第96話 勝者も敗者もなく

 空から降り注ぐ雨の中、意識を取り戻した俺は、戦場の混乱とはかけ離れた静かな場所にいた。目を開けると、そこにはパティがいた。彼女は俺の傷の手当てをしていた。


「どうしたんだ、ここは?」と俺は声を上げる。声はかすれていて、体中が焼けるような痛みを感じたが、幸い命に別状はないようだ。


「ローク、ようやく目を覚ましたね。心配したよ」とパティが答える。彼女の表情は安堵に満ちていた。


 俺は気絶している間、ずっとパティに守られていたらしい。戦場での出来事を思い出そうとするが、記憶は断片的だ。どうやらトウヤとの戦いは決着がついておらず、勝者も敗者もいない状況のようだ。




 パティの言葉が重く、俺の心に響く。「ローク、ごめんなさい…エドワードを守ることができなかったの」彼女の声は悲しみに満ちていて、涙が頬を伝う。


「そうか……」


 俺の口からは、その一言しか出てこない。エドワード、俺たちの仲間だった。そして、サーニャを守れなかった俺にも同じ重みがある。仲間を失う痛みは、どれほどのものか。


 その時、瓦礫の中から、ぼろぼろの姿でコルニ―が現れた。彼女の瞳は虚ろで、戦いの後の深い疲労と絶望が見て取れる。


「コルニ―!」


 パティが彼女のもとへ急いで駆け寄る。俺も立ち上がり、彼女のそばへ行く。コルニ―の身体は傷だらけで、彼女がどれだけの戦いを経たかが想像できる。


「大丈夫か?」


 俺は尋ねるが、コルニ―は黙って頷くだけだった。あいつの表情には、言葉にできないほどの苦しみが浮かんでいる。


 この瞬間、俺たちがどれだけ多くを失ったかが痛いほどに実感できる。戦いは、ただ敗者を生むだけではない。生き残った者たちにも、深い傷を残していく。




 エドワードのことを思うと、俺の心は重く沈む。彼は本当に大事な戦友だった。いつも俺の側で戦ってくれて、裏切ることなく、常に支えとなっていた。そんな彼を失ったことが、俺の心に深い傷を残す。


「エドワード……」とつぶやくと、気づけば涙が頬を伝っていた。これまでの戦い、喪失、そして絶望が、降り積もった雪のように俺を襲う。


 パティは黙って俺の傷の手当てを続けていた。彼女もまた、多くの悲しみと苦しみを抱えているはずだ。それでも、言葉を交わすことができない。ただ、彼女の手が温かいことだけが、俺にとっての小さな慰めだった。


 俺は泣きながら、ふとあることを気にする。それは、これからのことだった。エドワードの死が意味するもの、サーニャへの誓い、そしてこれまでの旅で出会った人々。彼らのことを考えながら、俺はどうすればいいのかを考える。


「エドワード、お前のためにも、俺は戦い続ける……」


 心に誓う。涙を拭い、パティに感謝の言葉をかける。


「ありがとう、パティ。お前がいなければ、俺はもう……」声が詰まる。




 エドワードの失われた命を思うと、俺の心は一層重く沈んだ。エドワードにも家族がいた、仲間がいた、そして彼の目的もあった。彼はただ単なる戦友以上のものだった。俺にとって、彼はかけがえのない存在だった。


「それなのに、あんな奴らに全てを奪われて……」


 私は思わず言葉を漏らす。エドワードの死は、戦場での激闘の中で起きた。彼の命を奪ったのは、俺たちの敵だ。しかし、深く心に突き刺さる罪悪感があった。この全てが、俺が巻き込んでしまったからだ。


 俺は頭を抱える。エドワードの失った未来、彼の家族や仲間への思い、彼自身の夢。それらすべてが、俺のせいで終わった。これが俺の決断の代償だったのか。この無念さ、この悲しみが、俺の中で嵐のように吹き荒れる。


「俺が……俺が全てを……」


 声にならない呻きが漏れる。パティがそっと肩を抱きしめてくれるが、その温もりさえも、俺の罪悪感を癒やすには足りない。


 この瞬間、俺は深く自分自身を見つめ直す。これからどうすべきか、何を目指すべきか。エドワードのためにも、そして失われたすべてのために、俺は戦わなければならない。もう後戻りはできない。


「エドワード、お前の分まで俺が……」


 俺は固く決意を新たにする。


 しかしそんな中で。


「ご機嫌ですね……みなさん」


 雨が俺の頭を叩きつける。急に現れたナイルの姿に、俺の心臓が跳ねる。横にはフローレンが不敵な笑みを浮かべ、その後ろにはトウヤがいる。彼もまたボロボロだが、立っている。その光景が俺の怒りに火をつけた。


「それにしても、まだ生きておられたのですね」というナイルの言葉。冗談じゃない。俺はここにいる。今ここで息をしている。


「お前たちが何をしてる……」


 俺の声は震え、怒りが頂点に達した。フローレンの笑顔は、俺をさらに苛立たせる。この場所で、今までの戦いで何が起きたか、それが頭をよぎる。失ったもののすべてが、トウヤに向けられた憎悪に変わる。


