第37話

 これからのことを相談したあと、ユリウスは先に出発した。

 アメリアはサルジュの到着を待って、一緒に学園に向かう。

 いつもより少し遅れたサルジュは、少しぼんやりとした表情で外の景色を眺めている。彼がこんな顔をするのは、家族とアメリアの前だけだ。アメリアはあえて何も話さずに、静かに見守る。

 そして馬車が学園に到着した途端、あらかじめ考えていたことを実行に移す。

 馬車が到着した場所には、護衛騎士のカイドが待機していた。出迎えてくれた彼に、アメリアは謝罪する。

「カイド様、ごめんなさい!」

「え? 待って、ちょっと待って!」

 馬車を降りた途端、アメリアはサルジュの手を取って走り出した。

 相手は鍛えられた騎士だ。すぐに追いつかれることはわかっていた。

 でもユリウスが何とかしてくれるだろう。彼には事前に相談して、許可を得ている。

 研究所ではなく学園に向かったアメリアは、そのまま空いている自習室の中に逃げ込む。

「アメリア、何を」

 まったく抵抗せずにここまで連れてこられたサルジュが、部屋に押し込められてようやくそう尋ねる。

「少しお疲れの様子でしたので、今日はお休みをしていただこうと思いました」

 休むだけなら、わざわざ学園に来なくてもよかった。

 けれどサルジュのことだから、たとえ休んでも一日中王城の図書室に籠ってしまっただろう。

 それでは休んだことにはならない。

 だから、何もないここに連れてきたのだ。

「そこまで疲れた顔をしていた覚えはないよ」

 困ったような顔をして笑うサルジュに、当然だと頷く。

「きっと誰も思わなかったのではないでしょうか。……私以外は」

「アメリア以外は?」

「はい。ずっと一緒にいますから、私にはわかります」

「そうか」

 サルジュは嬉しそうな、それでも認めたくないような複雑な表情で頷いた。

「とにかく少し休んでください」

 そう言って椅子を勧める。狭い自習室なので、机も椅子もひとつだけだ。

「アメリアはどうする?」

「私は床でも大丈夫です」

 そう言って、そのまま床に座る。アメリアが立ち尽くしていたら、いつまでも彼は休まないだろう。

 床に直接座るなんてはしたない行為だが、領地にいたときは床どころか地面に座り込んで作物の観察をしていたこともある。とにかくサルジュを休ませたいと、ただそれだけを思っていた。

 それなのに彼は、あろうことかアメリアの隣に、やけに優雅なしぐさで座ったのだ。

「サルジュ様?」

 そんなことをしてはいけないと、慌てて立ち上がろうとした。けれどサルジュはそんなアメリアの肩に寄りかかる。

「!」

 柔らかな髪が頬に触れ、どきりとした。

 サルジュを支えたいと、力になりたいとずっと願っていた。

 でもそれは研究面だけであり、彼はプライベートな部分に踏み込ませたりはしないだろうと思っていた。

 けれどサルジュはアメリアにそっと寄りかかり、目を閉じている。

「アメリアの言うように疲れていたのかもしれない。研究所は、少し騒がしい」

「……そうですね」

 誰もが魔法に人生を捧げるくらいの熱量を持っていた。

 ただ純粋に魔法に対する興味だけの者もいれば、何かを成し遂げてやろうと野心を持つ者もいる。

 そんな多種多様の人達が集まった場所なのだ。彼らが力を合わせたら、より良い考えが生まれるのかもしれない。

 魔法研究所自体は、素晴らしいことだ。

この国の魔法はこれからますます発展していくだろう。天候に左右されるこの大陸にとって、まさに希望の光となり得る存在となる。

 だがサルジュは本来、ひとりで思考することを好む人間だ。彼に必要なのは周囲の意見ではなく、静かな環境だった。

「豪華な設備も大量の本もいらない。私には、アメリアがいてくれたらそれでいい」

 それは、こんな場所でふたりきりだからこそ口にしただろう、彼の本音。

 頼られていた。

 アメリアの胸に、嬉しさがじわりと広がっていく。

「そんなことを言われたら、勘違いしてしまいますよ」

 嬉しくて恥ずかしくて、それを誤魔化すように言った。

 けれどサルジュは身体を起こし、思いがけず真剣な瞳でアメリアを見つめる。

「サルジュ様?」

「ずっと傍にいてほしい。もしアメリアが離れたいと言っても、きっと私は、その望みを叶えてあげることはできない」

「……それは助手として、でしょうか?」

 それでもいいと思っていたはずなのに、熱を帯びた彼の視線に、それ以上のことを期待してしまう。問いかける声は、みっともないくらい震えていた。

「アメリアが望むのなら、それでもいい」

「望まないなら?」

 助手ではなく、もっと強い繋がりを求めても許されるのだろうか。

 入学当時、アメリアが孤立して苦しんでいたとき、最初に手を差し伸べてくれたのはサルジュだった。

 彼の研究を、その人となりを尊敬している。

 けれど、あの苦しみから救ってくれた彼に、いつしかそれ以上の気持ちを抱いてしまっていた。

 震える両手を握りしめて彼の言葉を待つアメリアに、サルジュは優しく微笑んだ。

「最初は、困っている君を助けたいと思っていた。次にレニア伯爵家の令嬢であること知り、魔法や作物にも詳しかったから、友人になることができればと思った。でも以前、私の助手は疲れるだろうと聞いたことを覚えているだろうか」

「はい」

 アメリアは頷く。

 あれは、特Aクラスの試験を受けるために、推薦状を書いてもらう話をしていたときのことだ。

「アメリアは私の役に立てて嬉しいと、魔法の話をするのが楽しいと言ってくれた。そんなことを言われたのは初めてだった。あのときから、私はアメリアに惹かれていた」

 そっと手を握られる。

 さっきまで手を繋いで走っていたはずなのに、伝わる温もりに泣き出しそうになる。

「エスト兄上やユリウス兄上と違い、私は王族に残ることになるだろう。アメリアは、王族の妻になってくれるだろうか」

「……っ」

 エストとユリウスは、結婚したら公爵となって臣下となる。それはアメリアも知っていた。

 けれど正妃の子であるサルジュは、王太子のアレクシスが即位したとしても、王弟として王家に残り、この国のために魔法と植物学の研究を続けるのだろう。

 そんなサルジュの、王族の妻となる覚悟。

 好きだという気持ちだけでは、乗り越えられないものがある。

「ですが、私では身分も実績も……」

 地方領主の娘で、今となっては跡取りでもない。

 まだ学生で、何かを成し遂げたわけでもなく、サルジュの助手を務めているだけだ。

 不安そうな顔をしているアメリアに、サルジュは告げた。

「新しい水魔法を開発すれば、それが何よりも実績になる。それくらいのことを成し遂げれば、誰も身分のことなど持ち出さないよ」

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