ⅩⅤ アーサー王の帰還(5)

 それから、五日も後の土曜の朝のことである……。

 

 …ブルルルル……プルルルル…と、鏡台の上に置いてあるスマホのバイブレーションが不意に鳴った。


「あ、はいはい。今出るってば」


 白いガウン姿のマリアンヌは、シャンパンの入ったグラス片手に鏡台へと近付き、指先でちょこんとスマホを取って耳に当てる。


「もしもし…」


〝ああ! 良かった! 出でくれたよ! 俺っすよ! アルフレッドっすよ!〟


 それは、一週間ぶりの彼からの連絡だった。


「あああっ! ちょっと、ムシュー・ターナー! なんでずっと連絡してこなかったのよ! こっちからメールしても返事ないし。てっきり裏切ったかと思って、危うくあなたも殺そうかと計画してたところよ!」


 相手がアルフレッドだとわかると、マリアンヌはマシンガンのように捲し立てる。


〝もう、久々に声が聞けたっていうのに怖いこといわないでくださいよぉ~。普通、連絡なかったら、ひょっとして、何かあったんじゃないかしら? って心配するとこでしょうに……って、いや、ほんとに何かあったんすけどね…ってか、そんな無駄話してる暇ないんっすよ!〟


 いつもの調子で軽口を始めるアルフレッドだったが、何か重大なことを思い出したのか、自ら急にその口を止める。


〝ここんとこ監視の目が厳しくって。今だって、ようやくお付きの者が離れて、やっと電話する隙ができたとこなんすから〟


「ん? 監視ってどういうこと? もしかして正体バレそうだとか?」


〝いや、そうじゃないんすがね。なんとも妙な成り行きで、俺、アーサー王になっちゃったんすよ〟


「ん? アーサー王? ……あなたもヤツらみたいにアーサー王にハマっちゃったってこと? もう、なに遊んでんのよ。そんな暇あったら…」


〝いや、そうじゃなくて、今、俺がそのアーサー王ご本人様なんです!〟


「はあ? あなたがアーサー王? ……何言ってんの?言ってることがよくわからないんだけど? もしかして、ついに本気で頭どうかしちゃったわけ?」


 ふざけた内容の割にはいたって真剣そうなアルフレッドの言葉に、マリアンヌは怪訝そうに眉をひそめる。


〝っんとにもう、相変わらずヒドイ言いようっすねえ……いや、長い話なんすけど、時間ないんで端折って話ますがね――〟


 アルフレッドは〝石に突き刺さった剣〟を偶然、引き抜き、自分がアーサー王の生まれ変わりに間違われたことを手短に話した。


〝――で、王様になったのはいいんすが、常に警護やお付きの者が傍にいるんで、スマホもろくに弄くれない有り様でさあ〟


「なるほどね。でも、王様になったんだったら絶好のチャンスじゃない。なんかどうかヤツらを言い包めて、お宝いただいて逃げれば事は簡単にすむわ。あなた詐欺師なんだから、そういうの得意でしょうに?」


〝いや、俺も最初はそう考えたんすけどね。それがなかなか……ベディヴィエール卿―—あのベドウィル・トゥルブが小うるさい爺やのように、いちいち俺の言動に教育的指導を加えて邪魔するんすよ。王としての振る舞いがどうたらこうたらと。王様ってのも楽じゃないっすね……ま、ということで身動き取れないんで、早いとこ助けに来てください〟


 話す内に段々といつもの調子を取り戻し、アルフレッドは軽口で救援を求める。


「わかったわ。で、今、どこにいるの?」


〝今はスコットランドのインヴァネスです。昨日、ネス湖も見て来ましたよ。残念ながらネッシーは出てきてくれませんでしたけどね〟


「また、ずいぶん遠くまで行ったわね」


〝ここんとこ警察の目を逃れるために毎日転々と王宮を…ああ、つまりは王様の俺とその愉快な仲間達の居場所を変えてましてね。ここも今日中には去る予定です。次、どこ行くかはわかりません〟


「ええ⁉ それじゃ、お宝もらいに行きようがないじゃないの!」


 アルフレッドのことはどうでもよかったが、アーサー王の宝を心配してマリアンヌは口を尖らす。


〝んまあ、そうなんすがね。ただ一つだけわかってることがあります。明晩、もう一つの〝ガラスの塔〟へ冒険に行くって、ベドウィルが言ってました〟


「もう一つのガラスの塔? ……何よそれ?」


〝俺もわかりません。でも、それを連想させるような場所へ行くことは確かなようです。明日の夜にね〟


 と、その時。


「ふぅー…いい朝風呂だったぜ。ローマン・バスの街のくせに温泉が使えないたあ驚きだったが、イングランドの水は硬水だからな。沸かしゃあ温泉と変わらねえ」


 バスルームのドアを開け、えらくさっぱりした様子の刃神が部屋に入って来た。


「さてと、そんじゃ風呂上がりのビールをいただくかな」


 そして、電話中のマリアンヌを一瞥すると、気にすることもなく冷蔵庫へ近付き、無遠慮に中からよく冷えたエールビールの瓶を取り出す。


 彼も、マリアンヌとともにこのホテルの部屋に宿泊しているのだ。


 しかし、同じ一つの部屋に男女二人が泊っているからといって、彼らの間にそういった関係があるわけではない。無論、刃神にそんな気は微塵もないが、もし変な気を起していたら、彼の頭に速攻、鉛の弾が撃ち込まれていたことだろう……。


