第97話 戦乱の時代の中で……勇者としての自覚
俺の父は勇者だった。アレースレン王国の訓練場での稽古は、俺にとって日常だった。俺がまだ幼かった頃の話だ。
「トウヤ、剣はただ振るうだけじゃない! それは、お前の意志だ」
父の言葉はいつも厳しかった。
でも、それは勇者として生きるための必要な教えだったんだ。
訓練場での稽古は激しいものだった。俺の小さな手に握られた木剣が、父の剣と何度もぶつかり合う。金属のぶつかり合いの音は、俺の心を奮い立たせた。それはまるで戦場にいるかのような緊張感だった。
「もっと! トウヤ、集中しろ!」
父の声が響く。俺は必死で剣を振るった。
一撃ごとに、俺の技術は磨かれていった。
幼い俺は、父が誇りだった。強く、威厳があり、いつも人々から尊敬されていた。だから俺も、父のような勇者になりたかったんだ。
しかし、稽古の後、母の優しい手がいつも俺を待っていた。
「大丈夫?」
母はいつも心配そうに俺の顔を見つめた。母の優しさが、稽古の厳しさを和らげてくれた。
この訓練場で過ごした時間は、俺にとって大切なものだった。父の下で学んだ剣技と、母の温かい心。これが俺を形作る二つの大事な要素だったんだ。
父からは、常に勇者の跡継ぎとしての重圧を感じていた。そしてあの時は、まさに戦争真っ最中。アレースレン王国は他国との激しい争いに巻き込まれていた。
父は俺を戦争のための道具として扱っていたと思う。俺の存在は、アレースレン王国の威光を示すもので、他国に対する強力な象徴だったんだ。
王国は、様々な地域から成り立っていた。荒涼とした荒野、豊かな森林、そして辺境の村々。これら全ての地域が戦争の影響を受けていた。王都は戦争の指令所として機能し、国内は常に緊張感に包まれていた。
だから俺の毎日は、厳しさと苦しさに満ちていた。しかし、その一方で母がいつも俺を慰めてくれた。彼女の優しさは、俺にとっての唯一の安らぎだった。母はいつも、俺の小さな傷や心の痛みに気を配ってくれた。彼女の存在がなければ、俺はこの厳しい環境で耐えられなかっただろう。
母はよく言っていた。
「トウヤ、本当に大事なのは心よ……剣の腕も大事だけれど、心を強く持つことが一番大切なの」
その言葉は今でも、俺の心の支えだ。
父の名はガルド、母の名はリリアナ。ガルドは王国の英雄で、リリアナは辺境の村の出身だった。
その日、ガルドは戦争のための会議に出かけており、家での食事は母と二人だけだった。家族揃っての食事は、なかなか取れないものだった。
俺たちは静かに食事をとりながら、会話を交わしていた。その中で、ふと俺は気になることを尋ねた。
「母さん、どうして父さんと結婚したの?」
身分の違い、父の厳格さ、それらがなぜリリアナを惹きつけたのか。
リリアナは少し笑いながら、遠い目をした。
「あなたの父さんとの出会いはね、とても偶然だったの! 村での祭りの日に、彼は怪我をして村にやってきたのよ! そこで私たちは出会ったわ」
「でも、身分の違いとか気にならなかったの?」と俺は続けて尋ねた。
リリアナは優しく微笑んだ。
「最初は気にしていたわ。でもね、あなたの父さんは、私のことを一人の人間として見てくれた。身分なんて関係なく、私たちはお互いを理解し合えたのよ」
俺はその話を聞いて、少し驚いた。厳格な父ガルドが、母のような平凡な村の女性を愛するなんて。でも、それが二人の馴れ初めだった。
母の話は俺にとって意外なものだった。厳しい父ガルドが、母リリアナのような平凡な女性と愛し合うなんて想像もしていなかった。父はいつも俺には厳格な顔を見せていたからだ。
母は続けた。
「身分とか出身とか、そんなの関係ないって、ガルドはそう言ったのよ」
その言葉は信じられないほどだった。でも、母の顔を見れば、その言葉が真実であることが分かった。彼女の目には幸せな光があった。
父がそんな風に思っていたなんて……。俺は自分でも何故か分からないけれど、なんだか心がほっこりとした気持ちになった。父と母の愛は、俺が思っていたよりもずっと深いものだった。
この話は、俺にとって新たな発見だった。俺が知っていた父とは全く違う一面を垣間見た気がした。それは、戦争や身分、勇者としての重圧とは異なる、もっと人間らしい部分だった。
俺は、父と母の間にある深い愛を感じていた。そして、そんな二人の間で育った俺もまた、戦争や憎しみだけではない何かを胸に抱えていると気づいた。
父ガルドの真の姿と、母リリアナの温かさ。これらは俺の心の中で、勇者としての道を歩む上で大切な要素となっていくと信じたかった。
