第21話

 そのまま午後の授業が終わるまで、アメリアはマリーエと自習室で勉強をしていた。

 さすがに特Aクラスはレベルが高そうだ。

 でもアメリアも領地の発展のために力を尽くそうと、入学前から魔法の勉強には力を入れていた。リースの手助けができればと、自分が使えない系統の魔法も勉強している。

 必死に頑張れば、前期が終わるまでには何とかなりそうだ。

 そのうち午後の授業の時間が終わり、放課後になる。

 アメリアはそのまま教室に戻らずに、サルジュのところに行こうとした。マリーエによると、彼は図書室にいるようだ。

 サルジュはマリーエと同じ学年であり、同じAクラスだ。彼女が自主学習だったのならば、彼もそうだ。そして自主授業のときは、いつも図書室にいるらしい。

 もっとも、サルジュに学園の授業など必要ない。教える側の教師の方が居心地の悪さを感じているかもしれない。

 もし特Aクラスに入ることができれば、サルジュやマリーエと一緒に学ぶことができる。

 きっと有意義な学園生活になるだろう。

 そんなことを考えながら歩いていると、図書室の前に誰か立っているのが見えた。ちょうど入口を塞ぐようにしているので、入ることができない。

(そんなところで立ち止まられると、邪魔になるのに)

 ちらりと視線を走らせると、どうやら二人組のようだ。背の高い青年と、彼に縋りつくようにしている小柄な女性。

 多数の生徒が出入りする場所を塞ぐようにして立っているのも迷惑だし、学園内で男女が寄り添っているのもモラルに欠けている。

 どいて欲しいと告げるのも面倒で、アメリアはもうひとつある扉から入ろうと思って、踵を返した。

「待ってくれ、アメリア」

 だが、その青年は追いすがってきた。

 聞き覚えのある声だった。

(え? リースなの?)

 そう言えば、ここで会ったことがあったのを思い出した。さっきのもリースだとしたら、彼の隣にいたのが噂の恋人だろう。

(嫌だわ、会いたくない)

 知らないふりをしてくれたらいいのに、どうしてわざわざ恋人と一緒にいるときに、自分に声をかけてきたのか。

 また何か企んでいるのかもしれない。

 もう彼に利用されたくない。顔を見るのも嫌だった。

 アメリアは立ち止まらず、そのままもうひとつの入口から図書室の中に逃げ込もうとした。

「待ってくれ!」

 手首を掴まれ、嫌悪に肌が粟立つ。

 こんなにもリースが嫌いになっていたことに、自分でも初めて気が付いた。

 彼に好きな人ができてしまったことを責めるつもりはない。

 人の気持ちを縛ることはできない。

 でも十年もの長い間、婚約者だったのだ。

 せめて誠実であって欲しかった。

 もし彼がきちんと理由を話してくれていたら、アメリアだって承諾した。リースの幸せも願っただろう。

 それなのに。

 リースのしたことは、アメリアが不在の中で悪評を広め、悪役にすることだった。もしサルジュとユリウス、マリーエと出会っていなければ、生きることにさえ絶望したかもしれない。

