3-20

「他にも何か、気になることは?」

 サルジュにそう尋ねられ、アメリアは少し考えを巡らせたあとに、口にした。

「あの国にはもう、魔力を持つ者は存在していないはずです。それなのに、何というか……。魔力を感じることがあって」

「魔力を?」

「はい。勘違いかもしれないのですが」

 そう言うと、サルジュは考え込んでしまう。

「もしそうだとしたら……」

 そう呟くと、机の上に置かれていた資料を広げ始めた。

 何か思い当たることがあり、アメリアの言葉で、それが確信に変わったようだ。

 真剣な顔で資料を読み込むサルジュの邪魔をしないように、アメリアは隣の席に移動して、自分が取り組んでいた課題に取り掛かる。

 虫害を防ぐ『魔法水』は、ユリウスを始めとした研究所の面々に引き渡し、向こうで改良と生産増量のための方法を模索してもらっている。

 今、アメリアが着手しているのは、成長促進魔法を付与した肥料だ。

 カイドの妹のミィーナに協力してもらって、安定した成果が出せるように、実験を繰り返し、そのデータを記録している。

(あの頃、勉強した土魔法の知識が、ここで生かせるなんて思わなかった)

 元婚約者のリースは土魔法の遣い手だったが、どんな魔法をどの土地にかけるのか、考えるのはいつもアメリアだった。

 だから自分では使えない魔法を必死に勉強し、リースに頼んで魔法をかけてもらっていた。

 その知識が今こうして、サルジュの役に立っている。そう思うと、あの日々も無駄ではなかったのかもしれない。

(あともうひとり、土魔法を使える人のデータが欲しい。その平均値を出してから、次の段階に進まないと)

 マリーエに相談したところ、研究所からの依頼として、学園に話を通してくれた。

 一年生には数人、土魔法の遣い手がいるらしい。彼女たちに協力してもらい、もっと詳細なデータを集めなくてはならない。

 まだ国内で実験的に使用している試作品しかできていないが、ジャナキ王国では完成を待ち望んでいる。なるべく早く、一定の品質のものを大量に作れるように、生産体制を整えなくてはならないだろう。

「サルジュ様、そろそろ夕食の時間です」

 一段落したところで、サルジュに声をかける。

 最近は研究に熱中しすぎて、迎えに来てもらうことが多かったから、今日こそは呼ばれる前に行こうと決めていたのだ。

 サルジュもかなり集中していた様子だったが、アメリアの言葉に素直に立ち上がる。

「わかった。行こうか」

 ふたりでダイニングルームに向かうと、マリーエとユリウスが驚いて迎えてくれた。

「そろそろ呼びに行こうと思っていたのよ」

「いつもありがとうございます。なるべく気を付けなくてはと、思っているのですが」

 忙しいのはアメリアとサルジュだけではない。

 それぞれ役目があり、忙しく働いている。

 それなのに何度も呼びに来てくれて、いつも申し訳なく思っていたのだ。

「まぁ、サルジュは昔から呼びに行かないと食事も忘れるから、いつものことだよ。むしろアメリアのお陰で、こうして来てくれるから、助かっている」

 それなのに、ユリウスはそう言ってくれた。

「アメリアもサルジュも、大変な役目を背負わせてすまない。何か要望や手助けが必要だったら、何でも言ってほしい」

 アレクシスも労わってくれた。

「ありがとうございます。土魔法を付与した肥料の方は、学園の生徒に協力してもらえることになりました。平均的なデータを取って、品質が一定になるように、調整したいと思います」

「わかった。ジャナキ王国では、試作品でも良いから早く送って欲しいようだが、さすがにそれはできないからね。引き続き、よろしく頼む」

「はい。精一杯努めます」

 魔法は万能ではないし、思わぬ副作用が出てしまうときもある。だからこそ、他国に輸出するには慎重にならざるを得ない。

「サルジュの方はどうだ?」

 アレクシスが声を掛けると、サルジュは顔を上げた。

「確かめたいことがある。できればもう一度、ベルツ帝国に行きたい」

 彼の言葉に、アメリアも息を呑んだ。

 たしかに魔法は強い力だし、サルジュの結界があれば、大丈夫なのかもしれない。

 けれどあの国は、魔導師にとって危険な場所だ。

 魔力の消費が激しくなって、いつ魔法が使えなくなるかわからないのだから。

 ユリウスもエストもそう思ったらしく、複雑そうな視線がアレクシスに集まる。

「……さすがに今すぐは無理だな。カーロイドが無事に回復して異母弟の処罰を終え、あの国の情勢がもう少し落ち着いてからだ。もうすぐユリウスの結婚式もある。その後に、考えよう」