 俺の体は雨で冷たいはずなのに、中から湧き上がる怒りで熱くなる。怒りが、俺の全身を支配する。トウヤ、この男が生きていることが、許せない。


 どうしてこんなやつが……俺たちを苦しめたやつが……・


 コルニ―が怯えているのが見える。彼女の恐怖を感じながらも、俺の感情は収まらない。俺は剣を握りしめ、トウヤに向かって一歩踏み出す。


「トウヤ……」


 俺の声は低く、怒りに満ちていた。


「お前との戦いはまだ終わってない。俺はお前を倒すためにここにいる。この雨の中で、終わらせる!」



 しかし、トウヤは戦える状態ではない。彼はボロボロだ。俺もまた、パティに止められると同時に力尽き、その場に倒れ込んだ。怒りだけでは無理だった。俺の体は限界を超えていた。


 フローレンは俺たちを見下ろしながら煽る。


「こんなもんかしら、ローク」


 こいつは嘲笑った。だが、その時、ナイルが二人の前に出て来て、状況を変えた。


「あなたたち二人は、力と力がぶつかり合って気を失っていた……驚きましたよ? まさか、勇者様がこんなになるのは初めてですからね」


 ナイルは静かに語り始めた。


「しかし、それぞれのお仲間が助けた……それが今の状況ですね」


 ナイルの言葉に、俺は静かになった。彼の言葉が意味するものを理解するのに時間はかからなかった。戦いは、ただ一方が倒れるだけのものではない。俺たちがここにいるのは、それぞれの仲間のおかげだった。



 ナイルは淡々と状況を伝えた。戦いの動向、そして街の破壊について。


 彼は静かに問うた。


「関係ない人をこんなに巻き込んで得られたのは何ですかな?」


 その言葉は重く、俺たち全員に突き刺さった。


 パティはすぐに反論した。


「それはどうかしら。街の人はみんな、私が守ったのよ」


 パティは力強く言い放った。元女神としての力とプライドが彼女の言葉に込められている。彼女の表情には、戦いへの自信と決意が見て取れた。


 しかし、ナイルはその言葉に軽く笑った。


「もう、そんなのは関係ないですぞ? あなたたちはこの戦いで全世界から注目されているんですからね」


 ナイルの言葉に、俺は別に驚かなかった。全世界からの注目……それは、俺たちの戦いが思っていた以上に大きな意味を持っていたことを意味している。俺たちの戦いは、ただの小さな争いではなく、もっと大きな影響を持っているのだから。



 俺はナイルの言葉を聞きながら、自分の中で沸き上がる感情を抑え込んでいた。確かに、俺は世界を敵に回しても復讐すると誓った。

 だが、ナイルの言葉には重みがあった。


「しかしあなたにとってはどうでもいいことだろう」


 ナイルは静かに俺に言った。


「勝利も敗者も居ないのが、今回の戦いの結果だと私は思っていますぞ」


 彼の言葉に、俺は無言で頷くしかなかった。ナイルの指摘は正しかった。今回の戦いは、ただの勝ち負け以上のものだった。俺たちは勇者を追い込んだが、その過程で多くを失っていた。


 ナイルはさらに続けた。


「ここまで勇者様を追い込んで、それぞれの仲間が無くなっています……カゲノとサキです! 巻き込まれ、再起不能らしいですな」



 ナイルの話に耳を傾けながら、俺は自分自身とトウヤとの戦いを思い返していた。あの時の激しいぶつかり合いで、カゲノとサキまでもが亡くなってしまったことを知り、少しだけ心が晴れたような気がした。だからこそ、勝者も敗者もないのかと理解した。


「そういうことか……」


 俺はつぶやいた。戦いの意味を理解した瞬間だった。しかし、ナイルがまだ話している最中に、突然トウヤが無理やり前に出てきた。


「それ以上はいい」


 トウヤが言うと、その場の空気が一変した。トウヤの目は決意に満ちており、彼は俺と対峙する形で立っていた。こいつの体はボロボロだが、その目にはまだ戦いへの情熱が残っている。


 そして、トウヤは静かに宣言した。


「この状況だ! 少しやはり、話をお前としたい」


 俺とトウヤ、二人だけの間には、言葉以上のものが流れていた。彼の言葉には、ただ戦う以上のものがあるように感じられた。俺たちは一時の敵としてではなく、何かを共有しようとしている。


 しかしトウヤの提案に対し、俺は怒りを込めて反応した。


「お前と話す事なんてねぇよ」


 俺は言い放った。怒りが俺の心を完全に支配していた。


 だが、トウヤは動じず、俺に向かって言った。


「そうだな、でもこれだけのことをしといて、それはないだろう」


 こいつの声には自信とともに、ある種の落ち着きが感じられた。


「それに、俺をここまで追い詰めたのはお前が初めてだ」


 トウヤは続けた。


「だからこそ、お前は俺の、いや、この国の、世界の話を知る必要がある」


 その言葉に、俺は一瞬動揺した。彼が正しいことを言っているとは、どうしても認めたくなかったが、彼の言葉には重みがあった。トウヤが私を追い詰めたのは事実だったし、そこには何か大きな意味があるはずだった。


 俺は深くため息をつき、少し考えた。彼の言葉には、ただの敵対者以上のものがあるように感じられた。彼は何か重要なことを伝えようとしている。もしかしたら、俺が知らない大事な情報があるのかもしれない。


「……どういうことだ?」


 俺は渋々尋ねた。これがどんな話になるのか、まだ分からないが、トウヤの言葉には何か決定的なものが含まれているように感じられた。

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