2-29
魔導具の試作品は、無事に稼働した。
まだまだ改良が必要な個所もあるが、これからは製品版に向けて、さらに色々な研究者の意見を聞いて開発していくことになるだろう。
サルジュはここで一旦魔導具から離れて、レニア領地にいるうちにと、ジャナキ王国が切望している新しい肥料の開発を始めたようだ。
その間にアメリアはアレクシスと、サルジュに託された魔導具の微調整をしていた。
「これならベルツ帝国でも、問題なく動かせるだろう」
起動方法を何度も確認する慎重さは、やはりサルジュに似ていると思う。
そこは同じ兄弟でも、ユリウスとは異なるところだ。
「ソフィア様のこと、本当におめでとうございます」
改めて祝福の言葉を告げると、アレクシスは凛々しい顔を柔らかく緩める。そして、ありがとう、と噛み締めるように言った。
ふたりは政略結婚だと聞いていたが、アレクシスはソフィアをとても大切にしているし、ソフィアもアレクシスを慕っている。
理想の夫婦像だと、ずっと思っていた。
そんなふたりが幸せであることが、アメリアも嬉しい。
王都に戻ったら、ソフィアに祝いの品を贈らなくてはならない。将来の義姉のために、贈り物を選べるのは嬉しいことだ。
レニア領地を訪れて、数日が経過した。
この日、アレクシスは、せっかくだから視察がしたいと言って、父の案内で領地を回っていた。
マリーエは数日、この領地での休暇を楽しんでいたが、一足先に王都に戻っている。やはりユリウスを残してきたのが、心残りだったようだ。
サルジュは朝からずっと肥料のための研究をしていたから、アメリアもユリウスに渡すための魔法水のデータを纏めていた。
ユリウスに魔法水の研究を引き渡すことに関しては、アレクシスは承諾してくれたし、サルジュも賛成してくれた。
だから彼に引き渡すことは、もうユリウスに確認する前にもう確定していた。
マリーエに伝言を頼んでおいたが、彼も快く引き受けてくれるだろう。今までも、何かと手伝ってくれていた。
(これに、今回のデータも添えて……)
今までのまとめと現在の問題点。その解決方法について記していると、ふいに扉が叩かれた。屋敷には今、母とサルジュしかいないはずだ。誰が尋ねてきたのかと、不思議に思って扉を開くと、そこにはサルジュの姿があった。
彼は朝からずっと、肥料の研究にかかりきりだったはずだ。
「サルジュ様、どうされましたか?」
何か手伝うことがあるのかと、アメリアは慌てて自分の資料を片付ける。
けれどサルジュの用件は、まったく違うものだった。
「そろそろ王城に戻らなくてはならないだろう? その前に、アメリアと農地を歩いてみたいと思って、誘いに来た」
思いがけない言葉に、アメリアは驚いてサルジュを見つめてしまう。
「農地を、ですか?」
「そうだ。よく前の婚約者と……。リースと歩いたと言っていたから、私もアメリアとふたりきりで歩いてみたい」
たしかにリースとは何度も農地を歩いた。
今となっては遠い昔のようだが、もう何年も繰り返してきたことだ。
サルジュとも何度も農地を見て回ったが、いつもカイドなどの護衛がいて、ふたりきりで歩いたことは一度もない。
そのカイドは今、サルジュに頼まれてアレクシスの護衛についている。
自分は研究のために部屋に籠っているし、兄のことが心配だからと言っていたが、あれは計画的なものだったのだろうか。
「アメリア、行こう」
サルジュの身の安全のためには、断るべきなのだろう。
でもアメリアと農地を歩きたいと思ってくれたことは、素直に嬉しい。
そう思って悩んでいるアメリアを、サルジュは手を引いて連れ出した。
彼がこんなに強引だったことは、今まで一度もない。
アメリアは驚いて止めることができず、そのままサルジュに連れ出されてしまった。
「あの、サルジュ様」
「大丈夫。何かあったら移動魔法を使うし、レニア領地は平和だから」