 サルジュはやや不満そうだったが、それでもアレクシスの言葉に逆らうことはなかった。

「俺は明日、ベルツ帝国に向かう。もし気になることがあるのなら、俺が様子を見てこよう」

 そんな弟を宥めるように、アレクシスはそう言った。

「では後で、見てきてほしい場所のリストを渡します」

「わかった。サルジュも、あまり無理をしないように」

 そんなアレクシスの言葉に、ソフィアは少し不安そうだった。

 アレクシスなら大丈夫だと聞かされていても、ベルツ帝国では魔力を想定以上に消費してしまうと聞けば、やはり不安になるのだろう。

「エスト、ユリウス、留守を頼む。マリーエとアメリアは、できればソフィアを助けてやってほしい」

「承知しました」

「了解しました」

 エスト、ユリウスが即答し、マリーエとアメリアも頷く。

「今回は、ユリウスとマリーエの結婚式もあるから、そう長く滞在するつもりはない。ソフィア、すまないがライナスを頼む」

 ふたりの子どもは、ライナスと名付けられていた。

「はい。どうかお気をつけて」

 不安そうだったソフィアも、アレクシスに声を掛けられると、王太子妃の顔になって頷いた。


 こうして翌日の朝、アレクシスは移動魔法でベルツ帝国に向かった。

 それからアメリアも、忙しくなった。

 学園で土魔法を使う生徒たちに協力してもらい、肥料に成長促進魔法を付与してもらう。肥料にどれくらいの威力の魔法が込められているのかを、専用の魔導具ですぐに測定した。

(魔法を使う人によって、こんなに差があるのね……)

 黙々とデータを書き記していたアメリアは、調整の難しさに思わずため息をつく。

 あのままサルジュを基本にしていたら、大変なことになっていただろう。

 魔法の質を多少落としても、一定品質のものを作ったほうが良いかもしれない。

 学園でデータをまとめ、それを持ち帰ったアメリアは、サルジュのいる図書室に向かった。

 アレクシスに視察を頼んだサルジュは、再びベルツ帝国の魔法の歴史を分析していた。

 魔石を正常に使うことができるようにするには、やはりベルツ帝国での魔法の歴史を知る必要があるらしい。

「サルジュ様、少しよろしいでしょうか?」

 アレクシスの視察の結果待ちということもあるのだろうが、いつもよりも余裕があるように感じたので、アメリアは声を掛けてみた。

「ああ、もちろん」

 予想していたように、サルジュはすぐに頷いて、話を聞いてくれた。

「土魔法を付与した肥料のことですが」

 そう言って、まとめたばかりのデータをサルジュに手渡す。

「どうしても、魔導師によって効果の差が出てしまうようです」

「……そうなのか」

 サルジュはすぐにアメリアに渡されたデータに目を通し、難しい顔をする。

「ああ、そうだね。たしかに、結構差があるようだ。アメリアが調べてくれなかったら、気付かなかったかもしれない」

 サルジュにとっては、簡単に使える魔法だ。

 だから、これほど差が出るとは思わなかったのだろう。

 優秀であるが故に気付かないこともある。アメリアは、それを補足するのが自分の役目だと思っていた。

「そこで、もう少し簡単な魔法に変えて、もう一度データを取ってみました。同じ成長促進魔法ですが、成長具合をかなり減少させています」

 最初にサルジュが試作品として作った肥料は、作物の成長をかなり促進し、本来必要な期間を、大幅に縮めるものだった。

 だが、サルジュと同じ威力で魔法を使えるものなど、ほとんどいない。

 だからアメリアは、魔法をかなり弱めた状態で使ってもらい、そのデータをまとめていた。

「たしかに、ビーダイド王国で使うには不足です。けれど、ここより温暖なジャナキ王国で使用する分には、こちらで構わないのではないかと思います」

 ジャナキ王国はビーダイド王国よりも南に位置していて、まだこの国ほど冷害に悩まされていない。けれど夏の終わりになると雨が多く、川が氾濫したりして、農作物に大きな被害を与えていた。

 その被害に遭う前に、収穫することができればと思ったことが、この肥料を作るきっかけになっていた。

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