2-2

 ビーダイド王国を含めた四つの国とベルツ帝国の間には、かなり険しい山脈がある。簡単には越えられないほど厳しいその山道は、好戦的なベルツ帝国からこの大陸を守ってくれていた。

 けれどこちらの大陸で冷害の被害が深刻であるように、山脈の向こう側のベルツ帝国では土地の砂漠化に悩まされているらしい。

 それを解決するためにあらゆる手段を講じているというベルツ帝国は、いつか険しい山脈を越えて、こちら側に侵略の手を伸ばすかもしれない。

 大陸にある四つの国の王はそれを警戒し、帝国の脅威を退けるために団結力を高めている。

 今回のユリウスのジャナキ王国への訪問も、そのためだった。

「ジャナキ王国は一番ベルツ帝国に近いから、他の国よりも危機感を募らせているのでしょうね」

 マリーエはそう言うと、深く溜息をついた。

 彼女が不安になる気持ちもわかる。

 王子の妻になる覚悟はあっても、いざ婚約者が危険かもしれない国に赴くと知れば、動揺してしまうのだろう。

 アメリアだって、そんな状況になったら冷静ではいられない。

 だがアメリアの婚約者であるサルジュも、学園を卒業すれば王族としての公務が増えるに違いない。今の国際情勢を考えると、マリーエの不安も他人事とは思えない。

「だから、いっそ一緒に行ってしまおうかと思って申請したの」

 そんなアメリアの隣で、マリーエは憂い顔のままそう呟いた。

「申請?」

「ええ。向こうは農業が盛んな国だから、視察や魔法技術交換のための使節団がユリウス様に同行するわ。勉強のために、学生や研究員も少数だけど参加できるから、わたくしも立候補したのよ」

「そうだったの」

ジャナキ王国は遠く、険しい山脈に隔てられているとはいえ、あのベルツ帝国に隣接している。だが遠く離れた南の国にしかない植物はたくさんある。

「応募者はとても多いらしいから、合格できるかどうか不安だけど」

「もし合格したら、マリーエもジャナキ王国に行くのね」

その話にはアメリアも興味を持った。

「私も行ってみたい……」

 思わずそう呟くと、アメリアの背後で静かに見守っていた護衛騎士のリリアーネが忠告してくれた。

「残念ですがアメリア様には、許可が下りないかもしれません。この間の事件のこともありますので」

「あ……」

 その言葉で我に返る。

 元婚約者だったリースの起こした事件のせいで、アメリアはあまり自由に動くことができなくなった。

 彼は水魔法と土魔法の遣い手を切望しているベルツ帝国に、水魔法が使えるアメリアを連れて亡命しようとしたのだ。そのせいで常に護衛がつくだけではなく、行動範囲も制限されてしまっている。

「……ごめんなさい。こんな話をしたわたくしが軽率だったわ」

 マリーエは謝罪してくれたが、その相手はアメリアではなく、その護衛騎士であるリリアーナだった。

「え、マリーエ?」

 アメリアが行けないとわかっているのに、興味を引くような話をしてしまった謝罪ではないようだ。

「だってあなたに話したら、行きたいと言うのは当然だもの。あなたとサルジュ様には、出発する直前まで秘密にしておくべきだったわ」

「そんなことは……」

 いくら何でも自分の立場は弁えている。そう言いたかったが、マリーエの言葉にリリアーネも深く頷いている。

「アメリア様だけならまだしも、そこにサルジュ殿下が加わってしまえば、どうなるかわかりませんから」

 まだ学生だからか、もしくは彼の父である国王にこの国の未来を担う研究を優先するように言われているのか。サルジュは王族というよりも研究者として動いている。今回の件だって他国にしかない植物に興味を持ち、何とかして同行しようとする可能性が高い。

