第14話

 翌日。

 アメリアは完成した資料を持って、学園に向かった。

 かなりの厚さになってしまったので、大きめの書類バッグに入れてある。放課後になったらサルジュが教室に来てくれるので、そのまま渡せばいい。

 そう思っていたのだが、アメリアが大切に抱えているものが、エミーラは気になったらしい。

 昼食のために教室を離れている間に、書類バッグが消えていた。

 まさかと思ってエミーラを見ると、彼女達は中庭を見ながらくすくすと笑っている。

 その様子に嫌な予感がした。慌てて窓に近寄って眺めてみると、書類バッグが噴水の中に沈んでいるのが見えた。

 息を呑むアメリアを見て、彼女達は楽しそうに笑っている。

(さすがにこれは、やりすぎでは?)

 もし本当にアメリアがリースとの婚約を解消したくないと言っていたとしても、それはふたりの問題である。関係があるのは、せいぜいリースの恋人くらいだ。

 それなのに、ただ悪い噂が流れている相手というだけで、ここまで酷いことができるものなのか。

 権力には重い責任が伴う。それを理解していない者に、王族の妻は務まらない。

 そう言っていたユリウスの言葉は、間違いなく正しかった。

(こういうのも、あとで婚約破棄のための証拠として突きつけられるのかしら……)

 少しだけ残っていたエミーラに対する罪悪感は、もはや跡形もなく消えている。

 せいぜい派手に婚約破棄されてほしい。

 溜息をつきながら、アメリアは中庭まで歩いていく。

 水の中に沈んでいるのは、間違いなく自分のバッグだ。

 迷うことなく大きな噴水の中に手を入れて、それを拾い上げた。滴る水が制服を濡らす。それを気にすることなく中を確認すると、資料はすべて濡れてしまって読めなくなっていた。

(これでは、さすがに……)

 幸いにもサルジュに提出するために清書したものだから、元の資料は寮の部屋にある。だからデータ自体が損失することはなかった。それでも今日、約束通りサルジュに渡すことはできないだろう。

 昨日、一生懸命にまとめた資料だ。それを考えるとさすがに悲しくなる。

「あなた、大丈夫?」

 ふと声を掛けられて顔を上げると、ひとりの令嬢が心配そうな顔をしてこちらを見ていた。

 どうやら上級生のようだ。

 まっすぐな銀色の髪に、青い瞳。すらりと背の高い、なかなか迫力のある美人だ。

「制服も濡れてしまっているわ。何があったの?」

 だが、気遣うように言ってくれた声はとても優しい。

「昼食のために教室を離れていたら、バッグがなくなってしまって探していました」

 正直にそう告げると、彼女はアメリアの姿と、手にしたずぶ濡れのバッグを交互に見つめて眉を顰める。

「まぁ、ひどい。この王立魔法学園で、そのような嫌がらせをする者がいるなんて。あなたのクラスは?」

「一年生の、Aクラスです」

 それを聞くと彼女は、成績上位者がこんな稚拙な嫌がらせをするなんてと呟き、アメリアを見た。

「犯人に心当たりはあるの?」

「……憶測でしかありませんので、お答えできません」

 間違いなくエミーラの仕業だが、彼女がわざわざ中庭まで行って投げ捨てるとは思えない。すると実行犯は別の人間だろう。

「そう。だったら原因は? こうなったのには、理由があるでしょう?」

「私がアメリア・レニアだからです」

 理由なんて、それしかない。

 学園内に流れている噂を、さすがに彼女も知っていたのだろう。呆れたような溜息が聞こえてきた。

「それが、あなたのクラスメイトに関係があるの?」

「……ないはずです」

 彼女もアメリアと同じく、そう思ってくれたようだ。

 溜息をつくと、彼女は風魔法を使ってアメリアの制服とバッグを乾かしてくれた。

「ありがとうございます」

「ごめんなさい。私の魔法では書類の再現まではできないの」

「いえ、充分です。本当にありがとうございます」

 悪意に晒されただけに、その優しさが胸にしみる。

 彼女はマリーエと名乗った。

リースやサルジュと同じ二年生で、エドーリ伯爵家の令嬢のようだ。

 エドーリ伯爵家といえば、アメリアだって知っている。

領地内に鉱山があり、貴重な鉱石が採掘できると有名だった。王都にも広大な屋敷を有していて、かなり裕福な資産家である。

 その伯爵家の令嬢が、こんなに親切にしてくれるとは思わなかった。

 ありがとうございましたと、もう一度頭を下げる。

 その様子を見ていたマリーエが、呆れたように言った。

「やっぱり噂なんて当てにならないわね。リースの言っていたような人には見えないもの」

 マリーラはリースと同学年で、今はクラスが違うようだが、彼のことをよく知っていた。

「一年生のとき、彼とは同じAクラスだったの。最初は勉強熱心で、将来のために魔法を頑張りたいと意気込んでいたわ」

 アメリアの知るリースは、たしかにそういう人だった。

「でも夏頃になって、あのカリア子爵家のセイラと出会って。それから授業に身が入らなくなったようで、二年生になったらCクラスにまで落ちたのよ」

「そうなんですか」

 リースは勉強が忙しいどころか、セイラに夢中だったようだ。

 最初からCクラスなら素質の問題もあるので仕方がないが、AからCに落ちてしまうのはかなり恥ずかしいことだ。

「ここで会ったのも何かの縁だし、リースのやり方は気に入らないわ。何か手助けできることがあったら言ってね」

「……ありがとうございます」

 学園は敵ばかりではなかったと知る。

 安易に力を借りるつもりはないが、そのことに少しだけ安堵して教室に戻った。

 乾いてもゴワゴワになってしまったバッグは元に戻らないし、中の書類も無惨な状態だ。机に座り、中の状態を確かめて溜息をつくアメリアを、エミーラを始めとしたクラスメイト達は嘲笑っている。

 申し訳なさそうな顔をする者は誰もいなかった。

 地方貴族で悪い噂があり、友人もひとりもいない。

 皆、そんなアメリアを虐げてもかまわないと認識しているのだ。

 だが彼女達は、この書類が誰に提出するつもりだったのか。

 アメリアがすでにユリウスやサルジュと知り合いで、彼らに友人だと認定されていることを知らない。

 この授業が終われば、きっとサルジュが資料を受け取るためにこの教室を訪れるだろう。

 彼女達に対する罪悪感はもうない。

 だから、すべてを正直に伝えるつもりだ。

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