間章 ボールス卿――ロバート・ウィルソン(21歳)の独白(1)

 そのカウンセリングを受けに行ったのは、ほんとにただの思い付きからだった。僕が抱えていた問題は、他の人達みたいにそれほど重大な問題ではなかったのだ。


 まあ、世間一般の問題基準から見れば大したことではなかったろうし、すぐに解決せねばならないような切羽詰まったものでもなかったのだが、それでも、僕個人としてはずっと悩まされ続けている問題ではあったのであるが……。


 そんな僕の気まぐれで僕の前に座ることになったカウンセラーは、どこか育ちの良さそうな、品の良い中年の紳士だった。


 紳士は先ず、僕が書き込んだ問診票を眺めながら、僕の名前と僕がLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)の学生であること、経済学が専攻であることを「ほう…」とか声を発しながら、興味深げに読み上げた……いや、興味を示したと思ったのは僕の勘違いで、ただ単に確認しただけだったのかもしれない。


 続いて彼は単刀直入に、僕の抱えている問題というのは一体、どういうものなのかと訊いてくる。


 対して僕は、うまく表現できないのですが、僕はいつも〝物語の主人公になれない〟んですと、やや抽象的にそう答えた。


 しかし、やはり一言ではこの問題をうまく伝えられないらしく、カウンセラーは訝しげな顔をして、どういうことですか?と僕に訊き返す。


 僕は少し考えてから、恋愛においても、他のことにおいても僕は常に脇役なんですと、また別の表現の仕方で告げた。


 だが、それでもカウンセラーは不可解そうに表情を歪め、脇役といいますと、もう少し具体的にはどのように困ったことがあったのですか? ともう一度、尋ねる。


 そんな彼に、つまり僕はいつも誰かの引き立て役なんです、常に事件や出来事の中心は僕以外の誰かにあるんですと、さらに別の言い方で断ってから、僕は自分でも頭の中で言いたいことを整理しつつ、カウンセラーの注文通り具体的な例を挙げて説明を始めた。


 そう……僕を苛み続けているものは、そんな説明の難しい、当の本人でしかその苦悩のわからない困った問題なのだ。


 例えば、男女の出会いの場にとパーティーを開いたりなんかしたとしよう。参加した者達は皆、楽しく飲んだり、食べたり、おしゃべりしたりしながら、気になる異性との距離を縮めていったり、また、そういう相手のいない者達は、何か良い出会いはないものかと心弾ませて異性に接触していくのである。


 ところが僕はというと、なぜかいつもそのパーティーの主催者ホスト役だったり、その場を取り仕切る役回りだったりして、他のみんなはうまいことやってるのに、僕だけは女の子と親しくなる機会も与えられなかったりするのである。


 それどころか、男女問わず友人達からは気になる相手との仲を取り持つよう依頼され、なんの因果か、したくもない他人の恋路のために努力せねばならぬことの方が大半だ。


 いや、これはパーティーに限ったことではない。以前、友人に誘われて彼が狙っている女の子とその友達のとでダブルデートをすることになったのだが、その時も僕は友人の引き立て役でしかなかった。


 まあ、僕が引き立て役になって、友人と彼が好意を抱いている彼女がうまくいくのなら、それはそれでいいだろう。それならば、彼の友人代表として僕としても嬉しい……しかし、あろうことか、彼女の連れて来た友達のまでもが僕ではなく友人の方に心惹かれ、勝手に三人で恋の三角関係に発展してしまったのだ。


 彼女達二人の眼に、僕はその場の雰囲気を盛り上げる書割かきわりか何かのようにしか映っておらず、まるで恋愛対象として見ようともしない。はっきり言って、僕は完全に蚊帳の外である。


 実をいうと僕もその友達のというのを気に入り、淡い期待を抱いたりなんかもしていたというのに……。


 そんな僕の体験談を聞くと、カウンセラーは僕の顔をまじまじと観察するように眺めてから、あなたは見たところ容姿もそんなに悪くないし、明るく、話し上手で、なかなかの好印象を与える。それ程モテないということはないように思えますけどねと、お世辞なのか本心なのか知らないが言ってくれた。お世辞だとし ても、そういう風に言われると僕もまんざら悪い気はしない。


 僕は、いやあ、そんなことないですよと、ちょっと照れて頭を掻いたが…って、そんなイイ気分になっている場合ではない!


 現に僕はモテるどころか注目もされないのだ! もし仮にカウンセラーの言ったことがお世辞ではなく本心だったとしても、だったらなんで、こんなにも恋愛対象として見られないのか? と逆に疑問と悩みは増すばかりである。


 まあ、奢り高ぶってる訳じゃないが、容姿はともかくとしても、僕には特に女の子に嫌われるような欠点はないと思うし、コミュニケーション能力もそれなりにはあると思っている。


 それなのに、どういう訳か僕はいつも引き立て役にしかなれないのだ。そう。いうなれば肉料理の付け合わせだ。つまりはポテトだ。


 それも毎回。これはもう、そんな見てくれや性格がどうのというようなレベルの問題じゃないのだ!


