もっと自分でジャナキ王国とクロエ王女殿下について調べないと)

 夕食までもう少し時間がある。

 アメリアはいったん部屋に戻ってから、王城にある図書室に向かった。

 今まで利用していた図書室は、王城に勤務している文官なども利用するため、居住区の外にあった。けれどサルジュがそこに朝まで頻繁に滞在していて、機密書類の管理や防犯の面でもあまり良くないだろうと、今年になってから居住区の中にも図書室が作られた。

 ここには王族しか入れず、管理人もいない。だからサルジュは自分の部屋よりもこの図書室にいることが多かった。

(むしろ図書室というよりも、サルジュ様の研究室のようなものね)

 きっと今もここにいるだろう。邪魔をしないように、驚かせないように気を使いながら扉を叩き、そっと中に入る。

 予想通り、図書室にはサルジュの姿があった。

 かなり集中しているようで、アメリアが来たことにも気が付いていないようだ。たしかにこんな様子では、兄達が心配して、安全な場所に図書室を作ってしまうのも仕方がないかもしれない。

 声を掛けるべきか少し迷った。

 結局アメリアは、サルジュの邪魔をせずに目的の本を借りて、自分の部屋で読もうと決める。

(ええと、ジャナキ王国についての本は……)

 詳しい本を見つけて手に取ると、人の気配を感じたのか、サルジュが顔を上げた。

「アメリア、来ていたのか」

「サルジュ様」

 邪魔をしてしまったことを謝ろうとしたが、サルジュはアメリアの姿を見ると嬉しそうに笑みを浮かべた。

 手を差し伸べられ、本を机の上に置いて彼の傍に寄る。

「ジャナキ王国についての本か」

 アメリアが持っていた本に興味を持ったのか、表紙を見たサルジュはそう呟いた。

「はい。クロエ王女殿下のお世話をすることになったので、少しでも勉強しようと思いました」

 この図書館に来た目的を告げると、サルジュはそんなことはしなくても良いと告げた。

「名目上、植物の研究者を優先することになってしまったが、アメリアも研究者と同じ立場でいい。向こうの王女のことは、ユリウス兄上が上手くやってくれる」

 無理をしなくともいいと、サルジュは何度も伝えてくれる。

 きっと研究に没頭している彼自身がそうやって、兄達に気遣ってもらったからだろう。

 それでも自分とサルジュとでは立場が違う、とアメリアは首を振る。

「ですが、わたしも役に立ちたいのです。サルジュ様の婚約者として、ふさわしい者になれるように」

 身分や知識で対等になれないのならば、せめて王家のために、サルジュのために役立ちたい。そう告げると、サルジュはなぜか悲しそうに目を伏せた。

「……サルジュ様?」

「アメリアがこんなに自己評価が低くなってしまったのは、リースのせいだな」

 低い声で告げられたのは、なぜか以前の婚約者だったリースの名前だった。

「ええと、どうしてリースが?」

 サルジュが彼の名前を出した理由がわからず、戸惑いながらも尋ねる。

「彼は、アメリアを陥れて孤立させていた。そのことが原因で、君は自分の価値を正しく理解していない。アメリアが考案した魔法水が、この国にどれくらい利益をもたらすと思っている」

 真剣な瞳で見つめられて、戸惑う。

「でもあれは、もともとはサルジュ様が考案した水魔法がもとで……」

「私が考えていたのは、水魔法の地位を向上させることだけだ。けれどアメリアは、それをどう役立てるか、どうすれば効率的に普及させることができるのか。そこまで考えていた。アメリアのことばかり思っていた私とは違う」

「それは……」

 アメリアは両手を頬に当て、恥ずかしくなって俯いた。

(わたしのことばかり思っていた、なんて)

 そんなことを当然のように言われて、どう答えたらいいのかわからない。

 何とか気を取り直して、必死に言葉を紡いだ。

「今まで農地を回って、色んな人の意見を聞いてきました。わたしはそんな人たちの意見を参考にしただけです」

 領主の娘が農地を回るなんて、王都の貴族が聞いたら呆れるに違いない。でもその経験が、サルジュのために役立ったのだ。

「君の経験やそれに基づくアイデアは、私にはないものだ。素晴らしいと思う。少し羨ましいくらいだ」

「サルジュ様が?」

 あれほどの知識と魔法の才能を持っている彼が、誰かを羨むなんて思わなかった。それが自分だという事実に驚く。

「そう。だからもっと自信を持ってほしい。君の代わりは誰にもできない。そして何よりも、私の最愛の人なのだから」

「……はい」

 アメリアは真っ直ぐにサルジュを見つめて、頷いた。

 きっと顔が真っ赤になっているに違いない。

 それでも、彼ほどの人にここまで言われて、俯いているわけにはいかない。

「もうわたしなんか、と口にするのはやめます。ただ、役に立ちたいのは本当です。クロエ王女殿下のことも」

 アメリアは、机の上に置いた本を手に取った。

「複雑な事情がおありだと聞きました。遠い異国に嫁ぐことになって、心細くて不安だと思います。せめてわたしだけは、味方になって差し上げたい、と」

 アメリアは、孤立する苦しさを知っている。

 味方のいない心細さを、誰よりもよく知っている。

 もしかしたらアレクシスが懸念しているように、最初から逃亡するつもりでビーダイド王国に向かうのかもしれない。

 でもひとりくらいは、彼女を案じて支える人がいてもいいのではないか。そう思ってしまう。

「そうか」

 サルジュは柔らかく微笑んで、アメリアの黒髪に触れる。

「それがアメリアの考えならば、私は止めないよ。必要ならば兄上にも言っておこう」

「すみません、我儘を」

「アメリアを我儘だなんて思う人はいないよ。むしろ、無理にアメリアを連れて行く私の方が、きっと我儘だろうね」

 そう笑うサルジュに、アメリアも微笑んだ。

「わたしは嬉しかったです。ひとりで待つのは嫌でした」

「そうだね。さすがに長い旅になるだろう。途中の国の状況も、よく観察しておかなければ」

 ふたりでそれぞれの本を手に取り、夕食までの時間を有意義に過ごすつもりだった。

 けれどいつものように、少し熱中しすぎたのかもしれない。

「サルジュ、アメリア。もう夕食の時間だぞ」

 そう言ってふたりを呼びに来たのは、いつもの侍女ではなく、王太子でサルジュの実兄であるアレクシスだった。

「王太子殿下。申し訳ございません」

 まさか彼が直々に迎えに来るとは思わなかった。

 アメリアは慌てて本を片付ける。そんなアメリアを見て、アレクシスは優しく笑う。

「ソフィアが義姉なら、俺のことは義兄と呼んでほしいね」

 きっとソフィアと話をしたのだろう。王太子夫妻は、とても仲が良い。

そう言われて戸惑うが、まるで本当の妹のように優しく接してくれるアレクシスには、アメリアも好意を持っている。

「わかりました。お義兄様」

 そう答えると、彼は嬉しそうに笑う。

「弟も可愛いが、これから義理の妹が三人も増えるかと思うと楽しみだ」

 そう言って、まだ本を読んでいるサルジュを促して食堂に連れて行く。

 アメリアもその後に続いた。

 長男で王太子アレクシス。その妻で、王太子妃のソフィア。

 次兄のエストに、三男のユリウス。

 そしてユリウスの婚約者のマリーエ。

 誰もがアメリアを歓迎して、大切にしてくれる。

(こんなに温かい人達だもの。クロエ王女殿下だって、きっと……)

 みんなで幸せになる未来があると、アメリアは信じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る