母の話を聞いた後、俺は新たな決意を固めた。父ガルドに一度でも認められたいという気持ちは、今まで以上に強くなっていた。父に褒められたことは一度もなかったからだ。
同時に、俺は母リリアナのような女性を守りたいと強く思うようになった。母が父と共に築いた愛の物語は、俺にとっても重要な意味を持っていた。そんな母を守ることが、俺にとっての使命だと感じたんだ。
この決意は、俺に生きる目的を与えた。それはただ強くなること以上のものだった。それは、大切な人を守るために、より一層頑張ることだ。父が俺に期待したように、俺も自分自身に期待し始めた。
それからの俺の訓練は、以前とは違っていた。ただ剣を振るうだけではなく、誰かを守るための剣の使い方を学び始めたんだ。父の教えを胸に、そして母の愛を忘れずに、俺は日々成長していった。
剣術だけではなく、知識も蓄えることが大切だと思い、俺はよく王国の書物の部屋に入り浸っていた。他国の情報、魔術に関する知識、戦争の戦術に至るまで、様々なことを学んでいた。知識は、いざという時に役立つ武器になる。
ある日、俺が書物に埋もれていると、ふと本が頭上から落ちてきた。驚いて拾い上げると、そこには写真が挟まっていた。写真には俺の母リリアナと父ガルドの姿があった。
そこは「出会い」というページの端っこに、何かが書かれていた。
「トリス村と……」とある。
トリス村?
この本は、どうやら父の過去に関するものらしい。そして、そのページには、トリス村での出会いについて詳細に書かれていた。父と母がどのようにして出会い、どう愛し合うようになったのか。読むうちに、俺は次第に両親の過去に引き込まれていった。
トリス村。この名前は俺には全く知られていなかった。母からも、この村のことは一度も聞かされたことがなかった。何故母はこの村のことを話してくれなかったのだろうか。それとも、父が何かを隠していたのか?
この疑問は俺の心をかき乱した。何か重要な手がかりが隠されているような気がしてならなかった。俺は書物の部屋を必死で探し回った。トリス村に関する情報、父と母の出会いに関連する何か。
しかし、どれだけ探しても、トリス村についての具体的な情報は何も見つからなかった。歴史の書物、地理の書物、伝承を集めた記録。どれを調べても、トリス村の名前は一切登場しなかった。
俺は少し落胆した。父と母の間に何があったのか。トリス村という場所は、一体どんな意味を持っていたのか。これらの疑問は、ますます俺の心を掻き立てた。
トリス村の場所を知るため、俺は母リリアナに尋ねることにした。
手に持った本を差し出しながら、「母さん、トリス村って知ってる?」と聞いた。
母は驚いた顔をしたが、すぐに懐かしそうな笑みを浮かべた。
「あら、懐かしい! こんなのよく見つけたわね」
手に取った本を見つめながら、母は遠い目をした。
「多分、あなたの父ガルドが恥ずかしいから隠していたのね」と母は続けた。そして、トリス村について話し始めた。
トリス村は、小さな辺境の村だった。母の故郷で、父と母が最初に出会った場所だ。村は、豊かな自然に囲まれ、穏やかな時間が流れる場所だったという。
「ガルドが怪我をして、私たちの村に運ばれたの……その時に私たちは出会ったのよ」
母の目には、その出会いの瞬間を思い出す喜びが浮かんでいた。
俺は母の話にじっと耳を傾けた。父と母の出会いの物語は、ただの偶然ではなく、運命のようなものだった。そして、トリス村はそのすべての始まりの場所だった。
トリス村のことで頭が一杯になった俺は、稽古の途中で父ガルドにその話をすることに決めた。俺たちの間では日常の会話はほとんどなく、そんなことを訊くこと自体が許されていないのは知っていた。だが、それでも俺は尋ねる必要があると感じた。
「父さん、トリス村って知ってる?」
稽古中にふいに切り出した俺の質問に、父は珍しく表情を変えた。一瞬の沈黙の後、彼は剣をしまい、深く息をついた。
「なるほど、ちょうどいい機会だ」
父は続ける。
「そこに連れてってやろう」
俺は父の反応に驚いた。これまで見せたことのないような、何か感情を抱えているような表情だった。父と俺の間には、これまで言葉で語られなかった何かがあるようだった。
そして、父が決意を表したことに、俺は心の中で一つのドアが開いたような感覚を覚えた。父が連れて行くと言うトリス村は、俺と父の間の未解決の何かを解決する鍵なのかもしれなかった。
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