外伝2 カリア子爵令嬢セイラの後悔 後編
その日の夜。
学園寮の部屋に閉じ込められていたセイラは、両手をきつく握りしめて、窓の外を睨んでいた。
思い出すのは、サルジュに庇われたアメリアの姿だ。顔は見えなかったが、きっとこちらを馬鹿にして笑っていたに違いない。
(……あんなことで退学になるはずがない。きっと全部、あの女の嫌がらせに違いないわ)
どんな方法を使ったのか、ユリウスとサルジュという強い味方を得たアメリアは、退学という言葉でリースとセイラを脅しているのだろう。
このままふたりを引き裂こうとしているに違いない。
(絶対に、そんな脅しには屈しないわ)
だが、向こうが王族を味方にしてしまったのなら、さすがにこちらが不利になってしまう。これからどうしたらいいのか迷っていると、窓を叩く音がした。
顔を上げると、そこには愛しい人の姿があった。
「リース!」
「セイラ、迎えにきた。一緒に逃げよう」
まるで恋愛劇のようだ。
セイラはうっとりとしながら頷いた。
「ええ、あなたと行くわ」
あの女に仕返しをされるくらいなら、リースと「真実の愛」を貫いて駆け落ちした方がいい。セイラは手早く旅支度を整えると、置き手紙を書き、そこに彼の名を書き添える。
それからふたりで寮を抜け出した。
さすがに見張りがいるかと思って警戒したが、夜になったこともあって誰もいなかった。きっと本格的に調べられるのは明日以降になるのだろう。
学園を抜け出して、そのまま王都からも脱出する。
「私の家に行きましょう。お父様とお母様なら何とかしてくれるわ」
そう言うと、リースも黙って頷いた。
夜中ということもあり、まずは徒歩で隣町を目指す。そこで一泊してから、馬車で領地を目指せばいいだろう。
お金もあるし、父からもらった宝石もたくさん持ってきた。王都から遠ざかれるにつれ、緊張感も薄れてきた。
領地に戻れば何とかなる。そう信じていた。
だが途中で会ったひとりの女性が、すべてを変えてしまった。
彼女はとても美しい女性だった。
輝く白銀の髪に、褐色の肌。あきらかにこの国の人間ではなかった。
そんな女性が微笑みながら近付いてきたので、セイラもリースも警戒した。
しかも彼女はふたりに内密の話があるというのだ。
「話なんてないわ。リース、行きましょう」
リースがその女性に見惚れているように思えて、腕を絡ませて強く引く。
「ではおふたりとも、このまま学園を退学して平民として生きる覚悟なのですね」
だが、女性のその言葉でぴたりと足が止まった。
「退学? 平民? 何を言っているの?」
セイラが詰め寄ると、彼女はいかにも悲しそうに告げた。
「サーマ侯爵令息は、もう学園を退学になってしまったようですよ」
「!」
彼女の言葉に、リースが息を呑む。
「そんなの嘘よ! そもそもどうしてあなたが知っているのよ」
その女性を睨みつけ、その場を立ち去ろうとした。
けれどリースは足を止めたままだ。
「リース?」
「どうして僕だけが退学に?」
こんな得体の知れない女の言葉を、彼は信じてしまったようだ。
「リース、騙されないで。そんなことを、この女が知っているはずがないわ」
「いえ、王都にいる者なら誰でも知っておりますよ。正式に発表されましたから。さらにカリア子爵家は、娘はサーマ侯爵令息にさらわれた被害者だと訴えて、賠償金を請求したようですよ」
「え、お父様が……」
学園を退学になったのはリースだけ。それを聞いた父は、娘を守ろうとしてくれたのだろう。だが彼は、どうして自分だけが退学になってしまったのだと思ったのだろう。
「しかもさらわれただと。寮を出るとき手紙を書いていたな。まさか、それに」
「違うわ! リースと真実の愛を貫くと書いただけよ」
「だったらどうして、それを僕に見せなかった」
「時間がなかったからよ。リース、どうして私を信じてくれないの?」
自分だけが退学になり、しかも誘拐犯として訴えられた。
それを聞いたリースは、セイラの言葉をまったく信じてくれなくなった。
