第7話

「サルジュ殿下。彼女は私が」

 ロイが駆け寄ってきてそう言ったが、サルジュは承知しなかった。

「信頼できない者に抱えられては、彼女も不安だろう。ロイもカリースも今日はもう戻れ」

 アメリアにすぐ手を差し伸べなかったことに憤っているような声だった。今まで理由もわからずに嫌われ、避けられてきただけに、自分のために怒ってくれたサルジュの姿に、また涙が滲みそうになる。

「……ですが」

 だが王族をひとりで行動させることなどできずに、彼の護衛達は困っていた。サルジュがアメリアを離さないから、手助けすることもできない。

 それでも彼は狼狽えた様子で背後からついてきた護衛達をまったく顧みず、そのまま医務室に向かって歩き出した。

「サルジュ、どうした?」

 ふと背後から呼び止められて、彼はようやく足を止める。

「兄上。ちょうどよかった」

 サルジュのその言葉で、彼を呼び止めたのが第三王子のユリウスだと知ったアメリアは、慌てて頭を下げる。

 ユリウスは護衛を連れて、今から王城に帰るところのようだ。

 本当ならきちんとした挨拶をしなければならないが、サルジュに抱きかかえられたままではそれが限界だった。

「彼女に治癒魔法をかけてほしい。ぶつかって怪我をさせてしまったんだ」

「サルジュ殿下? ぶつかってしまったのは私の方で……」

 慌てて彼の言葉を否定する。

 周囲をよく見ないで駆け出して、ぶつかってしまったのも怪我をさせてしまったのもアメリアの方だ。しかもこの程度の怪我に治癒魔法をかけてもらうなんて申し訳ない。

「私なら大丈夫です。たいしたことはありませんから」

 第三王子のユリウスは、水魔法の専門家である。

 短く切った黒髪と緑色の瞳をしていて、背が高く堂々とした体つきの美丈夫だ。

 王太子とサルジュの母は正妃であり、第二王子のエストと第三王子ユリウスの母は側妃なので、サルジュとはあまり似ていない。けれど四兄弟の仲がとても良いのは、よく知られていることだ。

「それは弟がすまないことをした。すぐに医務室に連れて行こう。ああ、お前達はもう帰っていい。サルジュには俺がついている」

 ユリウスの言葉に、戸惑った様子で後をついてきたサルジュの護衛達も、頭を下げて立ち去った。

 そのまま王子ふたりとその護衛に付き添われて、アメリアは医務室に運ばれてしまう。

 周囲からかなり注目を浴びている。

 できるならこのまま帰して欲しいくらいだ。けれどそれを言い出すこともできなくて、アメリアはずっと俯いていた。

 医務室は無人だったが、ユリウスはまるで自分の部屋のように鍵を開け、ふたりを中に招き入れる。ゆっくりと丁寧に寝台に下ろされると、ユリウスがすぐに治癒魔法を使ってくれた。

「これで大丈夫。他に痛むところはない?」

「はい。ありがとうございます。私は大丈夫ですが、あの、サルジュ殿下もお怪我を」

 サルジュも治してほしいと訴えると、ユリウスは険しい顔をして彼を見る。

「どこだ?」

「……」

 サルジュが答えずにいると、ユリウスの視線がアメリアに移る。

「あ、あの。右手首だったかと」

 そう答えると、ユリウスがサルジュの右手に触れる。治癒魔法が掛けられたのを見て、ようやくほっとした。

「助かったよ。こいつは何も言わずに隠してしまうことが多いから、知らずにいたら悪化させてしまうところだった」

「いえ。私の方こそ、このような些細な怪我に治癒魔法を使っていただき、ありがとうございました」

 そう言って頭を下げる。

 ユリウスはにこりと笑って気にするなと言ってくれた。とても親しみやすい方のようだ。

「そういえば君は、新入生歓迎パーティでサルジュがエスコートをしていた女性だね。サルジュもようやく婚約者を決める気になったのかな?」

 とんでもないことだと、アメリアは慌てて首を振った。

「アメリア嬢には婚約者がいる。あのときはたまたまひとりでいたから、エスコートさせてほしいと頼んだだけだ」

 サルジュもすぐに理由を説明してくれた。

「そうか。それは残念だ」

 ユリウスの視線がアメリアに向けられる。そこで名乗っていないことを思い出し、今度はカーテシーをして挨拶を述べた。

「申し遅れました。わたくしはレニア伯爵グロンドの娘、アメリアと申します」

「俺はユリウス。アメリアと呼んでもいいかい?」

「はい、もちろんです」

 気さくで優しい言葉にほっとしていると、ユリウスは急に笑い出した。

「不満ならお前も、名前で呼ぶ許可を貰えばいいだろう?」

 それはもちろんアメリアに対しての言葉ではない。だとしたらサルジュに対しての言葉になるが、彼がそんなことを望むはずがない。

 ユリウスは弟をからかっているのだろう。

 仲の良い兄弟の、じゃれ合いのような言葉遊びは微笑ましいが、できるなら恐れ多いので自分を題材にしないでほしい。

 そんなことを思いながらサルジュを見ると、彼はまっすぐにアメリアを見つめていた。宝石のような煌めきを宿す緑色の瞳に見つめられて、胸がどきりとする。

「私も、アメリアと呼んでもいいだろうか?」

「え。は、はい。もちろんです」

 反射的に頷くと、サルジュは嬉しそうに微笑む。

 いつもの穏やかで人当たりの良さそうな笑みとは違う、感情が込められた笑顔。彼のこんな微笑みを見るのは、これで二回目だ。

「サルジュ、よかったな」

 事の発端となったユリウスが、そう言って弟の肩を叩く。

「初めての友人だ。大事にしろよ」

 ユリウスの言葉も驚いたが、少し照れくさそうに頷くサルジュの姿にも衝撃を受ける。

「わ、私のような者が殿下の友人など……」

「サルジュと呼んでほしい。アメリア」

「は、はい」

 誰もが見惚れるほど整った顔でそう言われ、思わず頷いていた。

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