間章 パーシヴァル卿――トマス・マクレガー(20歳)の教導(1)

「――トマス・マクレガーさん……学生さんですか。どちらの大学です?」


 その純真な目をした朴訥な青年に、私が最初にこう尋ねた時。


「は、はい。インペリアル・カレッジ・ロンドンの理学部っす」


 彼は少々緊張した面持ちで、朴訥にそう答えた。


「ここら辺のお生まれではなさそうですね。ご出身はどちらで?」


「よ、ヨークシャー州ノーザン・デイルのボウズっす。カーライル鉄道沿いの町で……」


「ああ、あのブルーチーズで有名な……ヨークシャー・デイルズ国立公園内にある、景色の良い長閑でいい町だ」


「んまあ、何にもないとこですが、確かに自然とチーズだけは自慢できるっす」


 私がボウズの地名に知りうる限りの情報を思い出してそう言うと、トマス青年は故郷を懐かしむような眼差しをして、どこか嬉しそうな、それでいて照れ臭そうな表情を見せる。


「それで、今日、こちらへおこしになったのはどう言ったお悩みで?問診票には何か恋愛に関してコンプレックスがあると書かれてありましたが」


「はあ……そうなんっす。その……恋愛に関してだけでなく、対人関係全般でも困ってるって言いうか……」


「どうぞ。何も心配せずにすべてを話してください。ここは、そうした方のためのカウンセリングなのですから」


 ここに来る患者クライアント達の常として、本題を切り出すと口を重くして言い淀む彼に、私は穏やかな笑みを見せて促す。


「はあ……実は俺、人に物を訊けないっていうか、何かわからないことがあっても質問ができないんすよ」


「質問ができない?」


「あ、いや、俺だって最初からそうだったわけじゃないんすよ? 大学に受かって田舎からこっちに出てきた頃は、見るもの聞くものすべてが珍しくって、クラスの友人や見ず知らずの人にもいろいろ訊きまくっていたんすよ」


 聞き返す私に、それまで、ぼそぼそと呟いていたこの純朴学生も、ようやく滑らかに自分の抱えている問題を語り出した。


「だけど、俺は田舎者だし、都会のことはいろいろ知らないんでバカにされて、もう、怖くて人に物を訊けなくなっちまったっすよ」


「なるほど……まあ、地方出身者にはよくあることですな。私もかなりの田舎の出身なので心当たりがありますよ。でも、別にあなたに何か落度があるわけじゃなし、しばらくこのロンドンで暮していれば都会の生活にも慣れて、そんなこともすぐになくなります。それほどお気になさらずともいいのでは?」


「いや、そうは言っても先生、やっぱりバカにされるのは嫌だし、恥ずかしいっすよ。だから、何かわからないことがあっても見栄を張って訊かないようにしてたんす……だけど、それがとんでもない失敗を招いちまったんっす」


「とんでもない失敗?」


 その意味ありげな言葉に、私は目を細めて再び聞き返す。


「ええ。こんな俺にも同じ大学に好きな娘ができたっすが……あ、いや、でも、やっぱ恥ずかしいから話せないっす……」


「恥ずかしがらずにすべてを話してください。大丈夫です。ここには私以外、他に誰もいませんから。さあ、どうぞ私を信用して」


「そうですか? ……そんなら……」


 照れて頭を掻きながら、肝心なところで話をやめようとするトマスだったが、私は彼を忍耐強くもう一度諭し、なんとかその続きを聞き出すことができた。


「その娘の名前はフローラっていうっす。同じ外国語のクラスで知り合ったっすが、それはもうお姫様のように可愛くて、この世のものとは思えない、まるで妖精か女神のような別嬪さんなんっす。俺はもう一目見た時から彼女のことが頭から離れなくなっちまって、寝ても覚めても彼女のあの愛くるしい顔が…」


 今しがた話すのを渋ったくせに、一旦、その女性のことについてしゃべりだすと、興奮のあまり少々脱線しそうになることもしばしばである。


「あ、いや、とにかくそのフローラに俺は一目惚れしちまったっすが、俺はこんな風に意気地がねえですし、デートに誘うのはおろか、告白なんてとてもじゃねえができねえでいたんです。んでも、友達の一人として日常会話はよくしてて、彼女の方からもこんな俺に話しかけてきてくれてたっす」


「おお、それは良い傾向ではないですか?先ずはお友達から始められて、段々に親睦を深めていけば…」


「いや、勿論、親しく話しかけてきてくれるのはものすごく嬉しかったっすが、たまに彼女は最近流行りのレストランやクラブのことなんかも話題に出して、〝トマス君は行ったことある?〟とか〝トマス君はこのお店知ってる?〟とか訊いてきたんっす。そうなるともう、俺は困っちまって……」


「ん? 何か困る理由でも?」


 その言葉の意味がわからず訊き返す私に、トマスは声を荒げて返答する。


「困る理由も何も、さっき言った通りっすよ! 俺は田舎者だとバカにされるのが怖くて、知らないことがあっても素直に訊くことができなくなってしまっていたんす! だから、彼女がそんな話題を切り出すと、俺はもう、興味がないように適当に返事をしてはぐらかすことしかできなくって……」


「ああ、そういうことですか……しかし、それは惜しいことをしましたね。せっかくの彼女をデートに誘えるチャンスだったのに」


「そうっすね……友人にもそう言われたっす……」


 私がそんな感想を述べると、彼は一気に口調をトーンダウンさせて、消え入るような声で呟いた。


「そうこうしている内に彼女がそうした話題を振ってくることもなくなって、俺は一安心してたんすが、そうしたら友人に〝お前は大バカだ〟とひどく怒られたっす。俺は全然そんな風には思わなかったっすが、フローラがそんな風にレストランやクラブの話題を出してきたのは、俺に誘ってほしかったからだと友人は言うんすよ……友人が彼女とも親しい女友達から聞いた話によると、これは今でも信じられないことなんすが、フローラもこんな俺に多少なりと好意を抱いていてくれたようで……」


「………………」


 俯いて語る青年を見つめ、私は〝朴念仁〟という言葉を頭の中に浮かべていた。


 しかし、田舎者で朴念仁ではあるが、よくよく見るとトマスは可愛らしいクリクリとした目に高い鼻と顔立ちも良く、体つきもがっしりとした男らしい体格をしていて、世の女性が恋心を抱くのも不思議ではないのかもしれない。


「でも、それに気付いた時にはもう手遅れで、彼女の気持ちも俺からすっかり離れちまっていたんすよ………確かに友人が言うように、ほんと、俺は大バカ者っす!」


「なるほど。それが先程おっしゃった、とんでもない失敗ですか……だいたいのご事情はわかりました」


 愚かにも、彼女の好意をみすみす無駄にしてしまった自分が許せないのか? そう吐き捨てるようにして自分を卑下するトマス青年へ、私はいよいよ教導を始めることにした。

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