Ⅰ 本物の魔術武器(2)
「いや、それは確かに前にも聞いたが……それはつまり、C・S・ルイスの『ナルニア国物語』やJ・R・R・トールキンの『指輪物語』、または神話の英雄物語なんかに出てくる魔法の剣とか槍とか、そういったもんじゃろ? あとは魔術の儀式に用いる棒ワンド、杯カップ、剣ソード、盤ペンタクルなんかの呪具とか……普通の武器とは違って超常的な力の宿った……」
「ん、まあ、簡単に言やあ、そうかな?」
「だとしたら、そんなもの本当にこの世に存在するものなのかの? それこそ実在するとは思えんが……わしも長年〝こんな商売〟やっとるが、例えそうした言い伝えや噂があったとしても、実際に魔法の力が宿っておるなんて代物には一度としてお目にかかったことはないからの」
「フン…わかってねえなあ」
しかし、ひどく困惑した表情を見せる店の主人に、刃神はあっさりと言い切る。
「勿論、そんなおとぎ話に出てくるような魔法の武器が現実の世の中にあるわけねえじゃねえか」
「なぬ? いや、だって、それをお前さんは求めていると今、言って…」
「いや、だからさ。物理的――自然科学的に何か超常的な力があるなんてことはなくても、〝そうした言い伝えや噂がある〟ってとこが、重要なんだよ」
「はあ? さっきから何を言っておるのか、さっぱりわからんぞ?」
不可解な刃神のコメントに、主人はやや苛立たしげに訊き返す。
「あのな、オヤジ。人間ってのは心の生き物だ。現実にはそうした力がなかったとしても、そう思い込んでりゃあ、それと変わりねえのさ。例えば今、ここに鞘から抜くと呪われるって云われてる剣があったとする……そしたらどうだ? オヤジ、あんたはそれを抜いてみるかい?」
「そうじゃな……強いて抜けといわれれば抜かないこともないが、好んで抜いてみる気にはならんのう」
質問の意図がよくわからぬ主人だったが、とりあえず少し考えてから答えてみる。
「だろ? そこなんだよ。そうして呪いや魔力ってのは生まれるのさ。もう一つ例を挙げると、そうだな……こいつは少し魔法の武器からは離れちまうが、こんな実験をしたと思ってくれ。ど素人が作ったまったく同じ料理が二皿あるとして、そんなこと知らずに片方は素人が、もう一方はプロの料理人が作った料理だって教えられて食ったら、どっちが美味く感じると思う?」
「どっちがって……味もどちらとも一緒なんじゃろ?」
「ああ。まったく同じだ。だが、それを食う奴は片方はプロが、片方はトウシロウが作ったもんだと思い込んでる」
「うーん……実際にやってみんことにははっきりと言えんが……本当は味が一緒でも、プロが作ったと聞かされたものの方が先入観で美味く感じてしまうかもしれんのう」
やはり、その質問がどう今の話に関連しているのか理解に苦しむ主人だったが、それでも仮想の実験を想像して、今度も律儀に答えてみる。
すると、それを聞いた刃神はどこか満足げに頷いて、こう言うのだった。
「な。さっきの呪いの剣と一緒だ。そういう物に纏わり付いてる情報ってのが、〝現実には存在しない力〟ってのをその物に与えるんだよ。これがつまり、言うなれば〝呪い〟や〝魔法の力〟ってやつだな。いや、そう思い込んでる奴にとっては、そうした力をその物が持ってるってのが現実なのさ」
「おお、なるほど……なんとなく、わしにもわかってきたぞ」
ようやく言わんとしていることを理解し始めた主人に刃神はさらに続ける。
「それに人間の身体ってやつは、すべて自分の意識で動かしているわけじゃなく、実際にはその大部分を〝意識できない意識〟――即ち〝潜在意識〟が動かしてる。意識しなくても息したり、歩いたりできるのはそのためだ。内臓機能の調整なんかの生命維持に関わる自律神経を支配しているのも潜在意識だな。さらに本能、感情といった部分もこいつが司っている。だから、たとえ意識では信じていなかったとしても、潜在意識の方がそれを信じていたとすれば、身も心もそんな風に反応しちまうのさ。ちなみに、この潜在意識ってのはなかなか意識の思い通りにはなっちゃあくれねえ」
「わかったぞ! つまり、さっきの呪いの剣やプロの作ったと聞かされている料理のように、そう思い込んでいれば、それは現実にそうであるのと変わらない……それも、表面上は信じていなくても、心の奥底で少しでもそれを信じてしまっていれば……」
俄かに老主人は得心し、思わず声を上げる。
「その通りだ。オヤジ、なかなか飲み込みがいいな。いくら呪いや魔法なんぞ信じちゃいないって意地張ってても、潜在意識が信じちまってる限り、摩訶不思議な魔法の力は発動しちまうってわけさ。ああ、そうだ。オヤジ、〝プラシーボ効果〟ってのを知ってるか?」
