第29話

 それからアメリアは、午前中はマリーエと試験勉強をして、午後からはサルジュのもとで彼の研究を手伝った。

 正式にユリウスの婚約者となったマリーエは、そんなアメリアを心配して、たまには休んだ方がいいと何度も忠告してくれた。

「でも一日休んだだけで、サルジュ様の研究はかなり進んでいて、ついていけなくなるんです」

 アメリアは、今日は午後も一緒に勉強をしようと誘ってくれたマリーエにそう言って断る。

 たしかにサルジュの手伝いはかなり集中しなければならないので、終わったあとは疲れ果てて、夕食もとらずに寝てしまうことが多い。

 それでも新しい水魔法の開発に携えるのはとても光栄なことだし、アメリア自身も楽しくて仕方がなかった。

「でも、このままだといつかあなたが倒れてしまうわ」

「いえ、それは大丈夫です。サルジュ様より私の方が体力はあると思いますので。サルジュ様が休んでくだされば、私も遠慮なく休めますから」

「……あなたから、と思ったけれど、向こうが先のようね。ユリウス様に相談しなくては」

 ひとりごとのように小さな声で呟いたマリーエは、アメリアを見る。

「少し心配だったのよ。あなたはリースのことがつらくて、忘れるために没頭しているのかと思っていたものだから」

「そんなことは、絶対にありません!」

 慌ててその言葉を否定した。

「たしかに最初の頃は、リースがどうしてこんなことをするのかわからなくて、とてもつらかったです。でも今は、彼のことを考える余裕すらありません。新しい水魔法を創り出すことが、サルジュ様の研究を手伝えることが、楽しくて仕方ないのです」

 父が土魔法に拘るようになったのは、隣の領主が土魔法の遣い手を当主にしてからだ。やはり土魔法は素晴らしいと熱弁され、その度に曽祖父の話を持ち出されて、すっかり感化されてしまったらしい。

 その後すぐに、まだ五歳だったアメリアとリースの婚約を決めてしまった。

 水魔法など使えても、何の役にも立たない。

 それは父が自分自身に向けた言葉だったが、アメリアは子どもの頃から自分がそう言われているかのように感じていた。

 だがサルジュの水魔法が完成すれば、土魔法と同じくらい有意義なものとなる。その手伝いができるのだから、幸せなことだ。

「そうだったの。あなたがそう望んでいるのなら止めることはできないけれど、身体には充分に気を付けてね。まだ大丈夫だからと過信しないように」

「はい。ありがとうございます」

 マリーエの言葉は労わりに満ちていて、アメリアの心を優しく包んでくれる。

 憎しみや悲しみはいつまでも続かない。

 いずれ彼のことなど、綺麗さっぱり忘れてしまうだろう。

「忙しいのはわかったけれど、来月のわたくし達の婚約披露パーティには参加してくれるのでしょう?」

 正式に婚約したユリウスとマリーエだったが、来月にはふたりの婚約披露パーティが開かれる。他国からの祝いの使者も参加するようで、これからマリーエも準備に奔走されるだろう。

「はい、参加させていただきます。ソフィア様に、私が参加するならサルジュ様も行くだろうから、必ず来てほしいと言われてしまいまして」

 ドレスも何もかも、こちらで準備するからお願いと言われてしまえば、断ることもできなかった。

 それに大切な友人と、日頃から目を掛けてくれているユリウスのためのパーティだ。心から祝福したいと思う。

「それにしても、ソフィア王太子妃殿下から直々に……。何だか王族の方々に囲い込まれているような気もするけれど、わたくしもあなたと一緒なら心強いから、このままでいいのかしら」

「マリーエ様?」

 聞き返してみたが、彼女は何でもないわ、と優雅に笑っていた。

 次の休みに、ソフィアに王城に来てほしいと言われている。聞けばマリーエも呼ばれているらしく、その日は一緒に行こうと約束した。

 当日は王城の馬車が寮まで迎えにきてくれて、アメリアはマリーエと一緒に馬車に乗り込む。

 王都に屋敷を構えているマリーエは、王城で開催されるパーティには何度か参加したことはあるが、個人で行くのは初めてらしい。彼女とは違い、学園に入るまで一度も登城したことのなかったアメリアだが、サルジュの研究の手伝いをするため、もう何度も訪れている。

 王城で働く侍女にも顔を覚えられ、サルジュのところに案内されそうになって、今日はソフィアに呼ばれたのだと告げた。

 彼は朝からずっと王城の図書室にいるらしいので、用事が終わったらサルジュにも会いに行くつもりだ。

 王太子妃であるソフィアの元に向かうと、彼女は複数のデザイナーとともにふたりの到着を待っていた。今日は婚約披露パーティのためのドレスのデザインを決める予定なのだ。

「畏まった挨拶はいらないわ。私達は義姉妹になるのだから」

 そう言って、優しく迎え入れてくれた。

 たしかにユリウスの婚約者となったマリーエは、いずれソフィアの義妹となる。けれど自分は違う。同じような態度は許されないと思ったアメリアだったが、ソフィアは、アメリアは友人だからと言う。

「もう一か月しかないから、急いで決めてしまいましょう」

 そう言って、大量に並べられている布をじっくりと眺める。

「ユリウスは黒髪に緑の瞳だから、ドレスは緑。宝石は……。ブラックダイヤモンドにしましょう。アメリアはもっと鮮やかな緑色に、イエローサファイアかしら」

 ユリウスの色を婚約者のマリーエが纏うのは当然だが、アメリアが元婚約者であるリースの色のドレスを着るのは、気が進まない。

 だから別の色にしてもらおうとして、はっとする。

 金色の髪に緑色の瞳をしているのは、リースだけではない。

 この鮮やかな緑色。煌めく美しい金色は、サルジュの色だ。

「あの、ソフィア様。その色は……」

「あら、嫌いだったかしら?」

 にこにこと笑うソフィアに、どう返答したらいいのかわからずに戸惑う。

「もちろん嫌いではありません。ですが……」

 勘違いをする人がいるかもしれない。

 そんなことになったら、サルジュに迷惑をかけてしまう。言葉を選びながら何とかそう伝えると、ソフィアはふと真顔になった。

「むしろ助かるのよ。ごめんなさい。あなたには無理ばかり言っているとわかっているのだけれど……」

 当日は近隣諸国からの祝いの使者も訪れる予定だが、その中に帝国の人間が潜り込んでいるのではないかという噂があるようだ。

 もちろん警備は万全だし、怪しい者を王城に入れたりはしない。

 だがサルジュは研究に気を取られていると、どこに行くかわからない。

 王家は、彼をおとなしくさせるにはアメリアを傍に置くのが一番だという結論を出した。

 年頃の男女がずっと傍にいるためには、婚約者を装うのが一番だ。

 そう懇願するように言われてしまえば、アメリアにはもう、こう答えるしかなかった。

「私でお役に立てるのでしたら」

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