番外編 幻の白い花 (アメリアとサルジュ)

「幻の白い花、ですか?」

 顔馴染みになった女性研究員から聞いた話に、アメリアは首を傾げた。

 今日は朝からサルジュと図書室にいたが、資料になる本を借りるため、アメリアだけ王立魔法研究所を訪れていたのだ。

「ええ、そうよ。王都から少し離れた場所に、見たことのない白い花が咲いているらしいの」

 本を探していたアメリアを手伝ってくれた彼女は、そう言って詳しい話を聞かせてくれた。

 花の専門家がその花を持ち帰って調べようとしたけれど、どんなに丁寧に掘り起こしてもすぐに枯れてしまうらしい。専門家も見たことがない花というのだから、新種なのだろうか。

 アメリアも興味を持った。でもそれを見に行くには、王都の外に行くしかないようだ。

(どんな花なのかな……)

 気になって、図書室に戻ったときに何気なくサルジュに報告した。

 新しい水魔法も完成した今、サルジュは小麦のさらなる品種改良に取り組んでいる。来年もまた冷夏になりそうだと言われていて、本来の小麦を植えている領地では収穫が半分になる可能性があった。だから今は新しい水魔法を使った魔法水の普及と、さらに冷害に強い小麦の改良を目指しているところだ。

「白い花か」

 アメリアからその話を聞いたサルジュは、そう呟いた。

 そしてずっと読み耽っていた分厚い魔法書から顔を上げると、窓の外に視線を向ける。

 アメリアも彼につられて窓の外を見つめた。

 季節はもう秋になろうとしている。

 中庭に植えられている大きな木の葉は、鮮やかな紅色に染まっていた。吹く風が窓枠を軽く揺らすと、まるで花びらのように散っていくのが見える。

 その光景を見ていたアメリアは、ふと去年の秋を思い出す。

 去年の今頃は、そろそろ収穫を迎える農地を見回るために、頻繁に外に出ていた。けれどここ最近は毎日忙しくて、学園と王城の往復だけだ。

 少しだけ、広い農地が懐かしくなる。

 夕陽が地平線に沈み、世界が紅色の染まるあの光景。

 冷たい風が頬を撫で、ざわざわと揺れるのは、もうすぐ収穫を迎える金色の穂。

 生まれ育った土地の、馴染みある景色。

 けれどこれからはこの生活が続いていくのだから、こちらに慣れなくてはならない。

 そう自分に言い聞かせて、自分の魔法の研究に取り組むことにした。

 アメリアの今の目標は、今まで治癒魔法しかなかった水魔法をもっと増やすことだ。サルジュは色々と相談に乗ってくれるが、彼の専門は土魔法である。だから水魔法の研究はアメリアが主体で行っていた。

