2-25

 ベルツ帝国の新しい皇帝はカーロイドといい、年は二十八歳らしい。皇妃どころか、まだ婚約もしていない。候補さえも決まっていなかった。

 彼は、皇帝が病に倒れる前はまったく表舞台に出てきていなかったようだ。

 どうやら父である皇帝に色々と意見を述べて不興を買ったらしく、王宮の奥深くに幽閉されていたらしい。

 軍を強化するよりは、農地の拡大を。

 攻め込むのではなく、山脈の向こう側の国との対話を。

 そう言い続けていた彼に賛同する者は、帝国にもいたようだ。

 だからこそ皇帝が病に倒れたとき、彼を幽閉された場所から助け出そうとした者もいた。

 けれどそこにアロイスが介入し、周囲を洗脳して皇弟として振る舞い始めた。

 幽閉されていた皇太子よりも、皇帝が全権を託した皇弟が力を持つのは当然のこと。

 こうして彼のことは忘れ去られて、王宮の奥深くに押し込められたままだった。

 それが、皇帝が亡くなり、アロイスがビーダイド王国に捕えられたことで、ようやくカーロイドは皇太子として、次期皇帝として王宮に迎えられた。

「彼が最初に行ったのは、武装解除だったらしい」

 ようやく王城に戻ってきたアレクシスは、妻のソフィアと弟達、そしてアメリアを応接間に集めて、これまでの経緯を説明してくれた。

 毎日休みなく動き、何度もベルツ帝国とビーダイド王国を行き来していると聞いていたが、エストが大丈夫だと言っていたように、その顔には疲労の色はまったくない。

「山脈を隔てているとはいえ、国境付近に兵を集合させているのは不穏だと、最低限の警備を残して、他はすべて撤収させたようだ」

 カーロイドは最初から、アロイスが皇弟ではないことを知っていた。

 いくら冷遇されていたとはいえ、アロイスの母は皇帝の娘として王宮で育ったのだ。血の繋がりのないことを知らないカーロイドにとって、アロイスは父の妹の子。従弟であった。

 そして真実を知った後は、祖父の暴挙の被害者として、アロイスに謝罪したいと言っているらしい。

「次の皇帝が真っ当な人間でよかった。というよりも、先代と先々代が独裁者だったということだ」

 アレクシスはそう説明すると、深く溜息をついた。

「だが皇帝が変わっても、国の内部は前皇帝のときのままだ。あまりにも急激に方針を変えようとしていることもあり、敵も多いらしい。まだまだあの国も、前途多難だろう」

 今まで王宮に幽閉されていたカーロイドには、味方がほとんどいない。

 さらにずっと追い続けてきた理想を何としても叶えようと、強引に改革を推し進めようとしているのだから、ますます敵も増えるに違いない。

 彼の理想に賛同し、味方になってくれる人達もいる。けれどそういう人達は、前皇帝に疎まれ、権力を削ぎ取られている者ばかりだ。

「さらに、カーロイドには弟が二人いる。どちらも前皇帝の寵姫の子どもだ。皇帝が急死したこともあり、遺言がなかったことで長男のカーロイドが新皇帝になったが、まだ゜皇帝になることを諦めていない。権力争いが始まるのは、時間の問題だろう」

「そんな……」

 戦争が起きれば、向こうの食糧事情はますます厳しくなる。

 あの砂漠を実際に体験したアメリアからしてみれば、あの状態で内部戦争を起こすなんて、正気ではないと思ってしまう。

 だが、ベルツ帝国の王宮で育ったアロイスが、手に入らないのなら奪えばいいと思ったように、他の者達もそう考えているのだろう。

 カーロイドだけが異端なのだ。

 そうなれば、こちらの大陸の国も無関係ではいられない。

 魔法大国のビーダイド王国は無理でも、ジャナキ王国を始めとした、他の国に攻め込む可能性がある。

「これ以上の争いは、無意味だ。だから我が国は、新皇帝のカーロイドと手を組むことにした」

 アレクシスの言葉に、エスト、ユリウス、そしてサルジュも、異存がないことを示して頷いた。

 たしかにカーロイドの改革は性急かもしれない。

 だが、帝国を正しく導けるのは彼しかいない。

 もしカーロイドが志半ばで尽きるようなことがあれば、戦火はベルツ帝国だけでは収まらないだろう。

「カーロイド皇帝は、帝国民を味方につけたいと考えている。そこで、サルジュ」

 アレクシスに名前を呼ばれて、サルジュが顔を上げる。

 兄が何を言いたいのか、すべてわかっているようだ。

「アメリアが提案してくれた、雨を降らせる魔導具ですね」

「そうだ。お前にばかり頼るのは心苦しいが、なるべく急いで試作品を完成させてほしい。近々、カーロイド皇帝の即位の儀式が行われる。俺はそれに参列して、祝いの品としてその魔導具を渡す。試作品で構わない。完成した製品は、きちんと購入してもらうことになっている。その儀式は、一か月後だ」