 まあ、いずれにしろ、そんな色っぽい理由ではなく、英国きっての保養地、ここバースの高級ホテルに長逗留しようと考えた二人は、その方が安上がりだという理由で一つの部屋をシェアすることにしたのだった。


 また、カップルの方が怪しまれ難いという犯罪者的な利点もある。


「プハァー! やっぱ、風呂上がりの一口は最高だな、おい。足もこの通り全快したし、あとはエクスカリバーさえ手に入れりゃあ申し分ねえんだがな」


「ねえ、ティ・グウィディル以外にガラスの塔で思い付くとこってある?」


 最初の一口を飲み干した刃神に、マリアンヌが訊いた。


「あん? ガラスの塔? ヤツらのアジトの名前じゃねえのか?」


 刃神は再び口元へ持って行きかけ瓶を途中で止め、眉間に皺を寄せて訊き返す。


「ムシュー・ターナーが明日の晩、そこに行くって言ってるのよ」


「なにっ⁉ 詐欺師からの電話か! なんでそれを早く言わねえ! おい、俺に替れ!」


 アルフレッドからの電話だとわかるや、刃神は血相を変えてスマホをもぎ取らんとマリアンヌに迫った。


「ちょっと、また邪魔する気⁉別にあなたが出なくたって、あたしが話聞いとけばいいでしょう? それよりもガラスの塔よ、ガラスの塔!」


 対してマリアンヌはいつもの如くその手を逃れ、話す権利の委譲に断固として抵抗する。


「うるせえ! あの野郎、ずっと連絡よこさねえでおいて……一言文句言わにゃあ、腹の虫が治まらねえんだよ!」


「それもあたしが言っといたからもういいわよ! 今は向こうも時間ないみたいなんだから、頼むから邪魔しないでくれる?」


「だったらなおのこと時間の無駄だ。とっととスマホよこしやがれ!」


「いやよ! 今日こそ絶対渡さないからね――!」




 そうして二人が毎度の争いを行ってる中、電話の向こう側では……。


 「――あ~あ、また始めちゃったよ。二人ともヘビー級に我が強そうだからねえ……」


 インヴァネスのホテルの一室で、アルフレッドは携帯(モバイオ)片手におどけた調子で嘆く。


 彼の肩には、シャツの上からパーティー用の衣装と思われる赤いマントが掛けられ、その頭の上にもトゥルブ家伝世の品ではないが、安物の玩具と思しき金メッキの王冠が乗せられていたりする。


 どうやら騎士達に王として扱われているようだが、その姿は威厳に満ちた王者の風格というよりは、むしろ滑稽な道化師だ。


「もう、どっちでもいいから、早くしてくんないかなあ……久々にお付きの者が出払ってくれたってのに、こんなことしてたら、また戻って来ちまうよ……」


 だが、そう、溜息混じりにアルフレッドが呟いた時である。


「なるほどな。そういうことだったか……」


 突然、背後でそんな聞き慣れた声がしたのだった。


「…⁉」


 アルフレッドは息を飲み、慌てて後を振り返る。この部屋には、確かに誰もいなかったはずなのに……。


「話はすべて聞かせてもらったぞ。皆を外させ、隙を作ったのが功を奏したようだな」


 するとそこには、細く開いたドアの隙間から覗くベディヴィエール卿の姿があった。


「な……そ、そんじゃ、あんた、最初から俺のこと……」


「まあな。ただ、警察にしてはどうにも妙だと思っていたが、今の話で凡そのことはわかった。どうやら、あのモルガンとベイリン卿の仲間だったようだな」


 固まるアルフレッドを見据え、ベディヴィエール卿はゆっくりとドアを開けて部屋の中へ入って来る。


 さらにその手には、アルフレッドに照準を定めた回転式拳銃〝エンフィールド・リボルバーNo.2MKⅠ〟がしっかりと握られている。


「ひ……き、騎士殿、ど、どうか、お慈悲を……」


 そして、蒼白い顔で命乞いをするアルフレッドに向けて、彼は慇懃無礼にこう告げた。


「安心しろ。まだ殺しはせん。貴様には利用価値があるからな……その芝居、我ら新生円卓の騎士団のために最後まで続けていただきますぞ? のう、我らがアーサー王へ・い・か――」




 それより僅かの後……。


「――フン。手間ぁかけさせやがって……」


「んもう! なんでそう自己中なのよ!」


 けっきょくマリアンヌはスマホを刃神に奪われ、悔しそうに地団駄を踏んでいた。


「おう、詐欺師、俺だ。生きてやがったか?」


〝……プー……プー……〟


 だが、それを当てた刃神の耳に聞こえたのは、そんな甲高い機械音だけであった。


「んん? ……切れてやがる」


 その後、いくら待っても、また、いくらメールを送っても、再び二人がアルフレッドと連絡を取ることはできなかった……。

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