「ん? …ああ、あの小麦粉を医者が薬だって言って患者に飲ませると、まるでその小麦粉が本物の薬であるかのように効果が現れるっていうあれじゃろ?……おお!それはまさに今、言った…」
「そう。思い込み――暗示といってもいいな、そうした認識の仕方によって、〝この世界に存在する物〟ってのは、いとも簡単に変化しちまうって例だな。加えて言うと、人間…いや、すべての生物は絶対に本当の〝外世界〟ってのを見ることはできないらしい……」
「見ることができない?」
「つまりな、目や耳、鼻、口、皮膚などの五感から感じ取ってるこの世界の像ってのは、外から入ってくる刺激を一旦、電気信号に変え、それを脳の中で再構築して見ている仮想現実バーチャル・リアリティなわけさ。だから〝呪いがかかってる〟だの〝魔法の力を秘めている〟だのといった伝承、俗信、噂なんかを持ってる物は、人が認識することのできる〝内世界〟の中においては、それが嘘だろうが本当だろうが、そんな変わりはねえわけさ」
「そうか。そういうことか……つまり、その魔術的な伝承を持った武器というのが…」
「ああ。俺が求めている〝
充分にその真意を理解したらしい老主人に、刃神は口元を緩めて頷いた。
「なるほどのう……確かにそうした意味合いにおいては、魔法の剣も槍もあるかもしれんのう……」
具体的な現象例を挙げて語る刃神の説明に、当初は混乱していた主人も今ではすっかり納得している。刃神、粗野で口の悪いその印象とは裏腹に、結構、説明上手だったりする。
「……ん? じゃが、待てよ? さっき、お前さんはダヴィデの剣の方は本物じゃが、キリストの剣の方は駄目だとか言って嘆いておったな? 実際には両方とも偽物じゃが、今の理論からすれば、どちらもお前さんの求めるところの〝本物〟ってことになりはしないのかのう? 一体、どこがどう違うんじゃ?」
しかし、主人はまた新たな疑問に思い当たり、再び刃神に尋ねる。
「それにもう、お前さんはそれが偽物であるという事実を知っておる。しかも、わしの詳しい鑑定結果の説明も聞いて、おそらく潜在意識の底からも信じてはおるまい。ならば、どちらも既にその
「ん? ……ああ、そいつはな。そう〝信じられていた時間〟の問題だ」
だが、刃神は何も自分の話に矛盾はないというように、今度も言い淀むことなくすんなりと答える。
「確かにオヤジの言う通り、俺は鑑定結果を聞いて、それが正真正銘、紀元前10世紀にダヴィデ王が持ってた剣じゃねえってことを知っている。それも、心の底から納得してな……だが、その半面、さっきのオヤジの話によって、それが早ければ13世紀の頃から〝ダヴィデの剣として信じられてきた物〟だってことも真実として認識したわけだ」
「まあ、古くからそう信じられてきた物ではあるじゃろうの……」
「ダヴィデの持ち物ってだけじゃねえ。アーサー王の聖杯伝説じゃあ、聖杯の騎士ガラハッド卿のものとして長年信じられてきた聖剣だ。だから、そうした多くの者達によって信じられ、伝えられてきた物としては〝本物〟なんだよ。そして、そんな長時間、大多数の人間が纏わり付かせてきた情報ってのに俺の潜在意識もどこかで信じちまうわけさ……こいつはそんじゃそこらにはない、〝何か特別なものを持った剣〟なんだってな」
「…………じゃあ、キリストの剣の方は……」
刃神の言葉を理解しているのかいないのか、老主人は少し黙した後に呟くように尋ねる。
「対してこっちのキリストの剣の方は、オヤジの話でごく最近造られたパチもんだってわかってる。そこまで新しいとさすがにな……ま、つーことで、ダヴィデの剣の方は俺の望む魔術武器マジック・ウェポンだが、キリストの剣の方はそうじゃねえってわけだ。まあ、こいつも魔術の儀式に使う呪具みたいに聖別すりゃあ、そうした心に暗示をかける情報を付与することもできなくはねえが、やっぱり自然に伝承ができあがってきたもんにはかなわねえ」
「なるほどのう……なんとなくお前さんの求めているものがどんな物かはわかったよ……して、なぜ、そんな物を求めとるんじゃ? 蒐集家コレクターか? それとも、そうしたマニアに売るためか? 売るんじゃったら、わしんとこでも良い値で買ってやるぞ?」
どうやら凡そのところを理解したらしい主人は、続けて今度はちょっと商売っ気を出して、そんな質問を彼に投げかけてみる。
「バカ野郎。せっかく厳しい警備を破ってかっぱらってきた苦労の品だ。誰がそう簡単に売るかよ」
すると、刃神は主人をバカ呼ばわりした揚句、これまたよくわからないことを言い出した。
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