3-5

 実家のレニア領地の去年のデータと、協力してもらっている他の領地のデータを見比べ、相違点を上げていく。

(やっぱり、どれほど対策をしても、土魔法をかけた土地の収穫量は桁違いね。成長促進魔法を付与した肥料の普及で、どれだけこの差を縮められるか……)

 アメリアが提案したその肥料は、まだ国内にも完全には普及していないが、いずれはジャナキ王国に輸出する予定だ。国外に販売するからこそ、その安全性や品質は一定基準を満たしていなければならない。

 ただ土魔法の遣い手は、この国でもかなり少ない。

 アメリアも、知っているのは三人だけ。

 元婚約者のリース、そして今の婚約者であるサルジュ。

 そして、サルジュの護衛騎士カイドの妹であり、アメリアの従弟と結婚してレニア領地を継ぐ予定のミィーナだけだ。

 今後、どれだけ肥料を量産することができるかも、重要になってくるだろう。

「アメリア」

 ふと名前を呼ばれて顔を上げると、いつの間にか訪れていたらしいユリウスが、こちらを覗き込んでいた。

「ユリウス様!」

 驚いて、思わず声を上げてしまう。

「ああ、すまない。そんなに驚くとは思わなかった。そろそろ夕食の時間だから、一度中断した方がいい」

「はい、申し訳ございません」

 ついデータに熱中してしまい、思っていたよりも時間が経過していたようだ。

 慌ててサルジュがいた方向を見ると、彼はまだ手元の資料を見つめていた。

 その顔は、いつになく険しいように思える。

(サルジュ様?)

 アメリアは、視線をユリウスに向けた。

 何かあったのだろうか。

「アレク兄上に聞いた話だが、ベルツ帝国に貸し出した、雨を降らせるための魔導具に不具合があるらしい」

 ユリウスは、そんなサルジュを気遣うように、そう声を掛けた。

(え?)

 アメリアは驚いて、サルジュの手元にある資料を覗き込む。

 朝はそんな話をしていなかったので、アメリアが学園に行っている最中に、ベルツ帝国から戻ってきたアレクシスと話をしたのだろう。

「稼働しないわけではないし、きちんと雨を降らせるという機能も果たしている。だが、どんなに魔力を込めても、すぐに魔石を使い切ってしまう」

 サルジュはひとりごとのように、そう呟いた。

 ユリウスの言葉は、一応耳に届いていたのだろう。

 アメリアが帰ってきても気付かないほど集中していたのは、この件について考えていたからのようだ。

「この国で使用する分には、異常はなかった。呪文に使っている古代魔語も、間違っていない。だとしたら、その理由は……」

 サルジュは、傍にいるふたりの存在すら忘れたように、魔導具の分析に熱中していた。

(ベルツ帝国だけ、正常に起動しないなんて。そんなことがあるの?)

 アメリアは戸惑って、ユリウスを見つめた。

 その原因は不明だが、ベルツ帝国だけで正常に稼働しないとなれば、この国に対する帝国貴族の反発を招く必要がある。

 ただでさえ、新皇帝カーロイドには味方が少ない。

 その皇帝がビーダイド王国に騙されて不良品の魔導具を売りつけられた。そう煽って彼に対する不信感を募らせ、まだ帝位を諦めていないふたりの異母弟たちに付け入れる隙を与えてしまうかもしれない。

 そんなことになれば、せっかく保たれたこの大陸の平和はまた乱されてしまうだろう。

 この国のみならず、ベルツ帝国と険しい山脈を挟んで隣接しているジャナキ王国にも影響があるに違いない。

 サルジュの魔導具には、それほどの期待と重圧が掛けられているのだ。

 それがわかるだけに、迂闊に声を掛けることもできなくて、ユリウスとアメリアはただ立ち尽くす。

 けれど、アメリアは心配だった。

 おそらくアレクシスにその話を聞いたときから、ずっと休憩も挟まずに集中していただろう。サルジュの顔色がいつもより白い気がして、アメリアは思わず手を出して、その頬に触れる。

