外伝3 ユリウスとマリーエの話 前編
マリーエのことは、よく顔を合わせるようになる前から知っていた。
去年、弟のサルジュが学園に入学したときに、彼女も同じクラスにいたのだ。
マリーエ・エドーリ伯爵令嬢。
エドーリ伯爵家の領地には鉱山があり、貴重な鉱石が採掘できる。そのためかなりの資産家ではあったが、エドーリ伯爵自身は野心もなく、穏やかな人物のようだ。妻を早く亡くしてしまったあとにも再婚せず、三人の子どもを大切にしていた。
だがあまりにも可愛がっているせいか、娘のマリーエと次男にはまだ婚約者がいないらしい。
さすがに後継ぎである長男にはいるようだが、エドーリ伯爵家と縁戚になりたい者など山ほどいるだろう。それなのに学園に在学しているうちに本人が相手を決めればいい。そんな呑気なことを言っているらしい。
そんな伯爵の娘であるマリーエも、おっとりとした女性なのかもしれない。
噂を聞いたときはそう思っていたが、どうやら頼りない父と兄弟を支えるしっかりとした令嬢のようだ。
それを知るきっかけになったできごとがあった。
サルジュが入学してから、用もないのにAクラスを訪れる生徒が増えていたのだ。それを教師に訴えて改善してもらったのが、どうやら彼女らしい。
弟のサルジュはあまり他人に興味がなく、周囲の騒ぎも気にしていないようだったが、それでも余計なトラブルを招く可能性がないとは言い切れない。
だから何とかしなくてはと思っていた矢先のことだった。
誰が教師に訴えてくれたのだろう。それに、サルジュの護衛からその件に関して報告がなかったことも気になる。
話を聞いたユリウスは、自分の護衛を連れて弟の様子を見に行くことにした。
すると、教室が何だか騒がしい。不審に思っていると、護衛のひとりが先に様子を見に行ってくれた。
「どうやら女子生徒同士で少し揉めているようです」
「揉め事か」
今年の一年生は問題が多そうだ。ユリウスはそう思いながら、教室の中を覗いた。するとふたりの女子生徒が向かい合っているのが見える。茶色の髪をした小柄な令嬢と、綺麗な銀色の髪をした背の高い令嬢だ。
「あなたが先生に余計なことを言ったのね。そのせいで皆、とても迷惑しているのよ」
「用のない人が他のクラスに押しかけることが、そもそもおかしいのです。迷惑しているのはこちらの方です」
「……ひどい」
茶色の髪の令嬢が泣き出して、周囲がざわめく。
話を聞くに、どうやら銀色の髪の令嬢が教師に進言してくれたようだ。
ユリウスは教室内を見渡した。どうやらサルジュの姿はないようだ。また図書館に籠っているのかもしれない。
ならば自分が止めた方がいいだろう。そう思ったユリウスが教室の中に足を踏み入れると、ふたりの女子生徒ははっとしたように姿勢を正し、カーテシーをする。
「何の騒ぎだ?」
「ユリウス王子殿下。お騒がせしてしまい、申し訳ございません」
銀色の髪の令嬢が、そのマリーエ・エドーリ伯爵令嬢。そうして茶色の髪の令嬢が、セイラ・カリア子爵令嬢らしい。
「も、申し訳ございません」
マリーエが謝罪すると、セイラも慌てたように続いた。
「誤解があるようだが、教師がなるべく他のクラスを訪問しないように言ったのは私の指示だ。サルジュには静かな環境が必要だということを、理解してほしい」
そう言ったのは、教師の言葉だけでは、このセイラのように指示に従わない者がいると判断したからだ。マリーエは少し驚いた様子だったが、ユリウスの意図をすぐに悟ったのだろう。
「承知いたしました。友人と会うときには談話室を使うようにいたします」
マリーエがそう答えたので、セイラもそうするしかないと悟ったのだろう。震える声で承知しました、と呟いた。その瞳は潤んでいて、今にも涙が零れ落ちそうだ。
それは小柄な容姿も相まって、庇護欲をかきたてられるような姿だ。
だがユリウスは軽く頷くと、それ以上何も声をかけずに教室を後にした。
彼女とよく顔を合わせるようになったのは、翌年のこと。
サルジュがアメリアという令嬢とよく会うようになってからだ。
アメリアは広大な農地を持つレニア伯爵家の令嬢で、サルジュの欲しがっていた新品種の小麦についての詳細なデータを所有していた。魔法理論にも詳しく、サルジュとはとても気が合うようだ。
護衛を連れずにひとりで行動することが多かったサルジュも、アメリアに会うときは連れて歩くようになってくれた。
それには安心したが、困ったことに、物事に集中しすぎると周りが見えなくなるところはふたりともよく似ていた。時間を忘れるほど研究に熱中するふたりを注意しながら、心配が二倍になったようだと溜息をつく。
そんなアメリアの友人で、ユリウスと同じように熱中しすぎるアメリアを注意してくれたのがマリーエだった。
サルジュを探して図書室に向かうと、アメリアを探しに来たマリーエが先に来ていて、休憩をしなければ駄目だ、昼食はきちんと食べたほうがいいと注意してくれていた。
「いつも助かっている。すまないな」
何度目かに会ったあとそう声をかけると、マリーエは驚いたように目を見開き、それから白皙の肌を赤く染めて俯いた。
「い、いえ。ユリウス殿下にお言葉を賜るほどのことではございません。アメリアさんはわたくしの友人ですので」
いつもの凛とした彼女とは違って、囁くような小さな声でそう言うと、少しだけ沈黙した。それから思い切ったように顔を上げる。
「あの、ユリウス殿下が覚えていらっしゃるかどうかはわからないのですが、ずっとお礼を申し上げたいと思っていたことがありました」
「礼?」
首を傾げるユリウスに、マリーエはこくりと頷く。
「入学したばかりの頃、ユリウス殿下に助けていただいたことがあります。わたくしは先生に、用事のない場合は他のクラスに訪問することをなるべく避けたほうがいいのではないかと相談したのですが……」
「ああ、覚えている」
ユリウスがそう言うと、マリーエは嬉しそうに笑う。
その笑顔は、いつもの隙のない完璧な姿とは大きくかけ離れた無邪気なものだった。今までどんなに美しい令嬢から微笑みかけられても何とも思わなかったのに、それを見た途端に胸がどきりとした。
「あのとき、セイラさんだけではなく色々な人達から余計なことをしたと責められていたのです。ですが、ユリウス殿下がご自分の指示だと仰ってくださったので、わたくしを責める人はいなくなりました。本当にありがとうございました」
そう言って、丁寧に頭を下げる。
あのときは、サルジュのためにそうした方がいいと判断した。
「君の助けになれて、よかったよ」
けれど今は心からそう思っていた。
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