(こんな、誰かもわからない女のせいで……)
褐色の肌をした女を睨みつけると、彼女はにこりと笑った。
「私はベルツ帝国の者です」
「!」
そしてふたりにだけ聞こえるように、そう囁いた。
「て、帝国?」
セイラは思わず後退る。
いくつかの国を隔て、さらに険しい山脈の奥にあるベルツ帝国は、好戦的で恐ろしい国だと聞いていた。
「このままだと、あなたは平民になるしかありません。せっかく類まれな魔法を持っているのに、何と勿体ないことでしょう」
女はリースにそう囁きかける。
「我が国では、土魔法と水魔法を使える者を切望しております。魔法を封じられる前に、帝国にいらっしゃいませんか。もちろん、爵位も領地もあなたのお望みのままに」
「……帝国に」
セイラと違ってリースにはもう後がない。どんなに逃げても、いずれ見つかってしまうだろう。そうすれば魔法を封じられ、平民として生きるしかない。
リースは帝国に行くというかもしれない。
けれどセイラは嫌だった。
「わ、私は帝国になんて行かない。領地に戻って、お父様に匿ってもらうわ」
帝国なんて恐ろしい。
そもそもリースと違って、セイラはまだ退学になっていないのだ。
「なんて卑劣な。真実の愛などと言っておきながら、自分だけ逃げるのですね」
女は嘲笑うようにセイラを見て、リースに手を差し伸べる。
「できるなら、水魔法が使える人も欲しかったのですが」
「……水魔法なら、アメリアがいる」
リースがそう言うのを、信じられない思いで聞いた。
「何を言っているの? 今さらあんな女のことを」
「アメリアはもともと僕の婚約者だ。君が割り込んでこなければ、こんなことにはならなかった」
かつて婚約者を罵倒していたように、リースはセイラを睨む。
「何が真実の愛だ。自分だけさっさと逃げようとしていたくせに」
「ひどいわ。私のことを疑うの?」
「彼女は自分だけ家に戻りたいようですから、もう放っておいたほうがよろしいかと」
女がリースにそう囁き、彼も頷いて、その場を立ち去ろうとする。
「リース、待って。帝国と手を組んだりしたら、あとでどうなるか……」
慌てて止めようとするが、彼は振り向いてもくれなかった。ひとり残されたセイラは、立ち尽くすしかない。
「どうしよう。こんなことが知れたら……」
恐ろしくなって、セイラはひとりで実家に逃げ込んだ。
父も母もセイラを庇い、屋敷の奥に匿ってくれた。娘を捨てたリースを罵り、もう大丈夫だからと優しく慰めてくれた。
けれどセイラは不安だった。
彼が連れて行くと言っていたアメリアは、サルジュの傍にいる。彼には常に護衛がいて、近寄ることなどできないはずだ。
案の定、ベルツ帝国と手を組んだリースは王城に忍び込んでアメリアを浚おうとしたようで、失敗して捕らえられた。
帝国との繋がりも露見したらしく、騎士団に厳しく取り調べを受けていた。
しかも彼はセイラのことも話してしまい、すぐに屋敷から連れ出され、学園を退学処分になってしまった。
「……リースが悪いのよ。帝国なんかを手を組むから。私の言葉を信じてもくれなくて」
魔封じの腕輪をつけられたセイラは、母とともに子爵家を追い出された。
それを命じたのは父ではない。
父はセイラを匿い、王家に偽の報告をした罪を問われて当主の座を追われた。爵位を継いだ兄は、真っ先にセイラと母を子爵家から追放したのだ。
身ひとつで追い出され、ふたりは町を彷徨った挙句に救貧院に入ることになってしまった。
(どうしてこんなことになったの……)
真実の愛を見つけて、幸せになるはずだったのに。
あのとき、アメリアを陥れようとしなければ。
ベルツ帝国に行くというリースを、何とかして止めていれば。
どんなに後悔しても、もう魔法は二度と使えない。
セイラはここで、平民として生きていくしかなかった。
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