間章 ガラハッド卿――クリスチャン・キャロル(22歳)の告白(1)

 牧師が身に纏うような黒服を着たその青年は、まるで告解にでも来たかのように、カウンセラーの前に腰を下ろした。


「クリスチャン・キャロルさん……学生とありますが、見たところ神学校の生徒さんのようですね。聖公会ですか?」


 テーブル越しに座るカウンセラーは、いつもと変わらぬ調子で問診票に目を落としながら尋ねる。


「はい。ロンドンにあるイングランド国教会系の神学校に通っています」


 青年……いや、まだ少年のように初々しい顔立ちのクリスチャンは、やはり懺悔する子羊の如く胸の前で手を組み、神妙な面持ちで口を開く。


「ここへ来られたということは、やはり何か恋愛についてのお悩みがあるということですね?」


 対して髪を紳士らしく綺麗に整えた中年のカウンセラーは、問診票の空白になっている「抱えている問題」の覧を見つめ、青年を促す。


「はい……きっと、私のような信仰の道に生きようとするものが、そうした悩みを持つなどおかしいとお思いなのでしょうね……それに本来ならば、私を指導してくださっている先生に悩みを打ち明けるべきなのでしょうが……その……」


 尋ねるカウンセラーに、クリスチャンは俯き、罪の意識に苛まれているのか、言い淀みながら答えた。


「いえ、おかしいなどとは思いませんよ。神学校の学生といえど、あなたはまだお若いし、そうした悩みを持つのは至極当然のことです。それにこうした問題ですと、なかなか牧師様には相談しにくいことでしょう」


 思い悩む牧師の卵へ、カウンセラーは優しげな眼差しを向けながら諭すように言う。


「でも、ここはそういった悩みを専門に聞く場所です。国教会の聖奠せいてんのように神の赦しを得る力はないかもしれませんが、どうぞ、個人懺悔をするようなお気持ちですべてを話してみてください」


「はあ……」


 しばし、意を決めかねるように沈黙した後、クリスチャンは重々しく語り始めた。


「私は、父が町の教会の牧師を務める家で育ちました。母も敬虔な国教会の信徒で、自然と私も神への信仰に生きる道を選ぶようになりました。いえ、そうでなくても、私は神にこの身を捧げていたことでしょう。そういう運命のように思います」


「ほう……運命ですか……」


 その言葉に、何か思うところでもあるのか、カウンセラーも呟く。


「はい……そして、私は父と同じく教会の牧師となるために、大学の神学部を出た後、神学校へ通い始めました。そこまでは、多少の過ちはあったにせよ、神の教えに背くことなく生きてこれたのではないかと思っています。しかし、その入学した神学校で、私は、これまでの人生をすべて棒に振るようなよこしまな感情に囚われてしまったのです! そう……彼女に出逢ってしまったんですよ!」


 クリスチャンは突然、顔を上げると、焦点の定まらない瞳を震わせながら叫ぶ。


「彼女? ……つまりはその女性に恋をしてしまったと?」


 それでも冷静さを保って穏やかな声で聞き返すカウンセラーに、彼は再び俯くと静かに先を続けた。


「……アグレスは……彼女は同期で入学した女性司祭を目指す生徒でした。まるで聖母マリアのように麗しい女性です。一目彼女を見た瞬間、私は心臓を雷で撃たれたような衝撃を受けたのです。それからはもう、何をしててもアグレスのことばかりを考えるようになってしまって……勉強にも、儀礼にも身が入らなくなりました……いつも頭に浮かぶのは彼女ともっと一緒にいたい、彼女の美しい顔をもっと見ていたい、彼女ともっと話がしたい、そんなことばかりで……挙句の果てには、彼女を抱きしめたいとか、その……彼女と淫らなことをしたいというようなことまでも……」


 語る内に段々と饒舌になっていくクリスチャンだったが、そこまで言うと頭を両手で抱え、ひどく苦しげに呻く。


「なるほど……アグレスさんですか……」


 そんな彼を肘掛に頬杖を突いてしばらく見つめると、カウンセラーは不意に疑問を投げかける。


「しかし、聖公会では司祭も妻帯が認められているのでは? あなたのお父様だってそうでしたし、それに人を愛することはキリストの教えに沿うものでもありましょう。何もそれほど悩まれずとも…」