 他国との交流は、どれだけこの国に利益をもたらすのか。

 魔法大国と言われるビーダイド王国が、どれほどの力を持っているのか。

 それは、侵略などしても勝てる相手ではないとベルツ帝国の貴族達に示すことにもなる。

 サルジュはまっすぐに兄の瞳を見つめ、真摯な顔で頷いた。

「わかりました。必ず、完成させてみせます」


 これからサルジュが忙しくなるのは、アメリアにもわかった。

 だからできる限り手伝うつもりだったのに、週末はひとりで調べたいことがあるからと、手伝いを断られてしまった。

 今までこんなことは一度もなかったので、アメリアは少し落ち込んでいた。

(私では、お役に立てないのかしら……)

 付与するのは水魔法だから、サルジュひとりでは完成させられないはずだ。

 それなのに、アメリアは不要だと言う。

 沈んだ気持ちで部屋に戻ると、カイドの妹のミィーナから手紙が届いていた。

 そこには、クロエ王女がアメリアにとても会いたがっていること。マリーエが週末に自分の家でお泊り会をしたいと言っていて、アメリアとクロエ王女も誘いたいと言っていたと書かれていた。

(お泊り会……)

 たしかに王都に戻ったらやろうと、マリーエと約束していた。

 サルジュに手伝いを拒まれてしまったので、アメリアの予定も空いている。

 手紙ばかりで会えていないクロエの様子も気になる。

 ひとりで悶々としているよりは、お泊り会に参加した方がいいだろう。

 サルジュの邪魔をするのは申し訳ない気がして、ソフィアに外泊の相談をした。彼女は快く送り出してくれたので、アメリアは週末、マリーエの家に泊まることにした。

 メンバーはマリーエ、リリアーネ、アメリア。

 そしてミィーナと、クロエである。

 王城まで迎えに来てくれたリリアーネと一緒に、マリーエの屋敷に向かう。

 国内有数の資産家である彼女の屋敷も敷地もかなり大きくて、つい農地何個分かと考えてしまう。

「これが、ビーダイド帝国の貴族の邸宅……」

 呆然としてそう呟くクロエに、ミィーナがマリーエの邸宅は特別だと告げている。

「私の家なんて、これの半分くらいですから」

「そうですね。わたくしの家もです」

 ミィーナとリリアーネがそう言っていたが、アメリアにしてはこの半分でも大きいくらいだ。

(うちは……。うん、農地ならどこよりも広いから……)

 地方貴族と、王都に邸宅を持つ上位クラスの貴族を比べてはいけない。

 そんなことを思って自分を慰めていると、到着が待ち切れなかったのか、マリーエが出迎えてくれた。

「皆、いらっしゃい。来てくれてありがとう。アメリアも大丈夫だった?」

「うん。何も予定はなかったから」

 サルジュに断られてしまったことを思い出して、少し落ち込みながら答える。

 けれどマリーエの答えは、驚くべきものだった。

「そう、よかったわ。サルジュ殿下にアメリアの予定を聞いたら、週末なら空いているとおっしゃっていたの。これから忙しくなるから、息抜きをさせてやってほしいって」

「……え」

 サルジュはマリーエが誘うとわかっていたから、ひとりで調べたいことがあると言ったのだ。

 落ち込んでいた気持ちが、一気に上昇していた。

「それに、特注のベッドがやっと届いたの! だから、今日は楽しみましょうね」

「ええ。……本当に作ったの?」

 アメリアは、この場にいる友人達を順番に見つめた。

 マリーエ。リリアーネ。ミィーナ。クロエ。

 そして、アメリア。

 女性とはいえ、五人で寝られるほどのベッドは、果たしてどれくらいの大きさなのだろう。

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