「そろそろ閉校時間ですよ」

 あれからずっと集中していたらしく、カイドにそう言われて我に返った。

 少し前に研究所から戻ってきたサルジュは、珍しいことにもう片付けを始めている。

 アメリアも慌てて帰り支度をした。

 迎えの馬車の前でカイドと別れ、王城に向けて走り出した途端に、サルジュが馬車を止めた。

「サルジュ様?」

「書類を忘れたようだ。取りに行ってくる」

「私も一緒に行きます」

 いくらすぐ近くとはいえ、サルジュひとりで行かせるわけにはいかないと、慌ててアメリアも立ち上がる。

 学園に戻った馬車を門の前に待たせて、ふたりで図書室に戻ろうとした。けれどサルジュはアメリアの手を引くと、そのまま裏門の方に向かう。

「あの、どちらに?」

 戸惑いながらも、サルジュが手を放してくれないから立ち止まることもできず、アメリアはそのまま彼の後について歩くしかなかった。

「アメリア、白い花を見に行こう」

「え」

 まさかこのまま王都の外に行くつもりなのか。

 そう思うと、さすがに足を止める。

「駄目です、危険ですから」

 せめてここにカイドがいれば、アメリアも賛成したかもしれない。けれど彼の護衛は学園の中だけで、今日はもう帰っているだろう。

 たしかにアメリアも少し息抜きがしたいと考えていたけれど、そのためにサルジュの身を危険に晒すことはできない。

「ああ、王都の外に行くつもりはないよ。ここの裏庭だ」

「え?」

「私も研究員に話を聞いてみたが、おそらく同じ花だろう」

 そう言って、アメリアを学園の裏側にある小規模の庭に連れ出す。

 そこには花壇があり、色々な種類の花が咲いていた。サルジュがたまに実験に使っている場所である。

 ここに、その白い花が咲いているのだろうか。

 サルジュはアメリアの手を引いたまま、花壇の奥に進んでいく。

 時刻はもう夕暮れ。

 雲の隙間から差し込む紅い光が、サルジュの後ろ姿を照らしている。

 冷たい風は少し湿っていて、もしかしたら雨が降るのかもしれない。

 見上げた空は去年と同じ色をしていて、急激に環境が変わったことによって不安に思っていた心が少し慰められる。

 そしてサルジュは花壇の奥に植えられていた白い花を指さした。

「この花だ」

 幻の花というから、薔薇のような豪華な花なのかと思っていたけれど、実際はとても可憐な花だった。背の低い茎から伸びた先には、小さな花がたくさん咲いている。

「可愛い」

 思わずそう呟くと、サルジュは微笑む。

「これは、本来なら春から夏にかけて咲く花だ。冷害に強い小麦を作ろうとしていたとき、実験として品種改良をして秋に咲くようにした」

 もとになった花は、大型の花を咲かせるそうだ。

「これは魔力の満ちた土でなければすぐに枯れてしまうから、持ち帰ることはできなかったのだろう」

 この花壇には学生なら誰でも出入りできるから、誰かが種を持ち帰ったのかもしれないし、鳥などが郊外まで運んだのかもしれない。それがちょうど魔力に満ちた土地に行きついて、そこで花を咲かせたのだ。

「サルジュ様が作った花だったんですね」

「そうだな。そういった植物は他の生態系に影響を与えないように、なるべく外に出さないようにしていた。だから誰も知らなかったのだろう。郊外の花も魔力がなくなれば枯れるが、念のために回収させよう」

 アメリアは頷き、その白い花を眺めた。

 小さくて可憐な花は、農地の隅で咲いている野の花を彷彿させる。

 しばらくサルジュとふたりで眺めていたが、ふと我に返った。

「ああ、もう校舎が閉まったかもしれません。サルジュ様の忘れ物が……」

「気にしなくてもいい。あれは口実だ」

「口実ですか?」

 アメリアは首を傾げる。

 学園の敷地内に咲いていたのだから、帰りに見ることもできたはずだ。それなのに、わざわざ一度馬車に乗ったあとに引き返してきた。

 その理由がわからなかった。

 不思議そうなアメリアを見つめ、サルジュは柔らかく微笑む。

「こうしないと、なかなかふたりきりになれないからね」

 囁くようにそう言われ、再び手を握られてどきりとする。

 そう言われてみれば、王族であるサルジュがひとりになることはほとんどない。学園にいる間は護衛騎士であるカイドがいるし、王城でも常に傍には人がいる。

「私はもう慣れているが、アメリアが大変ではないか。窮屈な思いをしているのではないかと、ずっと気になっていた。一度レニア領地に行ってからは、特にそう思うようになった」

「……サルジュ様」

 気遣ってくれたのだと思うと嬉しくて、思わず笑みを浮かべていた。

「不自由をさせてすまない。だが、もう手放すことはできない」

自由を奪ってしまうことを謝罪しながらも、サルジュの手はアメリアを離さない。

「サルジュ様。私は今の方が幸せです。ですから謝らないでください」

 たしかに、領地にいた頃は自由な生活だった。朝起きてから、今日の予定を決めていたこともある。

 懐かしいと思う。

 でも、あの頃に戻りたいとは思わない。

 懐かしい自由な生活に戻っても、傍にサルジュがいなければ意味がない。

 アメリアの返答に、サルジュは嬉しさと後悔が入り混じったような、複雑な顔をしていた。

「私はこの花と同じだ。アメリアがいないと、枯れてしまうだろう」

 そうして、そう小さく呟いた。

 魔力で満たされていないと枯れてしまう、この幻の花のようだと。

「それは私も同じです。だから、傍に置いてください」

 互いの思いを確かめ合い、手を握ったまま白い花を見つめた。

 どのくらいそうしていたのだろう。

 ふと気が付くと、周囲が薄暗くなってきた。

 馬車で待っている御者は、心配していることだろう。

「サルジュ様、そろそろ……」

 小声で促すと、彼は頷いた。

「そうだな。戻ろうか」

 アメリアの手を放して先に歩くサルジュは、もう王族の顔に戻っている。

 きっと、この顔を見る時間の方が長いだろう。それでも、たまにはこうしてふたりきりになれたら。

 そう思いながらその背を追っていたアメリアは、いずれ魔力が途切れて枯れてしまうだろう花のことを思う。

 王都の郊外で咲く小さな白い花は、かつての自分のようだ。サルジュと出会わなければ、きっと枯れていたに違いない。

 その白い花を、この花壇に植え替えてもいいのか聞いてみよう。

 そう思いながら、アメリアは懐かしい領地に続く空を見上げた。









※他の人の話が続いたので、主役ふたりの話を書いてみました。

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