2-11

 それからは、宿に泊まる度に三人一緒の部屋にしてもらい、お泊り会と称して楽しい時間を過ごした。

「王都に戻ったら、今度はミィーナさんも交えて集まれたらいいのに」

 ずっと友人とお泊り会をしてみたかったと言っていたマリーエは、過ぎていく時間を惜しむように、そう告げる。

 その言葉に、リリアーネも賛同した。

「そうですね。アメリア様にはもう少し休息が必要です。まだ学生なのですから、もっと学園生活を楽しまれた方が良いかと」

 たしかに三人で過ごす夜は、とても楽しかった。ここにミィーナが加われば、もっと楽しいだろう。ふたりの視線を受けて、アメリアも頷いた。

「うん、そうね。今度は四人で集まりましょう。また一緒にお菓子を作るのもいいかもしれない」

 そう答えると、マリーエが大きく頷く。

「素敵だわ。今度は何がいいかしら?」

「わたくし達でも作れるお菓子はないか、カイドに聞いてみますね」

 楽しみだと、三人で笑い合う。

 こうしてビーダイド王国に戻ったらマリーエの屋敷で、みんなでお泊り会をすることになった。リリアーネが一緒にいてくれるから、警備の心配もないはずだ。

「昼にみんなでお菓子を作って、夜はお泊り会で恋話をしましょう。そうだわ、みんなで眠れる大きなベッドを注文しなくては」

「え、ベッドを?」

 わざわざ買わなくてもと思ったが、マリーエはお泊り会には並々ならぬ情熱があるらしい。

(それにしても、四人でも眠れるベッドって、どのくらいの大きさになるのかしら……)

 楽しそうなマリーエと、そんな彼女を見守るリリアーネの優しい瞳を見つめながら、アメリアは思う。

 いつかこの中に、クロエが加わる日は来るだろうか。


 それは、ジャナキ王国からソリナ王国に入ってすぐのことだった。

 今夜泊まる宿に入り、いつものように三人の部屋に向かおうとしていたアメリアは、サルジュから借りた資料を持ってきてしまったことに気が付いた。

 これがないと、彼が困ってしまうかもしれない。

「ごめんなさい。これをサルジュ様に返してきます」

 随分と資料を広げていたから、サルジュはまだ馬車に残っているだろう。

「同行いたしますか?」

「ううん。すぐ近くだし、マリーエをお願い」

 サルジュと一緒に護衛騎士のカイドもいるだろうからと、アメリアはリリアーネの申し出を断り、ひとりで引き返した。

 まだ宿に入ったばかりだったので、すぐに建物の外に出る。

 この宿は貴族などが宿泊する高級宿で、大きな建物の前には広い庭があった。門前に止まっている馬車まで行くには、その庭を歩いて行かなくてはならない。

 それでも様々な種類の花が咲き乱れる道を歩くのは、とても心地良い。

 以前はよく農地を歩いていたのに、王都に来てからそういう機会もなくなってしまったと、ふと思う。

 たまには、こうして歩いたほうがいいのかもしれない。

(あれは……)

 その途中でアメリアは、建物の影に隠れて寄り沿い合うふたりの姿を見つけた。

 この宿は貸し切りのはずで、他の宿泊客がいるとは思えない。不思議に思ってよく見てみると、女性は背が高く、茶色の髪をしているようだ。

(まさか、クロエ王女殿下?)

 クロエらしき女性は、彼女よりもさらに背の高い男性としっかりと抱き合っていた。その衝撃的な光景に思わず足を止める。

 すると、女性の声が聞こえてきた。

「ねえ、アイロス。ジャナキ王国を出たら、私と一緒に逃げてくれるって言っていたじゃない。もうここはソリナ王国よ。今夜、駆け落ちしましょう?」

甘えるような声で紡がれた言葉に、アメリアは息を呑む。

(駆け落ち……)

 一年前。

 かつての婚約者リースが、浮気をした相手と駆け落ちしたことを思い出す。

 クロエは王太子のアレクシスが危惧していたように、ジャナキ王国さえ出てしまえばどうにでもなると、恋人と駆け落ちをするつもりだったのか。

 けれど当初の予定とは違い、クロエはジャナキ王国の王女としてビーダイド王国に留学することになった。

 もしクロエが姿を消してしまえば、ジャナキ王国の有責で婚約は解消となる。それは両国の友好関係にも影響があることだと、クロエは理解しているのだろうか。

(駄目よ……。そんなことになったら) 

