2-10
「雨が多くなるのは、毎年夏の終わり頃か」
あのわずか十日の滞在期間でどうやって、これだけの資料を集めたのか。
サルジュは馬車の座席に積み重ねた資料から該当のものを探し出し、そう呟く。
「はい。大雨によって氾濫になることも多く、収穫前の穀物が流されてしまうことが多いようです」
せっかく育った穀物も、そこで台無しになってしまう。だから別の野菜などを植えることが多くなったようだ。
「野菜なら収穫までの時間が早いので、被害に合うこともないようです」
だが主食になる穀物が、不作で値上がりを続けている。このままでは人々の生活にも大きな影響が出るかもしれない。
これほど深刻な状態だからこそ、ジャナキ王国ではビーダイド王国に王女を嫁がせて関わりを作りたかったのだろう。
だがクロエは、個人的な感情で婚約を破談にしようとした。
(それを考えると、クロエ王女の発言に憤っていたユリウス様は、正しかったのね)
あのときはただ、クロエの境遇に同情してしまったけれど、こうやって具体的な数字やデータを見るとそれを実感する。
「この天候なら、時期さえもう少し早ければ、問題なく収穫できるだろう。成長促進魔法が有効だろうが、すべての土地に土魔法をかけるのは現実的ではない」
サルジュがそう呟いた。
たしかに成長促進魔法をかければ、天候が崩れる前に収穫することができるかもしれない。
けれどジャナキ王国には、魔法を使える者がほとんどいない。ビーダイド王国でも希少な土魔法の魔導師など皆無だろう。
アメリアが開発した魔法水のように、成長促進魔法の効果を持つものを作ることはできないかと、ふと思いつく。
「サルジュ様。魔法水のようなものを作ることはできるのでしょうか? 土魔法ならば、肥料とか……」
虫害を防ぐための水魔法なので、水に付与して魔法水とした。土魔法ならば、肥料のようなものに土魔法を付与すれば、与えた作物の成長を促進させることができるのではないか。アメリアはそう考えた。
「土魔法の魔導師はとても少ないので、流通のことを考えるとあまり現実的ではないとは思いますが……」
「いや、肥料という形なら一度に大量に魔法を付与できる。それに、他国にも販売しやすい」
サルジュは深く頷き、笑みを浮かべる。
「実験とデータ収集が必要となるが、試してみる価値はある。さっそく帰国したら実験してみよう」
「はい」
役に立ててよかった。
そう安堵するアメリアに、サルジュは嬉しそうに、これでまたアメリアの功績が増える、と告げる。
「いいえ、サルジュ様、今回わたしは何も……。土魔法も使えませんし」
慌てて否定したが、彼は聞き入れてくれない。
「考案したのはアメリアだから、間違いなく君の功績だ。実際に自分の足で農地を回った君でなければ、思いつかないことも多いだろう。でもまだこれが完成するかどうかわからないから、協力してほしい」
「はい、もちろんです」
アメリアは力強く頷いた。
こうして彼の研究を一番傍で手伝えることが、アメリアの幸せなのだから。
それからサルジュは土魔法について考え出したらしく、資料を見つめたまま何も語らなくなった。だからアメリアも、自分で集めてきたデータをまとめることにした。
沈黙が続く。
でも心地良い空間だった。
人がいるとなかなか集中できないサルジュが、自分の前だと自然体でいてくれることが嬉しい。この大切な時間を失わないように、もっと励もう。そう決意したアメリアも、いつしか自分の仕事に熱中していた。
「アメリア様」
ふと柔らかな声で名前を呼ばれて顔を上げる。
いつの間にか馬車は停止していて、入口からリリアーネが顔を覗かせていた。
今夜泊まる場所に到着していたらしい。
「ごめんなさい。気が付かなくて」
慌てて資料をまとめて、サルジュにも声を掛ける。
「サルジュ様、馬車が到着したようです」
アメリアの声に、彼もようやく顔を上げた。
「そうか。では続きは中で」
そう言うと、馬車の外にいたらしいカイドが資料を運んでくれた。
「ありがとう」
そう言うと、カイドは困ったように笑う。
「何度か声を掛けたんですが、全然気が付いてもらえませんでしたね……」