「いいえ! これはイエスの説いた〝愛〟ではなく、ただの執着と肉欲です!」


 だが、クリスチャンはその言葉を遮り、きっぱりと否定する。


「私は彼女への想いに目が眩むあまり、神への祈祷の折も、他の人々の幸せを祈ることができなくなりました。ふと気付くと、願っているのは彼女が自分のものになればいいというような私利私欲ばかり……それに、彼女が他の男性と親しく話をしているのを見ただけでひどく嫉妬心に駆られ、その男達を少なからず憎く思ってしまうのです。いいえ、そればかりか心のどこかで不幸を願っている自分さえいるのです。なんと浅ましいことでしょう! 私は、彼女以外の者を愛することができないのです!」


「それでも、神はあなたをお赦しになると思いますよ。人は本来、そうした罪深き感情を持った存在なのですから」


 カウンセラーは、説教をする牧師の如く青年に言う。


「ええ。その通りです。神の愛はどれほど罪に塗れた人間をもお赦しくだされます……ですが、私の場合それでは駄目なのです! 私は一般信徒ではなく、彼らにキリストの教えを説く司祭を目指す者です。それに彼女と出会う前には、世俗の牧師ではなく、修士会に入ってより神にすべてを捧げる生活を送ろうとも決意していたほどなのです。なのに、今の私は……勿論、幾度となく神には祈りました。どうすればこの邪悪な感情を消し去ることができるのかと。ですが、主はこんな私を見放しになられたのか、一向に答えをお教えくださりません!」


 苦悶の表情を浮かべる青年は、興奮のあまりテーブルから身体を乗り出してカウンセラーに迫る。


「私はいったいどうしたらいいのでしょうか⁉ どうすれば、この邪な心を捨て去り、再び神への信仰を取り戻すことができるのでしょうか?お教えください、先生。私はどうすれば⁉」


「まあ、そう興奮なさらずに。どうぞ落ち着いて」


 そんなクリスチャンを、カウンセラーは片手を前に突き出して、対照的な冷静さを持って制する。


「ハッ! ……すみません。思わず取り乱してしまいました。私は、そんな感情を抑えることもできない未熟な人間なのです……」


「そうですか……なるほど。あなたのお抱えになっている問題がなかなかに解決の難しいものであることはよくわかりました。あなたは個人的な問題というよりも、すべての人間という存在が抱える根源的な問題についてお悩みになっているようですね」


 興奮が冷め、椅子に倒れ込むようにしてまたも俯くクリスチャンに、カウンセラーは相変わらずの穏やかな笑顔のまま頷く。


「ええ。難しい問題なのです……そうですよね。主でさえ、その答えをお教えくださらないようなこの悩みが、カウンセリングに来たからと言って簡単に解決する訳がありませんよね。いえ、先生のお力を軽んじているのではありません。それほどに困難な問題だということです。それは最初からわかっていました。ですが、先生に告白して、幾分、心が軽くなったような気がします…」


 暗い表情に儚げな笑みを浮かべ、そう礼を述べようとするクリスチャンだったが。


「いや、私はその答えを知っていますよ。その悩みの原因と、それを解決するための方法をね」


 カウンセラーは、彼の思いもよらないような台詞を口にする。


「えっ⁉ ……い、今、なんとおっしゃられたのですか?」


「ですから、あなたがそのお悩みを克服するために歩むべき道を知っていると言っているのです」


「………………」


 聞き直したクリスチャンは、驚きのあまり目を見開いて、次の言葉が思うように出て来ない。


「……お、教えてください! その道とは、いったいなんなのですか⁉」


「まあまあ、落ち着いてください。その前に、先ずあなたがそうした悩みを抱える原因について知らねばなりません」


 ようやく発することができたクリスチャン青年の疑問の声に、カウンセラーは再び彼の興奮を手で制して、おもむろに語り始めた。

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