外伝1 護衛騎士の婚約者 後編

 結論から言うと、初日からかなり大変だった。

 護衛騎士に任命されたときは、まさか第三王子ユリウスの婚約解消に立ち会うことになるとは思わなかった。

 カイドはその日のことを思い出して、深く溜息をつく。

 当日の朝、まず王城に向かった。

 明日からは学園前でサルジュの到着を待つことになるが、初日ということもあり、今日は王城に迎えにいくことになっていた。そこでアレクシスから正式に護衛騎士として紹介される予定であり、サルジュもそれを承知していたはずだ。

 けれどいつまで待っても彼は現れず、心配したアレクシスが探しに行くと、昨日の夜からずっと王城の図書室に籠っていたらしい。

 集中すると飲食を忘れるどころか、時間の感覚もなくなってしまうようだ。これは、明日からなかなか大変かもしれないと思いながら、とりあえず護衛騎士として彼に付き従う。

 サルジュは護衛を連れ歩くことに慣れていないのか、それとも別のことに気を取られているのか、カイドよりも先に歩こうとする。

 それでは護衛の意味がないと、それを何度も注意しながら、何とか無事に放課後になった。

 後は王城に送り届けるだけだと安心していたが、サルジュは授業が終わるとすぐに教室を出ていく。

 慌てて追いかけてどこに向かっているのか聞いてみると、一年生のある生徒が農地のデータをまとめてくれたらしく、それを受け取りに行きたいようだ。

 サルジュは朝からずっと、そのデータの内容に気を取られていたらしい。

 だがそこで、あの事件が起きた。

 第三王子ユリウスが婚約者だったキーダリ侯爵令嬢との婚約を解消し、彼女は学園を退学させられたのだ。

 魔法学園に入学するまでは、訓練として魔法の使用が認められている。だが在学中にその素質を問われ、卒業することができなければ、魔力を封じられてしまう。そうなってしまえば魔法を使うことができないだけではなく、貴族として生きる道も閉ざされる。

 もうキーダリ侯爵令嬢は家を出るか、修道女になるしかないだろう。

 そうなっても仕方がないと思えるほど、彼女のしたことは悪質だった。

 サルジュの研究に協力していた女子生徒の私物を中庭の噴水の中に投げ捨て、それを他人のせいにして、偽の証言を強要したのだ。他のクラスメイト達も今回は厳重注意で終わるだろうが、ここがただの学園ではなく、貴族としての素質が問われる場所だということを思い知っただろう。

 その後、サルジュとその女子生徒は親しくなったようで、彼女とも顔を合わせる機会が増えた。

 アメリアという名の、小柄で可愛らしい少女だった。北方に大きな領土を有するレニア伯爵家の令嬢のようだ。あの農地のデータならば、サルジュの研究に大いに役立つだろう。

 そのせいか、それとも気が合うのか。

 研究に夢中になると、兄達の言うことさえ聞き流すサルジュが、アメリアの言葉だけはきちんと聞き、受け入れる。さらに彼女のためにふたりきりで会うことを避けているようで、ちゃんと護衛を連れて歩くようになったのも有難い。

 けれどアメリアもまた、サルジュと同じ向こう側の人間だった。

 彼女が助手として研究を手伝うようになると、ふたりで時間を忘れてしまうことが多くなった。日によっては、朝から閉校の時間まで研究を続けていることもある。

 騎士として鍛えているカイドでさえ、それほど長く集中することはできないのに、休憩もせずに没頭している姿を見ると心配になる。だが声を掛けても返事がないことが多く、かえって邪魔をしては長引くことになると、静かに見守ることにした。