「心配しないでください。私だってちゃんとわかっています」

 アメリアはふたりを安心させるように、微笑んでそう言った。

「サルジュ様が危険なことをなさらないように、きちんとお止めするのが私の役目です」

 きっぱりとそう言うと、マリーエとリリアーネは安堵したように顔を見合わせていた。

「そうね。さすがにアメリアはわかっているわよね。ごめんなさいね、疑ったりして」

 マリーエはすぐに謝罪してくれたが、リリアーネはさすがに鋭かった。

「ですが、随分とジャナキ王国に興味を持たれたご様子でしたが」

「……それは、たしかにそうです」

 嘘を言ってもすぐに見破られてしまうと、アメリアは素直に頷いた。

「でも本当に大丈夫です。私も色々と考えています。今、自分の好奇心を優先するつもりはありません」

 そこまで言って、ようやく信じてもらえたようだ。

 サルジュは研究に没頭すると飲食や睡眠さえ忘れてしまう質で、アメリアもそこまでひどくはないが、似たような性質を持っている。

 だからか、まだサルジュと婚約する前から、ふたりは一緒にすると危険だと認識されてしまっていた。

 それを払拭するのは、なかなか大変なことだと思い知る。

 興味を持ってしまうのは仕方がないが、きちんと自分の立場をわきまえて、周囲に信頼してもらえるようにしなくてはならない。

 そう決意したアメリアだったが、昼休みに合流したサルジュは、さっそくその話題を口にした。

「ユリウス兄上が来月、ジャナキ王国に赴くことになったようだ」

「……はい。マリーエから聞きました」

 そのユリウスとマリーエは、まだ王族専用となっている食堂に来ていないようだ。アメリアは自分の傍にいてくれるリリアーネと、サルジュの護衛騎士であるカイドの様子を伺いながら、慎重に答えた。

「おそらく兄上から話があると思うが、今回の訪問は外交の他にも、エスト兄上の婚約者であるジャナキ王国のクロエ王女を迎えに行くという目的がある」

「はい」

 それもマリーエに聞いていた通りなので、素直に頷いた。

 だが、続いたサルジュの言葉は完全に予想外のものだった。

「私も研究員のひとりとして、兄上に同行する。アメリアにも、そのクロエ王女の話し相手として、一緒に行ってほしい」

「えっ?」

 驚いて問い返してしまうアメリアの隣では、同じようにリリアーネが小さく声を上げていた。彼女としても、予想外のことだったのだろう。

「どういうことですか?」

 狼狽えながらも詳細を尋ねると、サルジュは詳しく説明してくれた。

 ユリウスがジャナキ王国に行くと決まったときから、サルジュは南にしかない植物の研究のため、同行すると言っていたようだ。

 彼の兄達は反対したようだが、それが冷害に強い穀物のさらなる品種改良のためだとわかると、反対し続けることはできなかった。

 そこで身分を隠してひとりの研究員として赴くことになったようだ。

「アメリアも他の国の植物に興味があるだろうと思って、一緒に行けるように手配をした」

 だがアメリアは王族の婚約者として、いずれ義姉になるクロエ王女の相手を務めなくてはならないようだ。

「私も研究員としては……」

 もちろんジャナキ王国に行けることになったことは嬉しい。

 けれど、サルジュと婚約したばかりの自分には荷が重いのではないか。

 そう思ったが、話を聞いたのが少し遅かったようだ。

「残念ながら、もう研究員の選出は終わっていた。ユリウス兄上に相談してみたら、クロエ王女の話し相手として連れて行くと言ってくれた」

「そうですか……」

 サルジュは身分を隠しているのに、自分は王族の婚約者として同行しなければならない。

 たしかに荷が重いが、ひとりで待っているのは嫌だった。

「わかりました。頑張ってみます」

 思いきって、そう返答する。


















更新が遅くなってしまって申し訳ございませんでした。

書籍化とコミカライズについて、近状ノートにてお知らせがあります。

読んでいただけたら嬉しいです。

どうぞよろしくお願いします。

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