 そんなにひどいことをしておきながら、平気で恋人と一緒に現れ、声をかけてきた。

 なんて自分勝手で、残酷な人だろう。

「手を放してください」

 自分でも驚くくらい、冷たい声でそう言った。

 悪役にしたいのなら、そうすればいい。

 もう彼や周囲にどう思われようと、関係ない。アメリアは自分と領地の発展のために勉学に励むだけだ。

「アメリア、すまない。俺は……」

 リースは自分に酔っているような声で、ますます強く手を握る。

 いっそ思い切り引っ叩いてしまおうか。

「……っ」

 そう思ったところで、リースが急に怯んだように手を離した。

「アメリア」

 名前を呼ばれて振り返ると、左右から現れた人影が、リースとアメリアを引き離すように前に出た。

「サルジュ様、ユリウス様」

 驚いて、思わず名前を呼ぶ。

 右側に、厳しい顔をしたサルジュが。

 左側に、呆れたような顔をしたユリウスが立っている。

 一応まだ婚約者であるリースの前だから、不用意にアメリアに触れることはなく、それでも確実に守ってくれる姿に、涙が滲みそうになる。

 急に現れたふたりの王族の姿に、リースもその恋人も驚きに目を見開き、我に返って慌てて頭を下げていた。

「アメリア。教室に迎えに行ったらいなかったから驚いたよ。昨日の資料について、さっそく聞きたいことがある」

 サルジュはリースの存在などもう忘れてしまったかのように、アメリアに話しかける。

「あ、はい。私でお役に立てることであれば……」

 ユリウスがサルジュとアメリアの前に立ちはだかった。気にせずに行けということなのだろう。小さく会釈をしてから、アメリアは先を歩くサルジュの後に続いた。

 後ろから、ユリウスの声が聞こえてくる。

「悪いが、アメリア・レニス伯爵令嬢には、サルジュの研究の手伝いをしてもらっている。弟の研究は国にとって大切なものだ。彼女には、他の何よりもそれを優先してもらうことになる」

 アメリアの価値を伝え、不用意に近付かないように警告する言葉だ。

「し、承知いたしました」

 リースは震える声でそう答えると、そそくさと立ち去っていく。

「おそらくエミーラ・キーダリがどうなったのかを聞きつけて、何とかしようとしたのだろう」

 ふたりのところに戻ってきたユリウスが、呆れたように言った。

 エミーラは事実無根の噂を流し、アメリアに理不尽な行為をしていていたとして、厳しく断罪された。その事実が学園内に広まってきて、ようやくリースが流した噂の信憑性を疑う者が出てきた。

 それに焦ったリースは噂を真実にするために、人目のあるところでアメリアに話しかけ、罵倒されるつもりだったのだろう。

「私、もう少しでリースを引っ叩くところでした」

 もうどう見られようとかまわない。そう思っていたのだが、リースの目論見通りになるのはさすがに嫌だった。

「サルジュ様、ユリウス様。助けていただいてありがとうございました」

 あらためて、礼を言う。

 ユリウスは、友人を助けるのは当然だと笑ってくれた。けれどサルジュは、険しい顔をしたまま黙り込んでいる。

「……サルジュ様?」

 彼がアメリアの前でこんな顔をしているのは珍しい。

 思わず声をかけると、サルジュはリースがいた方向を見たまま、アメリアに問う。

「アメリアは、まだ彼と婚約していたいと思う?」

「いえ、まったく思いません。ですが、父が土魔法の遣い手を迎え入れたいと強く願っているのです。簡単には婚約を解消してくれないかもしれません」

 父からの返事はまだ届かない。レニス領はとても遠いのだ。

 けれど父は土魔法の復活を強く願っていた。しかもこの婚約には多額の金が掛かっている。

 リースの浮気が原因でも、簡単には解決できないかもしれない。父はアメリアを愛してくれているが、土魔法のことになると途端に頑固になって、誰の意見も聞き入れてくれない。

 レニア領のような農地の多い領主にとって、土魔法の遣い手はとても価値があるのだ。

 そう考えると憂鬱だった。

「そうか」

 アメリアの返答に、サルジュは見惚れるくらい綺麗な笑みを浮かべた。

「彼にはその価値を、もっと下げてもらう必要がありそうだね」

「サルジュ、何をするつもりだ?」

 心配そうに尋ねるユリウスに、サルジュは何もしない、と答える。

「ただ、彼らは自分達が犯した罪で勝手に沈んでいく。それだけだ」

 そう言うと、資料を広げた。

「アメリア、この地域だけ収穫量が多い理由は?」

 サルジュが指し示した箇所を見て、アメリアは答える。

「ええと、リースが土魔法をかけた場所です。たしか、成長促進魔法だったと思います」

「成長促進か。だがこの場合は土壌改良の方が有効かもしれない。それと、この地域は?」

「ここは、虫害が特にひどかったのです。環境は他の地域とあまり変わらないと思うのですが、何故かここだけがひどくて」

「何か理由がありそうだ。……気温、土壌は同じ。他には……」

 真剣なサルジュの横顔を見ていると、先ほどまでリースに感じていた怒りも悲しみも、たちまち消えていく。こんなふうに、ずっと彼の手伝いをすることができたら、どんなに幸せだろう。






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