「それは、そうですが……」
たしかに父は領地の治安にとても気を使っていて、定期的に警備団が見回っているので、盗賊など滅多に出ない。
サルジュの移動魔法も、国内では使ってはいけないことになっているが、緊急時は別だ。その魔法の威力も、身をもって知っている。
そんなことを考えて迷っているうちに、いつのまにかグリー畑に出てしまっていた。
サルジュはアメリアの手を引いて、美しく実ったグリー畑を眺めながらゆっくりと歩いていく。
その穏やかで満ち足りた表情に、アメリアはもう口を挟む気持ちになれなくて、ただ彼の手を握りしめて歩いた。
領民達がアメリアに気が付いて、手を止めて挨拶をしようとする。サルジュは穏やかな笑みを返しながらも、手を止めなくても良いと制していた。
そのままゆっくりと農地を歩き、以前、みんなでピクニックをした見晴らしの良い場所で休憩をする。
何の準備もなかったのでどうしようかと迷っているうちに、サルジュは草の上にそのまま腰を下ろしてしまう。
だからアメリアも、その傍に座った。
彼をこんなところに座らせていいのかと思ったけれど、サルジュにあの砂漠に比べたら何でもないと言われて、納得してしまった。
たしかに草の上は柔らかくて、小石や岩石の欠片が混じっていたあの場所とは大違いだ。
「アメリア、急に連れ出してしまってすまなかった」
「いいえ。わたしもサルジュ様と歩けて嬉しかったです。でも、どうして急にこのようなことを?」
以前のサルジュならば、カイドを遠ざけてまで、こんなことをしなかった。
理由を尋ねると、サルジュは言葉を選ぶように考えながら、想いを語ってくれる。
「兄上に子どもが生まれると聞いたとき、いずれ私とアメリアも結婚して、家族になるのだなと思った」
「……はい。わたしも、そう思いました」
サルジュも同じことを考えていてくれたのが嬉しくて、アメリアは頷く。
「でもアメリアと出会ってから、いつも植物学の研究や魔法の実験ばかりだった。アレク兄上とソフィア義姉上のように、ふたりだけの時間を過ごしたことがあまりなかったと気が付いた」
そう思ってサルジュは、ふたりきりになろうとしてアメリアを連れ出したのだと言う。
「サルジュ様」
アメリアは彼の肩に、甘えるように身を寄せた。
今までこんなことは、一度もしたことがない。
でも、そうしてみたいと思ったのだ。
サルジュが自分の想いを話してくれたので、アメリアも素直になりたかった。
「研究ばかりでも、ふたりきりではなくとも、サルジュ様と過ごした日々は、とても大切な思い出です。何にも代えがたい幸福な時間を過ごさせていただきました」
「……そうか」
正直に思っていることを話すと、サルジュは安堵したように頷いた。
いつだって完璧で、才能にも容姿にも恵まれている彼が、こんなことで不安になることがあるなんて、知らなかった。
そんな面があると知ってしまえば、ますます好きになってしまうのに。
「わたしもサルジュ様と似ているところがありますから、研究に熱中することも、データを取ることも好きです。むしろ同じ気持ちで同じ目標を目指せることを、幸せに思います」
寄り添いながら語るのは、アメリアの本音だ。
一般的な幸せではないかもしれないが、それがアメリアにとっての幸せである。
「ですから、ずっとお傍に居させてください」
日が陰ってきたらしく、秋の風が冷たく感じる。
それでも寄り添っていれば、こんなにも温かい。
互いの温もりを感じながら、静かな時間を過ごした。
実は迎えに来ていたカイドが、寄り添い合うふたりに声をかけることができなくて、冷たい風の中、ずっと立ち尽くしていたと知ったのは、王都に戻ってからのことだった。
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