「……アメリア?」

 予想外の行動に驚いたのか、サルジュは顔を上げてアメリアを見つめた。

 やはり顔色が悪いようだと、アメリアはそのまま彼の手を引き寄せた。

「随分お疲れのようです。少し休まれてください」

「だが」

 サルジュは迷うように視線を机の上に向けたが、アメリアが必死にその手を握ると、やがて諦めた様子で頷いた。

「わかった。アメリアの言う通りにする」

 その答えを聞いて、傍で見守っていたユリウスもほっとしたように息を吐く。

「アメリア、ありがとう。君でなければ、あの状態のサルジュを休ませることはできなかった。本当に助かったよ」

「いえ、わたしもサルジュ様が心配でしたから」

 小さく囁かれた言葉にそう返し、今は食事よりも休息を優先させた方がいいだろうと、サルジュを彼の部屋まで連れていく。

 気が抜けたのか、サルジュはそのまま崩れ落ちるように眠ってしまい、ユリウスがベッドまで運んでくれた。

 サルジュは一度眠ってしまうとなかなか起きないので、そのまま朝まで休ませることにして、アメリアはユリウスとふたりでダイニングルームに移動する。

 アレクシスとソフィア、そしてエストがふたりの到着を待っていた。

「ユリウス、サルジュは?」

 真っ先にそう声をかけたのは、王太子のアレクシスだった。

「アメリアが休ませてくれた。かなり疲れていたから、あのまま寝せておいた方がいい」

「……そうか」

 アレクシスは難しい顔をして、そう言ったきり黙り込んでしまう。

 とりあえずサルジュを除いたいつもの面々で夕食をすませ、そのまま談話室に移動する。

 夕食後にお茶を飲みながら談笑するのが、いつもの習慣だった。

 だが、妊娠中のソフィアは先に部屋に戻った。

 アレクシスもいつもならばそんなソフィアに付き添うが、今日は彼女を部屋に送り届けたあとに、談話室まで戻ってきた。

 アレクシスとエスト。そしてユリウスとアメリアが、それぞれ思い思いの場所で寛ぎながらも、色々な話をする。

 今日の話題はもちろん、雨を降らせる魔導具についてだ。

「サルジュの説明では、魔石ひとつで、かなり広範囲まで長く雨を降らせることができるはずだった。だが実際にベルツ帝国で使用してみると、たしかに範囲は広いが、それほど長く雨を降らせることはできなかった」

「そんなはずは……」

 実際に、カーロイドが即位したときに魔導具を使って雨を降らせてみたが、それは成功したはずだ。

 アレクシスがその場にいたのだから、それは彼もよく知っているはずである。

 それに雨を降らせる魔法は、水魔法だ。

 だからその魔導具には、アメリアも深く関わっている。

 サルジュと一緒に何度も実験をして、魔石にもこだわったはずだ。

 それが正常に稼働しないと言われても、すぐに信じることができなかった。

「とりあえず魔導具を持ち帰り、サルジュと稼働させてみたが、説明通りにかなり長い時間雨を降らせることができた。本当に、ベルツ帝国でだけ、正常に稼働しないようだ」

「……」

 もちろん意図したことではないし、この国ではきちんと稼働している。

 けれど説明だけ聞くと、高価な魔石を売りつけるために、すぐに使い切ってしまうような物を押し付けたと思う者がいても、おかしくはない状況だった。

 しかもベルツ帝国とは、前皇帝が死去するまでは国交もなく、むしろ敵対していたような状態であったのだ。

 かつての敵国の手を借りることに、反発を覚える者も多いだろう。そんな中で魔導具が正常に起動しないとなれば、恰好の口実を与えてしまうことになる。

「正常に稼働しなかったのは、兄上も確かめたのですか?」

 エストの質問に、アレクシスは頷く。

「ああ。もちろん何度も確かめた。だが、何故かベルツ帝国では正常に稼働しない。むしろ少量の雨を降らせたことで、日照りがひどくなったと言われていた。サルジュにも、すぐには原因がわからなかったようだ」

「……」

 アメリアは両手を握りしめて俯いた。

 サルジュがどれだけ真摯に取り組んでいるかわかるだけに、紛い物を売りつけたのではないかと疑われたこと、もっと日照りがひどくなったと言われたことが、とても悔しい。

 しかも雨を降らせる魔導具を提供したのは、完全にビーダイド王国からの善意だ。それが、向こう側では魔石を売りつけるためだと認識したのか。

「それならば、魔導具の提供を中止すべきでは?」

 ユリウスもそう思ったらしく、やや固い声でそう言った。

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