2-13
その問いに、クロエは不安そうな顔をしてアメリアを見る。
「そう信じていたわ。アロイスと一緒に生きられるのなら、すべてを捨てても構わないとさえ思っていた」
そう答えながらも、その声は震えていた。
不安定で今にも消えてしまいそうな恋心を、必死に繋ぎとめようとしている様子が、痛ましい。
「でも、そんな大切なアロイスとの出会いを、どうして私は覚えていないの?」
そう言って俯くクロエの手を、アメリアはそっと握りしめた。
愛する人の記憶が消える。
それは想像するだけで恐ろしいことだ。
もし誰かが彼女の記憶や意識を操作していたとしても、クロエにとっては本当の感情であり、恋だと思っていたはず。それも、一緒に生きられないのならば、すべてを捨てて逃げようとしていたほどの恋だ。
それを思うと、彼女を利用しようとしたあの男性に怒りを覚える。同時に、クロエのあの場で保護できて、本当によかったと安堵した。
「彼のことをどこまで覚えているのか、伺ってもよろしいですか?」
気遣うように尋ねると、クロエは縋るようにアメリアの手を握り、こくりと頷いた。
「出会ったときのことは、まったく覚えていないわ。気が付いたらアロイスを愛していた。彼に、私には婚約者がいるから一緒にはなれないと言われて、悲しくて。あなたと生きるために、絶対に他国になんか嫁がないと告げたことを覚えている」
「それは、殿下の本心でしたか?」
「……わからない」
クロエは静かに首を振った。
「そう思っていたけれど、今になると本当に私の本心だったのか、わからないの。でも……」
そう言って、過去を思い出すように目を細めた。
「お姉様が亡くなるとき、私に謝罪したの。重荷を背負わせてしまう。許してほしいと泣きながら。だからお姉様に心配しないで、と。私はお姉様のような魔力はないけれど、お姉様の役目を立派に果たしてみせると誓った。その気持ちも、ちゃんと覚えている。でも、アロイスを愛したのも本当なの。私は、どうしたら……」
本来のクロエは家族に愛され、甘やかされながらも、きちんと姉の遺志を継いで役目を果たそうとしていた。
それを誰かに捻じ曲げられ、こんな状況に陥ってしまったのか。
しかもそのアロイスが、クロエを使ってビーダイド王国とジャナキ王国の間がこじれることを望んでいるのだとしたら。
(ユリウス様やサルジュ様に真相を話さないと)
クロエの状況を話して、これからどうするのか相談しなければ。
遅くなってしまったが、すべてを報告しよう。
そう思い、彼女の手を引いて立ち上がる。
「ユリウス様のところに行きましょう」
「え? でも……」
クロエは戸惑っている。
たしかに駆け落ちしようとしたことを、彼に知られるのは恐ろしいのかもしれない。でも今の状況を知れば、ユリウスはきっとクロエを守ってくれる。
大丈夫だと説得すると、彼女も今の状態で恋人に会うのが怖いのか、戸惑いながらも頷いてくれた。
(まずサルジュ様に事情を話して謝って、一緒にユリウス様のところに行ってもらおう)
ユリウスがどこにいるのかわからない以上、クロエを連れて歩き回るのは危険だ。きっとアロイスは、姿が見えなくなったクロエを探している。それも、計画が計画だけに、執拗に探し出そうとするだろう。
クロエにサルジュの存在を知られてしまうが、いずれビーダイド王国に戻ればわかってしまうことだ。
アメリアは周囲を警戒しながら外に出た。
クロエの手を握りしめたまま、サルジュの部屋を目指す。
そこにはきっとカイドもいる。
クロエを守ってくれるに違いない。
仄かな光に照らされた廊下を、クロエの手を引いたまま必死に歩く。
本当は走り出したいほどだが、王女を引っ張って走るわけにはいかない。
しばらく歩くと、目指す部屋が見えてきた。
扉から零れる明かりを見て、泣き出したいくらいの安堵を覚える。
あの部屋に逃げ込めば安全だ。
(サルジュ様……)
愛しい人の姿を思い浮かべて、ほっと息を吐いた瞬間。
まさに先ほどまでクロエが潜んでいた場所から人影が出てきた。
「!」
腕を強く引かれて、彼女を巻き添えにしないように、咄嗟に繋いでいたクロエの手を放した。
アメリアを捕まえたのは、背の高い男性だった。
背後から拘束されていて振り返ることはできないが、間違いなくクロエの恋人のアロイスに違いない。