 アメリアは思わずふたりに駆け寄ろうとした。

 そうなったら、大変なことになってしまう。

 クロエが学園を卒業すれば、そこでまた婚約について話し合いを持つことになっている。それまで一年半ほど我慢すれば、円満に婚約を解消できる。わざわざ両国の関係を壊すような、駆け落ちなどという手段を取ってはならない。

 それに、アメリアは知っている。

 駆け落ちなどしても、最後には悲惨な結果になってしまうことを。

 あのリースとセイラのように。

 けれど人の気配を感じたのか、クロエを腕に抱いていた男が鋭い視線をアメリアに向けた。そして腕の中の彼女を庇うようにして、素早く立ち去っていく。

「あ、待って…・・・」

 思わず声を掛けるが、もうふたりの姿は消えていた。

 後から聞いても、そんなことはしていないと言い切られてしまえば、どうしようもない。

 ここはユリウスかサルジュに、今見たことを話すべきか。

 そう思ったのに、アメリアはその場に立ち尽くしたまま動けずにいた。

 隠れて愛を囁き合うふたり。

 駆け落ちをしようと語っていたふたりの姿に、かつての婚約者の姿を鮮明に思い出してしまう。

(もう忘れたと思っていたのに……)

 リースの裏切りによって傷ついた心は、まだ完全に癒しきれていなかったようだ。

「……サルジュ様」

 思わずそう呟くと、遠くから答える声がした。

「アメリア?」

 顔を上げると、サルジュがまっすぐにこちらに向かって歩いてきていた。後ろに資料を持ったカイドがいるので、ようやく馬車から降りてきたのだろう。

「気分が悪いのか? 顔色があまり良くない」

 差し伸べられた手を、しっかりと握る。

 伝わってくる彼の温もりが、少しずつアメリアの気持ちを落ち着かせてくれた。

「何かあったのか?」

 震えていることに気が付いたのか、サルジュの声が固くなる。

「申し訳ございません、サルジュ様。昔のことを思い出してしまって」

 何とかそう答えると、支えるように肩を抱かれた。

「少し休んだ方がいい。ひどい顔色だ。部屋まで連れて行こう」

「あっ」

 ふわりと身体が浮き上がったかと思うと、アメリアはもうサルジュに抱きかかえられていた。

「サルジュ様、わたしは重いので……」

 暴れたら危ないと思い、小さな声で抗議することしかできない。

「大丈夫だ。アメリアくらい、私でも簡単に持ち上げられる。それよりも、何があった?」

 心配そうに尋ねられて、何と答えたらいいのかわからずに俯いた。

 どう答えたらいいのだろう。

 ここでアメリアが見たことを正直に話せば、クロエはただちに恋人と引き裂かれ、国に戻されてしまうに違いない。

 その前に、彼女と話すことはできないだろうか。

 学園を卒業するまで待てば国の状況も変わり、円満に婚約を解消して、恋人と一緒になれる未来もあるかもしれない。

「具合が悪いようだね。すぐに部屋に連れて行くよ」

 何も答えられないアメリアを見て、サルジュはよほど体調が悪いのかと思ったようだ。カイドにアメリアの部屋を用意するように指示する。

「今夜はひとりでゆっくりと休んだほうがいい。すまない。これまで少し無理をさせてしまったのかもしれない」

 サルジュは馬車の中でもずっと、ジャナキ王国から持ち帰ったデータや、新しい土魔法について考案していた。アメリアもずっと一緒に作業していたから、そのせいで体調を崩してしまったのではないか。サルジュはそう思ったようだ。

「いいえ、わたしは大丈夫です」

 アメリアは彼の腕に抱かれていたことも忘れて、何度も首を振る。

「その、昔のことを思い出してしまって。それで少し気分が悪くなってしまっただけなので……」

 その誤解だけは解きたくて、でもまだ真相を打ち上げる決心もつかなくて、それだけを告げた。サルジュは少しほっとしたような、それでもまだアメリアが過去に悩まされていることが痛ましいような顔をして、アメリアの髪に頬を寄せる。

「きっと疲れているからだ。ゆっくりと休めばいい。そうすれば、嫌なことも忘れられる」

「……はい」

 アメリアは静かに頷いた。

 最近は、リースのことを思い出すことも少なくなっていた。

 クロエから、「駆け落ち」という言葉を聞くまでは。

(駆け落ちなんてしても、絶対に幸せにはなれない。それを伝えたいから)

 ひとりの部屋にしてもらったのは、都合が良かったかもしれない。今夜のうちに、何とかクロエと話さなくてはと思う。

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