第15話

 教師の嗄れた声が、今日の授業の終わりを告げる。

 クラスメイト達はすぐに席を立って教室のあちこちに集まり、楽しそうにお喋りをしていた。誰かが自慢話をすると、すぐに称賛の声が集まる。

 この貴族社会で生き残る術を、こうやって身につけていく。

 学園で学ぶのは、魔法だけではないのだろう。

 アメリアは自分の席に座ったまま、静かに彼の訪れを待っていた。

 周囲からは、どの会話にも加われないアメリアを見下すような視線を感じる。

 家業も大切だが、貴族社会で生きる以上、社交も大切なものだ。

 輪から外れた者を徹底的に嫌う、排他主義。

 地方出身のアメリアにはわからなかったが、きっと王都に住む貴族達というものは、最初からこういうものなのだろう。

 アメリアはリースによって理不尽に孤立させられ、孤立したことによって集団から弾かれた。

 それでも昼に出会ったマリーラやユリウス、サルジュのような人もいる。彼らに出会わなければ、学園に通う三年の間にアメリアは絶望していたかもしれない。

 ふと、周囲のクラスメイトがざわめいた。

 顔を上げると、教室の入口にひとりの男性が立っている。

 とても背の高い、赤い髪の青年だった。

 年は二十代半ばくらいだろうか。

 制服ではなく騎士服を着ている。この王立学園で剣を帯びているので、王族の正式な護衛だ。

 ユリウスが、サルジュの護衛を変更したほうがいいと言っていたことを思い出す。よくひとりで行動する彼の護衛は、とうとう本物の騎士が勤めることになったのだろう。

 赤い髪の騎士は入口に立ったまま、教室の内部を見渡した。

 髪と同じ赤い瞳が、生徒達の中からアメリアを見つける。

 ボロボロになったバッグを抱きしめたままアメリアが立ち上がると、騎士の陰からサルジュが出てきて、そのままアメリアの元に歩み寄る。

「アメリア、すまない。待たせたかな」

 いつもの穏やかな表情ではなく、嬉しそうな顔をしてアメリアの名前を呼んだサルジュの姿に、クラスメイトがざわめく。

 どうしてあんな子が、という声が聞こえてきた。

 エミーラかもしれない。

「殿下。私の前に出ないでくださいと申し上げたはずです」

 追い抜かれた赤い髪の騎士が苦言を呈したが、サルジュの耳に届いた様子はない。

「サルジュ様」

 思わず窘めるように名前を呼ぶと、彼は少しだけ決まり悪そうな顔をする。

「君の資料を見せてもらうのが楽しみで、つい。気を付けるよ」

 サルジュの言葉に赤い髪の騎士は、驚いたように目を見開く。

「殿下が、誰かの忠告を受け入れるなんて……」

 と呟き、救いを求めるような瞳で見つめられてしまう。

 サルジュの護衛は本当に苦労しているようだ。

「……申し訳ございません。お渡しするはずだった資料なのですが」

 アメリアが胸に抱きしめていたバッグを机の上に置くと、こちらに注目していたらしいクラスメイト達が息を呑んだ。

 まさかサルジュに渡すものだとは、思ってもみなかったのだろう。

「どうして、こんなことに?」

 ボロボロになったバッグを見て、サルジュが問いかける。アメリアはそれにどう答えるべきか、少しだけ迷う。

 自分の不注意で濡らしてしまったと言えば、きっとサルジュは許してくれる。

 けれどここまで一方的な悪意を向けられて、ただ耐えることが正しいとは思えなかった。

 たしかに貴族の厳しい上下関係に適応することも、周囲との協調性も大切かもしれない。それでもユリウスとサルジュが危惧していたように、学園内のこととはいえ信憑性のない噂にここまで振り回されているのは問題であると思う。