 サルジュがこれほどまで真剣に取り組んでいるのは、この国の未来のためだ。

 このまま天候不順が続けば、間違いなく食糧不足になる。

 しかもビーダイド王国だけで済む問題とは思えない。冷害は他国でも深刻な問題になっているし、山脈を越えたベルツ帝国も問題を抱えている。

 このままでは少ない食糧を巡って国同士の争いになる可能性さえあるのだ。

 彼はそれを防ぐために、身を削って新品種の開発に取り組んでいる。アメリアもそんなサルジュを支えようと、全力を尽くしているのだ。

 こうして見守ることしかできないのが、もどかしいくらいだ。

 休みの日に訪れたアリータ侯爵家でリリアーネにそんな話をしていたカイドは、ふと我に返った。

「すまない。休日に仕事の話など」

「いいえ」

 慌てるカイドに、リリアーネは穏やかに微笑んだ。

「サルジュ殿下もアメリア様も、この国にはなくてはならない御方です。そんなお二方のお話が聞けて、とても嬉しいですわ」

 そう言ってくれた彼女にほっとするが、なるべく仕事の話は避けるべきだろう。そう思ったカイドは話を変えて、学園の夏季休暇のときにレニア領地に行ったときの話をする。

「とにかく広くて驚いたよ。見渡す限り農地だった。小麦が金色に実ったら、とても美しい光景だろうね」

 豊かな自然に、可愛らしい野生動物。

 広場でピクニックをした話や、妹達に毒見に食べさせられたクッキーの話をすると、リリアーネは興味深そうに聞いてくれた。

「外でピクニックをするなんて、とても楽しそうですね」

「今度の休みには、少し遠出してみようか」

「それなら、お弁当を用意してもらわなくてはなりませんね」

 カイドの妹のミィーナは、そのレニア領地に嫁ぐことになるだろう。

 来年になりミィーナが学園に入学すれば、アメリアの従弟のソルと正式に婚約する予定だ。土魔法の魔導師になる妹には、とても良い嫁ぎ先だろう。

 年の離れた末妹を可愛がっていたカイドは、良縁に恵まれたことを喜んでいた。

 そしてサルジュもまた、アメリアと正式に婚約することになった。

 植物学の研究や魔法の実験ばかりだったサルジュが

 見守り続けてきたふたりの婚約を、カイドも心から祝福していた。

ただあのふたりの護衛はかなり大変である。アメリアも王族の婚約者となったのだから、専属の護衛が必要ではないか。アレクシスもそう言っていたのだが、サルジュがそれを渋っていた。

 どうやら護衛とはいえ、アメリアに男性を近づけたくないようだ。あまり表情を変えず、整った顔立ちから人形のような印象だった彼の、以外に嫉妬深い様子が微笑ましくて、大変だが仕方がないと諦めている。

 それを話すと、リリアーネはふと押し黙った。

 また仕事の話をしてしまったと反省するが、彼女は顔を上げると、真剣な顔をしてカイドを見つめる。

「わたくしが、アメリア様の護衛騎士になることはできるでしょうか?」

「……はい?」

「女性騎士なら、サルジュ殿下も安心なのでは?」

「それは、そうだが」

 戸惑いながらも頷くと、リリアーネは立ち上がる。

「ソフィア様に推薦していただくわ。わたくしこう見えても、剣術が得意なのです」

「それは、知っている」

 リリアーネはもうすぐ結婚するからと騎士団を辞めていたが、元同僚だ。

 風魔法と剣術の組み合わせは、あのアレクシスも称賛するほど見事なものだった。穏やかで優しい彼女が剣を持つと豹変することを、カイドもよく知っている。

「それにアメリア様の護衛になれば、サルジュ殿下の護衛騎士のあなたとも一緒にいられるわ。休みの日だけでは寂しいもの」

 見惚れるほどの笑顔でそう言われてしまえば、反対することもできない。

 それにリリアーネが傍にいてくれたら、カイドも嬉しい。

 だが婚約者がサルジュより一歳年下のアメリアの護衛騎士になったことで、結婚がまた一年延びてしまったのは、完全に誤算だった。

 研究に没頭するふたりに声をかけ、巧みに休憩に連れ出す手腕に感心しながら、カイドはそんなことを考えていた。


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