「……アロイス」
クロエが震える声で、彼の名前を呼ぶ。
「ああ、クロエ。やっと見つけた。こんなところにいたんだね」
アロイスはアメリアを捕えたまま、そう言って彼女に微笑みかける。
「せっかくの魔法が解けかけているね。でも、もう君はいいかな。彼女の方が役立ちそうだから」
「……魔法?」
それを聞いて、アメリアは思わず呟く。
彼は魔導師で、クロエに魔法を掛けて恋人に成りすましたのか。けれど人の心を操る魔法など聞いたことがない。
「魔法とは少し違う。俺は魔導師のなり損ないだ。普通の属性魔法は使えず、人の記憶や意識を少しだけ操作することができる。だがそれも、相手の魔力が俺よりも少ない場合だけだ」
クロエは王家の人間だが、魔力は弱めだと聞いていた。それもあって、兄や姉は彼女をつい甘やかしてしまっていたらしい。
クロエは魔力が弱いせいで、アロイスに目をつけられてしまったのか。
「さすがにビーダイド王国の人間には無理だった。たとえ侍女や護衛であっても、さすがに他の国とは魔力が桁違いだ」
その侍女は侯爵令嬢であるリリアーネであり、護衛は騎士団に所属しているカイドだから魔力が多いのは当然だ。けれどそれを考えても、彼の使う「魔法のようなもの」は危険すぎる。
(早く、このことをサルジュ様に伝えないと)
何とか彼の拘束から逃れようとするが、アメリアよりもかなり大きな手は、けっして放してはくれない。
アロイスは昏く沈んだ声で、嬉しそうに言う。
「君を連れて行けば、あの人も喜ぶだろう」
その言葉にぞくりとした。
アロイスはアメリアをどこかに連れて行こうとしている。
「嫌よ、放して!」
「暴れても無駄だ。少し遠いけど、魔法で移動するから一瞬だ。叫んでいると舌を噛んでしまうよ」
優しい声でそう言われても、聞き入れることなどできるわけがない。
けれど無情にも、アロイスは呪文を唱えて魔法を使おうとしている。
(サルジュ様!)
咄嗟に彼の名前を呼んで、贈り物の指輪に触れる。
その瞬間に感じた、ふわりとした浮遊感。
世界から遮断されるような、不快な感じだった。
けれどそれを断ち切るように、強い光がアメリアを包み込んだ。
「……っ」
指輪をした指を片手で包み込んで、サルジュのことを思う。彼と離れるなんて、考えたくもない。
光が視界を埋め尽くした。
一瞬、意識が飛んでいたようだ。
ふと気が付くと、アメリアは地面に倒れていた。
誰かにしっかりと抱きしめられている。けれど、あの男の腕ではない。
むしろ誰よりも馴染み、恋しく思っていたものだ。
「サルジュ様!」
思わず叫ぶように名前を呼ぶと、彼はゆっくりと目を開けた。
アメリアが腕の中にいることを安堵するように、ほっと息を吐く。
「よかった、間に合った」
「サルジュ様、どうしてここに……」
「アメリアに渡した指輪は、魔道具だ。君に危険が迫ったときに、それを知らせてくれる」
魔道具を通してアメリアの危機を感じ取ったサルジュは、魔道具に組み込まれていた魔法でアメリアの元に移動し、アロイスが使った移動魔法を断ち切ってアメリアを取り戻したのだと言う。
魔道具にあらかじめ組み込んでいた魔法なら、他国でも使ったことにならないと思い、出発前からアメリアのために用意していたようだ。
「だが転移魔法はもう発動してしまっていた。だから、ここまで飛ばされてしまったのだろう」
「こことは……」
サルジュにしがみついたまま、アメリアはそっと周囲を見渡す。
そこには、今まで一度も見たことのない光景が広がっていた。
乾いた大地。
照りつける強い太陽。
気温が高く、じっとしているだけで汗が滲んでいく。
まさか、と小さく呟いた。
「サルジュ様、ここは……」
「君を連れ去ろうとした者は、ベルツ帝国の人間だったようだ。帝都に連れ去られなかっただけ、まだ良いか」
サルジュはそう呟くと、立ち上がって周囲を見渡した。
「カイドが咄嗟に手を伸ばしていたから、巻き込んでしまったかもしれない。探してみよう」
「……はい」
敵国ともいえるベルツ帝国で、カイドがいるのは心強い。アメリアは頷いて、差し伸べられたサルジュの手を取った。
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