そこでリリアーネを呼んだらしい。
本当に申し訳なくなって、彼に謝罪した。
「気付かなくて、ごめんなさい。ずっと傍にいてくれるから、カイドさんの気配にも声にも慣れてしまって」
「いや、それは護衛としては正解なんだろうけど、肝心なときに声が届かないのは、どうなんだろう……」
考え込むカイドをそのままに、リリアーネは先に歩き出した。
「サルジュ殿下、アメリア様。どうぞ建物の中に。お部屋の準備は整っております。夕食はお部屋で取られますか?」
「ああ、そうする。カイド、資料を部屋に持ってきてくれ」
「……承知しました」
大量の資料を手にしたカイドと、にこにこと笑うリリアーネに連れられて、アメリアも建物の中に入る。
今日宿泊するのは、大きな町にある高級宿である。
ここまではジャナキ王国の貴族に屋敷に招待されることもあったが、今回はルートの関係で宿を選んだようだ。もちろん貸し切りで、他の宿泊客はいない。
クロエ王女も宿泊するようだが、彼女は自分の侍女を連れて部屋に籠っているらしい。わざわざ挨拶する必要もないとユリウスが言うので、アメリアもそうすることにした。
アメリアの部屋は、リリアーネとマリーエと三人になった。ひとり一部屋ずつ用意するはずだった。
でもマリーエは、友人とのお泊り会にずっと憧れがあったらしい。
今のアメリアは王城に住んでいるので叶わないと諦めていたようだが、せっかくだからと、ユリウスが三人を同じ部屋にしてくれたのだ。
「広い部屋に大きなベッドがひとつ。ここで、三人一緒に寝るのよ」
マリーエは嬉しそうに、理想通りの部屋だと語った。
ユリウスに随分事細やかに憧れを語っていたらしく、彼はマリーエの言う通りに部屋を用意してくれたようだ。
「これならアメリア様も、徹夜で資料を制作したりできませんね」
リリアーネもそう言って楽しそうだ。
たしかにこれほど楽しみにしているマリーエの前で、資料を取り出すことはできなかった。
夕食を部屋に運んでもらい、ゆっくりと食事をしたあとは、お茶とお菓子でお喋りを楽しむ。
「サルジュ殿下はずっとデータ収集をしていたし、向こうの研究者にも熱心に質問をしていて。まだ若いのに有望ですね、と言われていたわ」
マリーエが使節団として一緒に行動していたときの、サルジュの様子を話してくれた。彼は誰よりも熱心な学生とみられていたようだ。
「作物や野菜の種や苗も、たくさん購入されていたから、帰ったらアメリアも忙しいでしょうね」
「そうね。でも馬車の中から眺めるばかりで、きちんと見られなかったから」
どんな作物だろうと考えると、楽しみで仕方がない。
アメリアがそう思っていることが伝わったのか、マリーエは少し複雑そうな顔をする。
「ユリウス様がよくおっしゃる、アメリアも向こう側の人間という言葉の意味が、ようやくわかった気がするわ」
「そうですね。アメリア様もサルジュ殿下と同じで、止められる側の人間ですから」
「そんなことは……」
ないとはっきり言えないのが、少し悲しい。
「でもアメリアはサルジュ殿下のために、頑張ってこちら側に留まろうとしているわ。そのことを、もう少し理解して下さればいいのに」
マリーエの言葉に、アメリアは静かに首を振る。
「いいの。だってわたしは、研究に打ち込んでいるサルジュ様の姿がとても好きだから」
そんなサルジュの傍に居られるのも、自分だけの特権だ。誰にも譲るつもりはない。
「そうね。ふふ、恋話なんてお泊り会っぼくて、素敵じゃない?」
優しい顔でアメリアを見つめたマリーエは、そう言って目を輝かせる。
「わたくしもユリウス様の、身内にはとても優しいのに、敵には厳しくて容赦しないところが素敵だと思っているわ。そんな方に優しくしていただくと、自分が特別だって思えるでしょう?」
「カイドも普段はあんな感じですが、剣を持つと人が変わります。それは素晴らしい腕前で」
それぞれ婚約者の好きなところを話し、同意したりからかったりして、楽しく過ごす。
後から何度も思い返して微笑んでしまうような、楽しい夜だった。
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