 だからすべてを話すことにした。それに王族であるサルジュに嘘を言うことはできない。

「昼食のために席を外して戻ってきたら、このバッグが中庭の噴水に沈んでいました」

 この発言が及ぼす影響を考えながらも、落ち着いた声でゆっくりと告げた。

 ざわめく教室内で、サルジュの顔が瞬時に険しいものになる。

「この教室に置いていたのか?」

「はい、そうです」

 静かに頷く。

「嘘よ!」

 アメリアの言葉を否定する叫び声が聞こえた。

 振り返ると、取り巻きの令嬢達に囲まれたエミーラがこちらを睨みつけている。

「サルジュ様、騙されないでください。彼女はサルジュ様の気を引こうとして、そんなことを言っているのです!」

 素直に罪を認めるどころか、アメリアを責めてきた。

「自分で噴水に落としていたのよ。あなた達も見ていたでしょう?」

 同意を求められ、エミーラを取り囲んでいた令嬢達は戸惑ったように顔を見合わせている。見たといえばサルジュに嘘を言うことになり、見ないと言えばエミーラの不興を買ってしまう。

「あなた達、早く答えなさい!」

「は、はい」

「わたくしも、見ました」

「たしかに、そうでした」

 苛立ったエミーラの声に、取り巻いていた令嬢の中から三人だけ、その求めに応じてそう答えた。

 彼女達はエミーラの破滅の巻き添えになってしまうのだろう。

 Aクラスに在籍できるほど優秀な彼女達を気の毒だと思うが、サルジュではなくエミーラを優先してしまったのだから、仕方がないのかもしれない。

 だが、ユリウスの婚約者で侯爵令嬢であるエミーラが、アメリアまの言葉が嘘だと証言してしまった。

 サルジュがどう反応するのか気になって、アメリアはそっと顔を見上げる。すると彼は、エミーラの言葉など聞こえていなかったように、アメリアのバッグの中から資料を取り出して眺めている。

「……これでは読めないな」

「すみません。居合わせた方に風魔法で乾かしていただいたのですが、再現まではできなくて」

 残念そうなサルジュは、アメリアの資料を楽しみにしてくれていたのだろう。

「あの、元データは寮にありますから、また明日にでも」

「これだけの量をもう一度書き直すのは大変だろう。……風魔法か」

「サルジュ様!」

 完全に無視をされて焦ったのか、エミーラが彼に駆け寄って腕を掴もうとする。

 だがそれは、彼の護衛騎士によって阻まれた。

「無断で殿下に近寄ってはなりません」

 強い口調と視線に、さすがのエミーラも怯んだ。

「わ、わたくしはユリウス様の婚約者なのよ。あなたの方こそ下がりなさい」

 だが、すぐに気を取り直して護衛騎士を睨んだ。気位の高さはさすがというべきか。

「……兄上の?」

 その言葉に、ようやくサルジュが反応する。

「ええ、そうです。わたくしはユリウス様の婚約者の、エミーラ・キーダリですわ」

 研究資料に夢中になっていたサルジュの視線が、ようやく自分に向けられた。エミーラはそのことに安堵したようだが、向けられたサルジュの視線の冷たさに驚き、助けを求めて周囲を見渡す。

 だが、普段からは想像もできないほど冷酷な顔をしたサルジュに気圧されたように、誰も彼女に近寄れずにいる。

「カイド。兄上を連れてきてくれ。誰が犯人なのか、はっきりさせよう」

 そう言われた護衛騎士は、サルジュの傍を離れるわけにはいかないと、一度は断っていた。

だが、それなら自分が探しに行くと言われ、校内をあちこち歩き回るよりはここで待ってもらった方が良いと判断したのだろう。急いで教室を出て行き、しばらくしてユリウスを連れて戻ってきた。

「ああ、ユリウス様」

 その姿を見て、エミーラは安堵したように彼に駆け寄る。だが、ここに来るまで事情を聞いていたらしいユリウスは、彼女ではなくアメリアの元に、真っ直ぐに歩み寄った。

「え? ユリウス様?」

「アメリア。これが例の資料か?」

「はい。そうです。このバッグに入れてありました」

 頷いて差し出すと、彼はそれを手にして教壇に立つ。ユリウスの護衛が、ふたつの入口を塞ぐように立っていた。

「全員、席についてもらうよ。まず、君達の言い分を聞こうか」

 そう言って、彼はにこりと笑った。

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