 ああ、デートといえば、こんなこともあった。


 それは友人…ああ、これはまた別の友人であるが、そいつに女の子を紹介してもらった時のことである。


 そいつに見せてもらった写真のは結構可愛く、僕の方は勿論、乗り気だったし、向こうも初めは乗り気な様子だった。


 で、とりあずデートをする約束を取り付けたのだが、そこで思わぬ出来事が起こった。そののことを前から好きだった男が僕の存在を知って、焦って彼女に告白してしまったのだ。


 きっと、その男のことをどこかで気にはかけていたのだろう、すると彼女はようやく自分の本当の気持ちに気付きましたとかなんとか月並な台詞をほざき、結局、そいつと付き合うこととなってしまった。


 僕はいい恋のクピト役を演じただけで終わった訳である。


 この三流のラブコメのようなエピソードに、引き立て役を超えて今度は恋の橋渡し役ですか。まあ、考えようによってはいいじゃないですか。人を幸せにしてあげてるわけですし…などと、他人事だと思って気楽なことをいうカウンセラーに、思わず僕は、良くないですよ! と声を荒げた。


 そりゃ、たまにならそれでもいい。でも、そうしたことがいつもなのだ! 一回や二回じゃないぞ? 毎回だぞ? 毎回!


 そうだ。あの時も……ダートモアに行った時もそうだった。


 ダートモア国立公園は、デヴォン州にある荒涼とした大湿原である。そこへ以前、同じサークルの仲間達とハイキングに行ったのだ。


 話に聞く通り、ダートモアは背の低いヒースだけが地を這うようにして生い茂る、どこまでも荒々しい原野だけが広がる場所だったが、その荒涼とした自然は殺風景というようなものではなく、むしろその広大で美しい景色は僕の目を充分に楽しませてくれたし、シャーロキアンとまではいかないが、それなりにホームズファンの僕としては『バスカヴィル家の犬』の舞台となった地というだけで、それはもうテンションが上がった。


 しかしである。


 仲間の一人がその荒々しい大地に足をとられ、アホウにもコケて怪我をしたのだ。


 いつもながら幹事的立場にあった僕は、当然、そいつに応急処置を施した後、彼を病院へ連れて行くためにハイキングを途中でリタイアした。


 普通、こうしたアクシデントの際、自らを犠牲にして仲間のために奔走する者の姿は皆の注目を集め、尊敬の眼差しを持って見られるものである。


 女の子達からは頼りがいのある人ねとか、なんて男らしい人なのとか、そんな風に好感を抱かれるはずだ。ひょっとしたら、この些細な出来事を機会に恋をしてしまうかもしれない。


 ところが、病院でそいつの手当てをしてもらって、後から再びハイキングに合流すると、他の仲間達は僕のことなどすっかり忘れて、自分達だけで大いに盛り上がっていたのである。


 その上、なかなかイイ雰囲気になった男女のペアが何組もできあがっている始末だ!


 自分の楽しみなど顧みることなく、自己犠牲の精神に生きる者に対してなんたる仕打ちであろうか? もう、ほんと、もう、やってられない……。


 こうした理不尽な目に遭うのは何も恋愛に関してだけではない。


 ゼミでの研究発表の時も、僕の発表は他のもっと優秀なやつを引き立てるだけに終わるし、遊びでやるフットボールの時も、僕がどんなにいいアシストをしようともそれは注目されず、そのすばらしいアシストのおかげで偶然、シュートできただけのやつが喝采を浴びるのだ。


 そうした経験談を交えた僕の説明…というか、愚痴を長々と聞かされたカウンセラーは、ようやく凡そのところを摑んでくれたらしく、なるほど、なんとなくわかりました。つまり、あなたは常にそういう損な役回りをさせられているのですねと、そんな言い得て妙な言葉に要約して答えた。


 ……そう。その通りなのだ。いつも僕は、まさにその〝損な役回り〟なのである。


 そう言って大きく頷くと、カウンセラーは僕の顔をちょっと同情した面持ちで見つめならが、それで脇役ですか、まあ、いつもそのようだと納得いかない気持ちもわからなくはないですねと言った。


 納得いかないどころか、僕はこんな自らの運命をひどく理不尽に感じている。


 しかし、僕がそうして〝運命〟という言葉を口にしたのを契機きっかけにして、カウンセラーの話は不意に思いもよらぬ方向へと向かい出したのである。

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